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2020年6月14日日曜日

求めよ、さらば与えられん

一昨日は私の師匠の命日でした。

昨日書いた言葉の中に「無償の愛」ということが
出てきたのですが


私は「無償の愛」という言葉を師匠から教わりました。


遠い記憶ですが、確か 舞台のテーマに「無償の愛」を
謳ったときがあったように思います。

その舞台のことは もうあまり覚えていませんが

師匠が語ってくれた


  この世でもっとも美しいのは
  何の見返りも求めない
  無償の愛だ  


そう話してくれたことは よく覚えています。



そんな たいそうな言葉や 思想は
その時初めて知ったことで、まだ若かった私には
ぜんぜん実感のない言葉でしかありませんでしたが

なんだか重みがあるなー  くらいには感じていたのでしょう


そこから ずっとこの言葉を私の胸の中に持ち続けたくらいですから。






求めよ、さらば与えられん

という あまりにも有名なあの言葉は


神様にお願いすれば 何でも与えてもらえますよ  なんて意味では
もちろんなく


与えられるのを待つのではなく、
みずから進んで求めなさい

という解釈をした説もたくさんありますが




神を求めよ、そうすれば信仰が与えられる

という意味だといいます。







これは どういう意味でしょうか?


神様はとっくに私たちが何を望んでいるか
ご存知であるから 求めなくとも与えられる   という

むしろまったく逆の意味で



信仰
信じる心があり
願う 求める ということを手放し
見返りを期待せずに  ただ 信じている  感じている


そういうことなのかな・・・と 思うのです。



それでは それも 神様への無償の愛なのか







急にすみません(笑)
師匠のことを思い出していて
どーしたことか そこへ行き着いてしまいました(笑)


師匠は 本当にたくさんの素晴らしいことを私に教えてくれました。



あなたの弟子は ふいにこんな哲学考えちゃうくらいには
大人になりましたのよ  と天国のじじーに教えてやりたいです。







自分の人生に尊敬できる師匠がいるということを
有り難く思います。









あ、今日は 素晴らしく美しい紫陽花の花束をいただきました。
彼は毎年 自分がタンゴを始めた日の記念に 私に花束をくれます。

おぎりんは 自分の誕生日に お母さんへ花束を送ります。
産んでくれてありがとう の花束です。



美しい花束です。




本日は タンギズムと おうち de TANGO!!







素敵な日曜日を♩♩







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2020年4月29日水曜日

私のタンゴをつくってくれた女性たち

本日チョイ長です。



麻布十番でクンパルを始めて このたび12周年となりましたが、

その前は 2005年に青山でクンパルをオープンしました。



その当時、2005年頃
ブエノスやヨーロッパでの ムーブメントとしては
ヌエボ・ブームの佳境でした。


ヌエボブームの中心人物としてはチチョやセバスチャン・アルセの
名前が真っ先にあがるところですが、

このブームに乗って、二人を真似る 若手ダンサーは
じゃんじゃん増えたのです。


個人的に 2004年〜2005年頃というのは
もっとも頻繁にブエノスへ行ってた時期です。

数ヶ月おきくらいに行ってたので、今思えば よく体力あったな と
思います。 あそこ行くのめちゃくちゃ疲れますから(笑)




そのヌエボブームによって、若手ダンサーをインストラクターとして
集めてた2大スタジオが、DNI と Tango Brujo (タンゴ・ブルーホ)です。

DNI は靴を持ってる方も多いでしょう。

私は Tango Brujo派でした。

残念ながら tango Brujo はヌエボブームの衰退とともにクローズして
しまいました。








その頃の私は、スタジオもオープンして頑張らなきゃだし・・・・

そんな時  おぎりんは セバスチャン・アルセの技を盗むのに夢中だったし

でも 私は マリアナ・モンテスにはなれないし




一体 私はどんなタンゴを踊ればいいんだろう?

そんな風に ちょっと迷子になっていました。




私は古い人間なので 師匠の元へいた時代は、師匠の教えに従い、
しっかり教えの中でコピーに専念すべきであり、
生意気になるべきではない と考えていました。

仲間の中には 師匠の教えを受けようとせず
「いっぱし」の顔をするようなのも時々いて
私は そーいうのが大嫌いです。



ですが、自分で腹をくくって 師匠の元を出ることもまた必要で
そこからは 自分の踊りを見つけるべきだと考えていたのです。


そして それが本当に難しく、苦しかったし、


なにより・・・

私の師匠は 男性でしたから

      憧れて動画でお手本にする女性ダンサーはいましたが


実際に女性ダンサーから 細かいところを教わった経験は
あまりなかったのです。




そんな私が その2004年〜2005年頃ブエノスで
通い詰めたスタジオ Tango Brujo では
Kara Wenham のレディーステクニカを中心に受けていました。




Kara から習ったことは もうハッキリひとこと

 ヒールの使い方  です。


それまでの私は つま先しか使わない動きをしていたので
本来 ゆるめたい 膝の使い方なども 妨げになっていたことなど

ヒールの使い方を変えただけで  多くの変化を得ることが出来ました。


この頃は ウルグアイへも行ったりしていたので、
その飛行機の時間など ギリギリまで Kara のレッスンを受け、
またウルグアイから帰ってきたら、そのままその足で Karaのレッスンに
戻る なんてことをしていました。





時系列としては その少しだけ後になりますが、
踊り全体、 腕の使い方から すべてにおいて学んだのは

Ana Monteagudo から です。





彼女の動きのすべてが好きです。

視線の使い方から  手の平 指

ほんとうに すべてを盗もうと努力しました。




ブエノスへは 私が一人で行くことがあったり、
あるいは おぎりんと一緒だったり 色々でしたが

ある時、おぎりんと一緒に行った時

一度だけ Cecilia Garcia と Santiago のレッスンを
Tango Brujo で一緒に受けました。


本来 受けようと思ってた Karaのレッスンがなかったのか・・・
なぜだったか その経緯は忘れてしまいましたが



彼らのレッスンは タンゴクラスであったのに

全然 タンゴのレッスン内容ではありませんでした。


例えば 何かヒーロのシークエンスをする  とか
オーチョの練習をするとか・・

そーいう タンゴではなく、 コンテンポラリーのレッスンだったのです。


ほぼ コンテンポラリーというか(笑)
ちょっと タンゴっぽさが混ざってる というか(笑)

ぜんぜんうまく説明出来ないけど、正直言ってわけのわかんないクラス
なんですよね。

セシリアの言うアドバイスは 「自由でいいです」 そればっかなんですもん。


まして パレハで受講する意味なんてぜんぜんなかったんです。
ほとんどシャドーの動きばかりで(笑)


そんなわけのわからない コンテンポタリーっぽいタンゴのクラス
ではありましたが


私にとっては それは じわーーーーっとボディーブローのように
効いてくる一撃でした。





それまで 懸命に カーラ や アニータ から新たな概念を掴もうとしていたけど
どこか 納得しきれておらず 形だけだったものが

その セシリアの自由さによって 繋がった感じがしたのです。




そして、その頃
ブエノスでは プラクティカ X というミロンガが流行っていました。

それこそ、チチョや セバスチャンや、 たくさんの有名ダンサーが
遊びに来るミロンガで、
名前に「プラクティカ」と入ってるくらいですから

みんな Tシャツに ジーンズに ラフな格好で集まり

形式張ったことなど 何もない 自由なところでした。



その Practica X での Cecilia y Santiago の即興エキシビジョンがこれです。















後に、クンパルでの第2金曜日のミロンガを

 Practica Z としました(笑)

それが 現在の Z です。


やはりヌエボブームの衰退とともに
X はなくなってしまったけど、うちは その次の Z





師匠が教えてくれたことの1つに

「リアルでありなさい。

 リアルでないものは格好悪い。

 格好悪いことはしてはいけない」


というのがありました。





師匠は つくりもの を嫌いました。
やたら芝居染みたものや、わざとらしいものや、
そーいう何かを。




何をもって かっこいい と感じるかは
人それぞれ違うところかと思いますが



私は このCecilia から教わったコンテンポラリーとタンゴを融合させる
自由さに すごく救われ、
私の思う リアル はこれだ と感じたのです。



そして、私が師匠の元を出て
自分自身の感覚で はっきりと出来た新たなビジョンが

おしゃれであること   でした。



新しいものや  奇抜なもの  奇を衒ったことをしようと言うのではなく


おしゃれなタンゴ    それが 私の踊りたいタンゴです。



変わった音楽などで踊ることを指してるのではなく、


いい曲で踊りたいと思っています。
年代もトラディショナルもヌエボも ジャンルも関係なく。



だって


音楽や スタイルをカテゴライズしようとしたり
線引きしようとするのって  かっこ悪い気がしますから。











オンライン講座での ひとしずくが
あなたのタンゴになりますように。










今日も 元気にいきましょー!!



夜は 「おうち de TANGO」 もあるよ!!!








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2020年4月14日火曜日

さようなら グロリア

昨日、

タンゴの歴史そのもののような

妖精のように 可愛らしい女性タンゴダンサー

グロリアが亡くなられたとの訃報がありました。

グロリアとエドワルドの あのグロリアです。




75歳だったそうです。



私のこのブログの中で グロリア の名前で検索してみると
6記事分出てきてました。

去年、このブログをほぼ毎日のように書くようになってから
頻繁にグロリアの名前は出てたのだと、
今更ながら気づきました。




私の師匠の師匠が グロリアとエドワルドです。

なので、まだ私が ヨチヨチだった頃から とても親切にして頂きました。


私が独立したあと、日本で販売するタンゴシューズを探したい と
言った時、グロリアが 贔屓の靴屋さんを紹介してくれた話を
書いたことがあります。




この記事で書いたように、良い靴に巡り会えたあと、
少しして 私はグロリアのところへお礼に行ったことがあります。

いつも通りの笑顔で すごくあたたかく迎えて下さいました。





それよりもっと前・・


まだブエノスに慣れていなかった頃、


私は化粧ポーチをスリにあい、なくしてしまったことがあります。




結局 師匠に全部買ってもらったのですけど


その話を 師匠がグロリアにしたところ



私の耳元で「口紅あげるわね  ほら これ」と囁き

私の手に口紅を持たせてくれました。


「いえいえ、いいです!大丈夫です」と お返ししようとしたら


「NO NO ネーナ  ミロンガ行くんでしょう? 口紅は今すぐなきゃダメよ」と


微笑んでくれました。







そんな時のグロリアは いつも甘い香水のかおりがしてて

きれいに赤い口紅を塗ってて
本当に素敵でした。




あああ、やばい  泣いちゃう。






グロリアとエドワルドは FJTAの名誉顧問でもあります。


会長はじめ、彼らと親交を持っていないダンサーは

ほとんどいないくらいでしょう。



彼らは 1961年に フランシスコ・カナロ楽団と初来日し、

以来 日本をとっても愛してくれました。

日本人に最初にアルゼンチンタンゴのレッスンをしてくれたのは

彼らです。

グロリアとエドワルドのYouTubeチャンネルには 当時の日本での

仕事の記録として テレビに出たものの録画などがあり、

私は それを 2019年10月30日の記事で紹介しています。





グロリアとエドワルドから受けたレッスンのことを書きました。







もしも、本当に「運命の出会い」とか「ソウルメイト」とか

そのようなものがあるのなら


このお二人は まさにそれだと思うのです。














天使のようなグロリアは 
本当に天使になったのかもしれない。

ずいぶん 軽やかで 踊りの上手な天使に違いない。








心よりご冥福をお祈りします。
さようなら  グロリア   どうもありがとう。 













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2020年4月11日土曜日

鈴木さんのおはなし

先日は  クラウディオ・ゴンザレスとメリーナの
超人的な 身体能力を持つ タンゴを紹介しました。

それで タンゴって 自由だけど

それにしても 紙吹雪 ハラハラハラ〜〜 とかさせちゃうアレも
見ていただきました(笑)




そして 私にとっての 紙吹雪の思い出


師匠に褒めてもらったあの思い出ですけども



師匠の意に沿うような紙吹雪を探しに
文房具屋や手芸屋を探し歩いたのは 私一人ではありません。



実は 先輩の 鈴木さんの提案であり、
私は 鈴木さんにくっついて行っただけなんです。




私が 舞踊団に入ったばかりの当時、 一番近い先輩が鈴木さんでした。



長いサラサラの黒髪で スラッと背が高くて 色白で

しかも すごく優しくて 素敵な女性でした。



彼女は私をすごくかわいがってくれ、面倒を見てくれました。
私より・・・7−8歳上だったのかな・・ 


それより上の先輩たちは 更にもう少し 年が離れていたし、
キャリア的にもすごく先輩だったので、
最初のうちは 近寄りがたい感じでしたし。。



そんなこともあって 私は鈴木さんにべったりでした。




鈴木さんは すごく気がきく人で、仕事がよく出来る人でした。

師匠がチラッと時計を見ただけで 次の準備に入る  そんな人で、

師匠はすごく彼女を頼りにしていました。




それが、残念ながら 鈴木さんは出産のために 舞踊団を辞めることに
なったのです。






鈴木さんも一緒に出る、最後の舞台で 例の紙吹雪が必要とされ、


鈴木さんは「純ちゃん 一緒に探しに行こう!」と誘ってくれました。




それで、買ってきた リボンや紙や いくつかの候補を師匠に
見せる段になって




     思い出した・・・・
     あの紙吹雪の時の 舞台稽古をしてたのは
     ツヅキスタジオだ。

     麻布十番の 二の橋あたりにある 大きなスタジオです。
     懐かしいなぁ・・・




鈴木さんが
「純ちゃん、今 手あげて! 先生に提案して!! ほら 出てっ!」 
って  私に耳打ちをしてくれて


それで、 私の手柄になってしまったのです。




     ツヅキスタジオはすごく広いので
     ペーペーの私たちは 一番すみっこに居ますから
     「もの申す」なんて時は
     ずずずいーーーっと 出て行かなくちゃなので
     ものすごく勇気がいるんです。






「先生 , 鈴木さんが一緒に連れっててくれたんです」と言っても


「いえいえ、純ちゃんが探してくれましたー」と彼女は涼しく
笑顔を見せるだけでした。





鈴木さんは それから辞める日が来るまで 細かく私に
たくさんのことを教えてくれました。



「先生は芸術家でなくちゃダメだし、実際そうだからね、
純ちゃん たくさんサポートしてあげてね、

先生は 不器用だから 思ってることを ちゃんと言葉に出来なかったり
行動することが出来ないことで、誤解を受けることもあるから、
代りにやってあげる人が必要なのね、

そうじゃないと浮世人になって ただの無礼な人になっちゃうからね、

でもね、先生みたいな人は本当は無礼でいいのよ」 



と、そんなことをいつも言ってました。


私は ただただ 鈴木さんってすごいなー  って思ってましたけど、
とにかく鈴木さんのすることを真似ました。






鈴木さんは 札幌へ引っ越しされ、
無事にご出産され、 なんと三つ子ちゃんのママになりました。

きれいで優しいママ。





それから 私は 鈴木さんの役目を受け継ぎ、
師匠の手となり足となったわけですが、


鈴木さんの言う通り、師匠は 大変に不器用な人で


タンゴ業界中 あっちにもこっちにも敵だらけのような人でした。




でも 私は 師匠を尊敬し、大好きでしたので

鈴木さんの役目は 自ら好んで引き受けてましたし、
それが 私にとって心から喜びだったんです。


師匠が お礼を言ってくれるようなことも少なかったかもしれませんが



時々言ってくれる「ありがとう」は 本当に心から喜んで下さってるのが
わかってましたし、



一度     「んんん    理解者がいるのは心強いなぁ」と

言って下さったことがありました。






周りの人は親切で
「純ちゃん、あなた あんまり先生を信用しちゃダメよ。
 あの人 あれで何も考えてないから、」 (笑)とか

「コキ使われてかわいそうに」 とか


そんな風に言われることは しょっちゅうでした。




でも その度に、鈴木さんを思い出し、

鈴木さんのようであることは 大きな自分の成長になっていることを
感じていましたから


私には まったく構わないことでした。







鈴木さんは自分が辞めるから、紙吹雪の手柄とともに
「先生の理解者」という役目の席をあけてくれたのだと思います。





最近よく鈴木さんのことを思い出し、

あの頃の自分のことを思い出します。







偉くなったつもりではないのですが、
あれから長い時が流れ
いつしか 私も立場上 この業界をまとめるようになり、

    私の師匠ほど 浮世人ではないつもりですが(笑)

こうなってみて  いかに師匠が 鈴木さんや あの頃の私を
大事にしてくれてたか
「理解者」という存在がありがたいか、

その気持ちがわかるようになってきました。



今の私に「鈴木さん」がいることにも
大きな感謝をしています。











ちょっと


ああ


早く踊りたいですね。




鈴木さんはお元気かしら・・・・・・








今日も 皆さんにとって 素晴らしい1日でありますように。






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2020年4月8日水曜日

Claudio Gonzalez y Melina Brufman



私の師匠は
舞台でのあらゆる要素を学ぶために
私の稽古メニューに まずはバレエを加えました。

それは もちろん役に立ったし 大変ありがたいことでした。

さらに お芝居のお稽古もありました。

それも役に立ちました。


  ちょっと余談だけど 師匠はE君のことも
  大変気に入ってましたが、その理由の1つに
  彼が お芝居の学校を出てたことが言えます。
  それを重要視していたことになります。





一度、舞台稽古で 師匠だけでなく舞台監督さんからも
ものすごく褒めてもらった忘れられない出来事があります。



その時の 舞台の演出の中で 師匠が
キラキラと光の中を 舞い降りてくる 雪のような 紙吹雪のような

そんなイメージのものが欲しい  と言い出しまして


でも いわゆる紙吹雪ではなく  もっとしっくりくる物はないだろうか?
と悩まれていました。


まだ ペーペーだった私は 何か少しでも師匠の役に立ちたい という
すごく純粋な気持ちを持っていたので

その日の帰りに
文房具屋さんや
手芸屋さんを 何軒かまわって歩きました。


シフォンのリボンを細かく切ってみたり
ラメの入った 紙を切ってみたり


やってみると 素材の重さなどによって  高いところから落ちてくる
スピードや 広がり方に 様々な違いがありました。


それらを 次の舞台稽古の時に おずおずと 
 これを見て頂けませんか?  と差し出し

1つ 1つ 試して見せ  師匠のイメージにピッタリ合ったものが
ありましたので、採用してもらえました。





「こうしてイメージ通りのものを納得いくまで探すということが
君は本当の舞台人だ」なんて 舞台監督さんも言って下さったので

すごく嬉しくて  飛び上がりそうでした。


師匠は あの舞台監督にああ言わせてくれて 鼻が高かった と
言ってくれ 涙がでるほど嬉しかったのです。










タンゴのダンサーには 様々な系統の人がいます


バレエ系の人

芝居系の人

コンテンポラリー系の人



どのように自分の経験を生かすかは自由である というのは
タンゴの大きな魅力の1つですが





正直 ズバ抜けて  自由にもほどがある  というのが

このパレハです。




クラウディオ・ゴンザレス  y  メリーナ・ブルフマン









以前にもこのブログの中で
メリーナが妊娠された時、ほとんど臨月かな くらい
大きなお腹で踊ってる時の動画を載せた記憶があります。





これは かなり古い CITA の動画ですけど


もう 最初の登場からして自由すぎる(笑)

何その組み方!!  (笑)



出てきた瞬間から  やっぱりキターーーー って感じで

見てる人を裏切らない(笑)



もうね、彼らが 普通に 普通のタンゴを踊るはずがないことを
会場は知ってるんですよ。


彼らは 超人的な アダジオ(リフトとか 高い位置での動きね)の
テクニックを持ってるので

音楽からくるインスピレーションを そっくりそのまま
動きに出来てしまう人たちなんですよね。


ピアノがコロコロコロ って鳴るのにピッタリ重ねて
宙に舞うことが出来ちゃうわけです。




そんで イメージのままに 紙吹雪出しちゃうし


最後は お手 して終わるし(笑)




初めてこれ見た時は 笑っちゃいました。

自由すぎる!!!




日本人でもアダジオやる人は たくさん彼らに習いに行ってるはずです。




ああ、それで、
でも これ見るたびに思い出すんです。

師匠に褒めてもらった紙吹雪を。







褒めてもらったことって 忘れないもんだなー と思います。

そんな小さなことをカテにして やってゆけるもんなんだな  と。






今週末も「おうち de タンゴ」 やる予定ですが、
Zoom の音調整などに手こずってます。

情報、ちょっとお待ちを^^






今日もたくさんの良いことがある
素晴らしい1日でありますように。











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2020年1月31日金曜日

罪と罰と前ボレオ

先日 オモシロイ話を聞ききました。

ベテランの タンゴ先生たちから。


ちょうど 今 私は tango jaws にステップ用語集みたいなのを
編集中なんですけどね

なかなか難しいわけですよ。


同じ動きでも 人によって呼び方がかなり違ったりするからね。


先生によっては 言葉を創作しちゃうわけです。

クンパルでいう  サイベン  なんて
世界中どこにも通じない造語ですからね。




ああ、それで、

何を聞いたのかっていうとね


前ボレオ(上段) のことを


 Castigo   (カスティーゴ) と呼ぶ方々がいるらしいのです。


カスティーゴって 直訳すると「罰」なんですね。



前ボレオも  男女どちらも使いますが

軸足に対して 脚をクロスさせて ひざ下をすくい上げるような

だいたい そんな動きですよね。


その動作が 自分で自分に対して課す罰のようだ  という
ニュアンスなのでしょうね。


深いね!


その系列ちゅーか 流派から習ったことのある方なら

ああ アレね、  ってピンとくるのでしょうが


私にとっては  その系列は無縁だったので
まったくの初耳でした。


いえ、初耳だと 思っていました。





その場に一緒にいた、別のベテラン先生にとっても初耳だったそうで
「へーえ」とさかんに関心されてました。



でね


私も かれこれ長くこのダンスに関わってますけど



ほんとまだまだ知らないことってあるし


ってゆーか、そんなくらい 範囲が広く自由なのがタンゴなので

端から端まで知ろうと思ってたら疲れてしまうし
そんな必要ないのよね
って  つくづく思います。



よくね、生徒さんからは タンゴ用語とかで

こっちでは ○○ って聞いたのに
あっちでは ○○ って言ってますが どっちが正しいのですか??


とか


あの先生は間違ったことを教えてる!!


とか   そんなことを言ってるのを耳にすることもありますが



ぜんぜん そんなことなくて

多分 どっちもアリです。




ひょっとしたら  カスティーゴ という単語を使った背景には

その時クラスで流れていた曲が
やや前衛的で ビートの激しい曲であった
が、生徒の女性 あるいは 男性の前ボレオが
ビートに乗らず、弱かった。

そこで 先生は
 「もっと強く!  自分の足にぶつけるくらい!
 Castigo と思って やってごらん!!」

なんていう会話があって生まれたのかもしれません。


想像ですよ。 ただの。

でも、そんな風に ステップの名前って ふいに新しい呼び方が
生まれたり
消えて行ったりするものだ  ってこと。






ところで!  こっからやっと本題(笑)


このカスティーゴを先日 雑談の中で聞いた時は


「へーえ 初めて聞いた」 なんて言ったのですが

「あれ? 純子先生の師匠も使ってましたよ」


って言われたんですよ。





それで  帰りの電車の中で ハッと電撃的に思い出しました。



Catigo  ー  ー 前ボレオ上段






私も修行時代、なかなか 前ボレオを しなやか かつ 力強く 上げることが
できずに悩んでおりましたが

師匠から 自分のお尻に痣ができるまで稽古しなさい  と

言われたことがあります。


きっちり実行し、何度も何度も  毎日毎日
自分の反対側のお尻へ 反対の足のハイヒールをぶつけ続けました。

足を反対側のお尻まで届かす為には 上半身をしっかり絞らなければ
到達しません。

単に足だけを力任せにあげていても、うまくいかないのです。


なるほど  そーいうことなのか!  と
前ボレオの 体の使い方を痛みとともに覚えました。


スパルタでしょ?(笑)


本気で お尻が痣だらけでしたよ。


こーなると 確かに Castigo 罰  ですな。



現代をもって こんな教え方したら
ネットで書き込みされて ディスられる ってとこですかね。。。




私も あの当時 師匠に対して
こんなに痣になるほど やらせるだなんて ひどいな なんて気持ちが
ひょっとしたら あったかもしれませんが


でも  どーすれば 体で覚えるかをよくわかってる
師匠の言葉に従ったことを 今ではやっぱり良かったとしか
思えませんし、

感謝しています。



罰 を受けるような痛みの中
自分で自分の体を研究し、考えに考えて

前ボレオが出来るようになりました。


めでたし めでたし。



あ、良い子の皆さまは真似しないで下さいね。
痛いですから。

軸足の上で体絞って、研究しましょう。










ってゆーか、
忘れてるもんだなー 



ぜんっぜん そんな言葉 初耳かとばかり思ってたー。
まさかのルーツにあったーー。


   チーン。











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2019年11月5日火曜日

タンゴ衣装の失敗

昨日 発表会の話を書いたのですが


私も 師匠の元にいて 発表会をしていた頃がありまして


師匠が口を酸っぱくして 教えてくれたことの1つに

出演する生徒さんの衣装を 必ずちゃんと見てあげなさい という点です。



生徒さんは せっかく お友達やご両親が見に来てくれる
晴れの日なので、自分の好きな 素敵な衣装を
着たいものですけども


やっぱり日頃の練習とは勝手が違うと
思わぬトラブルがあったりするものなんですね。


意外と多いのは 衣装がまわっちゃう ことです。


体の中心で 絞りのある動きをするタンゴですが

女性のドレスはいつもの布で出来た練習着と比べ
サテンなど 滑る素材が多く
布の面積も小さいので

絞りにともなって 意外とぐるぐるまわるものなのです。


それで、本来 背中にリボン結びされてるようなデザインだと

曲の中盤で リボンが脇まで移動してしまい
ほどけてしまう なんてこともありえます。


プロの衣装は 動きを理解してる人がつくると
ワンピースの 内側に インナーベルトを通してあって

どんな動きをしても安定されるように作ってあるものなんです。



衣装や 身に付けてるものに 何か どんなに小さなことでも
アクシデントがあった場合

まず 本人が 慌ててしまい 集中力が途切れ 失敗します。

そして 何よりもったいないのが、

もう客席の誰も 踊りを見ていないことなのです。


踊りより ほどけたリボンの危なっかしさばかりハラハラしてしまって

踊りなんか ぜんぜん見てないのです。


せっかく何ヶ月も高いお金をかけて練習してきたのに
本当にもったいないですよね。




私のいた舞踊団では
ストッキングまで決まってました。

群舞のときは、全員並んでストッキングの色も揃えてました。



それで、
私が 独立したあと、

当然 どんなストッキングだろうがどんな衣装だろうが自由になった と
喜んでいたのですが・・


そんな 気の緩みから 大失敗をしたことがあります。




おぎりんと どっかの地方のショーに行った時ですが


舞踊団時代のストッキングから解放されたのをいいことに

網タイツを履いて ルンルン気分でした。


それが、
いざ 本番   踊り始めて イントロから 曲に入るとき

足をあげて 男性の腰にかけ ポーズをとったら


なんと 網が  網が  網が

おぎりんのスーツのジャケットの
ボタンに引っかかってしまったではありませんか!

そんで これが とれない!!!!!

足あげっぱなしで 無情に音楽が流れ続ける・・・

慌てて 引っ張る  引っ張る  引っ張る

引き千切るーーーーっ

とーーれーーたーーーーーっっ 


みたいな  ね。


ものすごく長い時間に感じましたけど
2フレーズ分 飛んじゃったくらいだったかなあ・・

会場には 完全にバレてましたね。

ザワザワと「引っかかったのね」 という冷ややかな囁き声が
聞こえてましたからね。




さて
こちらの動画は 超絶 早い動きのショーダンサー。
靴が途中で脱げちゃいました。

バレエ系な方って 足をトウシューズ履いてる感覚で
縮めるような動きするから

浅履きのタンゴシューズだと  この事件多いんですよね。


もう 他にも この事件は何人も見てます。



こちら  最後まで果敢に踊りきってます。

この場合 動き早すぎて 誰にも気づかれてないと思うけどねー。










首の皮一枚 ならぬ
ストラップだけでぶら下がる みたいな。






また明日!




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2019年9月19日木曜日

遠い記憶のへんな話 PORQUE LA QUISE TANTO

先日、師匠がブエノス行った時
デカイ石 買ってくれた話を書きました。


あの時のブエノスなのか、別な時だったか
記憶が曖昧なんだけど


いつもなら ブエノス行く時は、舞踊団の先輩たちが
みんな一緒に行く って感じだったんです。

それが、たまたま人数が少なかったのか・・・

師匠と 私と・・数人くらいしか いなかった時がありまして



そもそも 当時 20数年前ですね

タンゴ業界に若者はまったくいませんでしたから

私の周りは 大人ばかりで(笑)  ポツンとお嬢ちゃんがいる って感じだったんですよ(笑)


いえ、20歳も過ぎてるのにお嬢ちゃんはないだろ と思われるでしょうが


ほんとに けっこーな大人っちゅーか 超大人 ばかりでしたからね
感覚的にはですね  お嬢ちゃんですよ



そう、それで

何を思ったか たぶん 師匠が 私が話し相手もいなくて
かわいそうだと思ったらしく



ブエノスで デートを斡旋してくれたことがあるんですよね(笑)


ウケるでしょ?



あのねー、 アルゼンチンって言ったらサッカーですよね。

それで、当時 すでにポツポツ日本人の男の子がサッカー留学してたりってのが
あったんですよね。


師匠がそんな男の子の知り合いなんているわけもなく


たぶんね、ママに頼んだんですよ。


ママってのは ブエノスに住む 日系人のスズキさんの奥さんで、
師匠とスズキさんは仲の良い友人でした。

いつでもブエノスへ行く時は スズキさんを頼ったのです。

それで、ママもとても頼りになる太っちょのお母さんでした。

   怖いけどね。


スズキさんと ママは私のことを ニーニャ(お嬢ちゃん)と
呼んでました。


余談だけど、E君を紹介してくれたのもスズキさんなんですよ。
その話はまた今度。




ああ、それで
師匠は 私が退屈すると思ったのか、どーいうつもりなのか知りませんが

スズキさんに 私のデート係に合う男いないか 聞いたんだと思うんです。


今にして思えば ですよ。


それで、スズキさんは サッカー留学に来てる日本人の世話役もやったり
してたのでしょう。
その中の一人を 寄越したってわけだと思うのです。


でもなー、男の子ったって 10代って感じじゃなかったし・・
なんだったんだろ?
留学じゃなくて、サッカー関係の仕事だったのかなぁ?




あるとき、泊まってたホテルのロビーへ降りていったら、
師匠と その若い男が話してるんですよ。

それで、私を手招きすると、

「彼に街の案内をしてもらいなさい。
   彼はスペイン語もできるから。」

なんて言うんですよね。


なんで、ここに日本人がいるんだろ? とか

よく理解できないまま、 師匠の言うことは一応絶対ですので
その男の子と出掛けたわけです。


ブエノスにしちゃ きれいな ショピングモールみたいなとこ
連れてってもらったかなー?

カフェに入って、
タンゴが大好きだ という話をして、

彼は タンゴはまったくわからない と言ってて、

プグリエーセの曲を聞かせたけど

 「まったく知らない」 と言われ。 ←そりゃそーだ


 この曲のことだけは やけに鮮明に覚えてて
 Por Que La Quise Tanto (ポルケ ラ キセ タント)って
 プグリエーセの中でも 指折りの暗い曲!!
 ドン底に暗い。よりによって(笑)



確実に 初対面の若い二人が 初デートで聞く曲ではない!!!





うおーーー。 久しぶりに聴いた! くらっー!!





で、また翌日だったか どーだったか

今度は師匠が 川下りに連れっててやる。
彼ももう誘ってある とか言うわけですよ。


そんで、 若いもんを二人に   みたいな感じで

明らかに くっつけられてるわけです。


意味わかんないでしょ?(笑)


そんで、なんだか 私は だんだん腹立たしくなってきて
川下りの船の上で、ずっと不機嫌でした。


彼も 私が どんどん不機嫌になってゆくので
どーしたものか困ったでしょうね。





それっきりです。

その男の子の名前も忘れてしまったし、
写真1枚残ってないし、

当時はまだ E-メールなんて 一般的ではなかったですから。

連絡の手段もない。



師匠はね、昔の人だったので、
マジで意味のわかんないことあり過ぎでしたけどね、

たぶん 師匠なりの なにか があったのでしょう。


まあ、やっぱり 遠い国で 寂しい思いをさせてたらかわいそう とか
  他はみんな じじーだし

あとね、



師匠はね、 ちょっと私をバカにしてたんですよね。

タンゴは 大人の踊りだから  赤ちゃんには踊れないんだぞ  なんて言ってね


それで、よく 男と遊んでこい って言ってました。


すっごく毎日 お稽古が厳しかったですから

だったら遊ぶ時間くれよ  とか心の中で言い返してましたからね。




ああ、それで、あのじじー(師匠)のことですから
ほんとに 遊ぶ男を与えたつもりだったのかもしれません(笑)




バカにすんな。
あてがわれなくとも いっぱいいるわ!

と 言ってやりゃよかったね。


師匠は 本当に本当に タンゴというものをつくりあげるための
情熱はすざまじい気迫のある人で




タンゴというのは 人生そのものだから

男と遊ぶのもそう

憎んだり
憎まれたり
ぶっ殺したくなったり
泣いたり
笑ったり
そして 愛したり



たくさんの感情の経験が

タンゴになるんだって

本気でいつもいつも言ってました。


泥臭いものも含めて それがタンゴになる
泥臭いものがないなら タンゴにはならない と。




さっきの曲。
ポルケ ラ  キセ タント = 「なぜこんなにも愛してしまうのか」


この曲には 確かに
愛も 憎しみも 悲しみも 泥臭いものが つまってて。


お嬢ちゃんな 私もこんな重い曲で
タンゴに浸かって 育ったわけで。。。




ああ、あの彼。
遠い記憶のへんな思い出の彼。

あんなに不機嫌に連れまわして ごめんね って
謝りたいわー。




それから 数年後。
スズキさんも死んじゃった。




遠い記憶のへんな話。




また明日^^





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2019年9月4日水曜日

ウマワカ渓谷と師匠の思い出

先日 アルゼンチン ウマワカ渓谷で 日本人観光客の方が
事故で亡くなられた ニュース やってましたね。

せっかく定年退職されて 南米旅行を楽しまれてただろーに
お気の毒です。

ウマワカ渓谷 はボリビアやチリに近いので
他にも世界遺産 たくさんありますしね。
その辺りもまわられたんだろーな。

ご冥福をお祈りいたします。



砂利道で滑落されたとか。

つい数ヶ月前にも 他の観光客で同様の事故があったといいますが

そんなに 危険剥き出しなんですかね・・・

こわ。


てっきり強盗とか 事件かと思いましたが、

日本人観光客も極めて少なく、治安も良いそうです。



ほんんっと 田舎ですよ、きっと。



でも 私も あの素晴らしい雄大な自然からつくられる7色の丘やら
14色の丘やらは 一度は見てみたいと思っています。


























この南米特有の赤土の雰囲気、スケールの大きさが圧巻ですな。

ブラジルも含め 鉱物、鉱石、天然石など 宝の山ですよね。


ブエノスからも直行便がありアクセスは良いらしいのですが
かなり時間かかるんじゃないかなー。。。?
遠そうだなあ。。。 でも 3時間弱くらいで行けるかな?



私、これだけ何度もアルゼンチンへ行ってても
毎度 ブエノスへ踊りに行ってるので、実は他の観光地には
ぜんせん行ってないのです。

生徒さん達と行く時は イグアスの滝はマストなんですけどね。
それだけ。



私としては、やっぱり一度はパタゴニアに行ってみたい と
今は思います。


夏になると(日本のお正月頃)南極ツアーも始まりますよ。


モリノ氷河なんてのも見に行ってみたいなー。。。。


コレ ↓

























その昔 私の師匠 小林先生が モリノ氷河に連れっててやる と
誘って下さったのに(ブエノス滞在中のはなし)

当時 まだ若くて ブイブイだった私は
観光なんぞに じじー(師匠)と行くより
ミロンガで毎晩踊りたい と思ったので

あっさり「やだ。行かない」と答えたことを
ハッキリ記憶しております。


後悔。。。。     (笑)





しかも、

ブラジルあたり行った時だったかなあ・・・

なんかね   あの変 って 珍しい石とかゴロゴロ売ってんですよ。

売店で(笑)


そんで、全力でいらない!って断ってんのに

これは珍しいスゴイ石だから買ってあげると言って

何百年前だかの水が閉じ込められた 石を じじー(師匠)が
買ってくれまして。


それが もー   重いのなんのって。


超 めいわくーーー っ   とブーブー言ったことも
思い出でございます。



じじー(師匠) は  すごい怖い人でしたが
普段や、特にブエノスへ行った時は、それはそれは私を甘やかし
ものすごく可愛がってくれました。



ふふん。


でも 当時の 若かった私は 何百年前のどーのこーのの石より

小さなキラッと光る石がついた ネックレスとかのほーがいいに
きまってんじゃん   そっち買ってよ 軽いし  とか言ってました(笑)


あ、でも 重いから 確か じじー(師匠)が持ってくれました(笑)




はは。

(;´▽`A``




こうして 可愛がってもらって
たくさん教わったおかげで 今の私があります。


じじー(師匠) ありがとう。




また明日。



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