2020年5月7日木曜日

懐の深さがタンゴです

深夜の地震警報とか

雷とか

親父とか

もう たまらんな。







あ、親父はいないわ。






昨日は バリバリ ヌエボな動画を載せました。

そして「おうち de TANGO」では その曲を使って
遊んでみました。


これじゃ タンゴじゃないじゃん  と感じられる方も
ひょっとしたら いらっしゃるかもしれません




私としては

踊りというのは 大きくひとくくりで その境目は
とても曖昧なもので

曖昧であるから 芸術として発展してゆくのだと思っています。



アルゼンチンタンゴダンスのその起源は

男性同士による フラストレーション発散のために
生まれたという説が有力であり


最初は 決まったいくつかの振り付けを繰り返すような
ものだったようです。



男女で踊るようになっても  頭と頭をくっつけて踊り


そこから しばらくして やっと現在のアブラッソに近い形へと
変わってゆきました。




アブラッソの形が出来、

音楽の幅が広がると、テクニックが多様になってきます。



テクニックが多様になると、また 二人の体は離れ、
それによって さらに 新たなテクニックが生まれます。




新たなテクニックが加わってゆく過程というのは

誰かが 必ず 違ったジャンルの踊りを取り入れたりしてゆくものです。




アルゼンチンであれば、お隣の国、ブラジルのサンバや
チリ・ペルーあたりの 地元で昔から伝わる民族舞踊の要素を
加えようと思ってするよりも
むしろ入ってしまう  ということもありえそうです。


そもそも アルゼンチンの原住民ガウチョに伝わる
フォルクローレ、サパテオなどの要素は当然加わっています。



時代が進み、

男女の在り方が変化してゆき、

女性の社会進出もまた進み、



ミロンガのルールも 時代に合わせて変化してゆきました。







急に 話が飛ぶようですが

私がタンゴを始めた時、タンゴ業界の年齢層はかなり高かったです。

それは 日本に限らず、アルゼンチンでも同じく

タンゴを踊る人の年齢層は高めでした。


1930年代 〜 40年代の黄金期と呼ばれる中で
タンゴを始めた層がそのまま年齢を重ねてゆき、

しばらく新しい大きなブームは来ていなかったからでしょうかね。





それで、私の師匠は 当時まだ20歳そこそこだった
私を大歓迎してくれたわけです。

それは 若い人に広めないと 文化が止まってしまうことを
危惧していたからでした。







そして アルゼンチンでも キーパーソンとなる人が
若い層の呼び込み役になることで

また 別の踊りの要素が入ってくることになり


そこからまた テクニックも進化発展していったのだと思います。





そして踊りに限らず 様々な文化が  古典へ回帰したり

また現代へ戻ったり・・・

そのように 行ったり来たりを
繰り返しながら 時代の流れに乗って
後世へつながれてゆくのでしょうね。







このダンスをスタイルで線引きすることは
実際のところ 非常に難しいと思います。

本人が断固主張しない限りは。




私は 仮に  モデルノが好きなのですか? と聞かれれば
ちょっと困ってしまいます。


「私のスタイルはモデルノです」だなんて恥ずかしくて
絶対言いたくないですし(笑)
「私のスタイルは ちょっとトラディショナルも混じったモデルノです」
だなんて ややこしくて変ですし。


でも 本当のところ 誰でも 様々な要素が組み合わさって
少しずつ作られていくのがタンゴで


それを許してくれるのがタンゴなんですね。


タンゴって 懐が広いですよね。





音楽に関しても、古典や現代に限らず
私は いい曲が好きです。


Bahia Blanca も Zitarrosa も等しく好きです。



私にとっては どちらも たまらなく オシャレです(笑)




     ふふん





タンゴの中をカテゴライズすることはナンセンスであり

無理だな〜  といつもしみじみ感じています








今夜は満月ですよー。



皆さま 良い1日を過ごし  心地よく満月の夜を迎えられますように。








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