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2020年5月14日木曜日

久しぶりに E君 ごあいさつ



見て見てーー





あ、アルパカのアルフィーじゃなくて。
右上2つのアプリ!

ストアカ と スラックのアプリが激似ーーー!!



え?  どーでもいい?



はい、失礼しました。




でも、ストアカ。

わたくし 先生としての登録をしたわけですが
「どれどれ ちょっとどんな講座があるか参考に・・・」
なんつって つい色々見ちゃうわけですよ。


そーすると  「お! これ面白そう」 なんつって

ミイラ取りがミイラになっちまうわけです(笑)


暇だと思うツボですな。 








ところで、昨日 久しぶりにE君とチャットしたんです。

最近 ものすごくシンクロニシティが多くて、

つい先日も ここにCite Tango のこと書いた時、あのときは
チチョの動画を載せましたが、

あれこれYouTube見てて  E君の踊るCiteTangoもかっこいいんだけどなー・・って
ちょっと思ってた矢先、

A子さんから 「E君のCiteTangoもいいですよねー」ってメールがきて


ひーーーーっっ って声にならないほど驚いたり・・・




そしたら先日  超 久しぶりに私のインスタの何かの写真に
E君が「いいね」してくれてまして


へーえ・・インスタ開くなんて珍しいわね・・・  って思いつつスルーして・・・




そしたら
昨日は オンサロの中でも E君の話題が出たりしたので


なんか 呼んでるかも・・・と思って チャットしてみた次第です。



元気そうですな。



こっちから日本へ来たときの写真送ったら
そこから 色々写真の話になって

ずいぶん昔のものまでひっぱり出してきて  たくさんもらいました。





あ、これは昔のじゃないけど
3−4年前?  日本呼んだときのね。

新宿かな?





ちょっと素敵な写真だね。

これで見ると、撮ったのは私っぽいけど、

私こんなの持ってた記憶がないんだけどな・・。


なんだか忘れちゃったけど  とにかくE君が持ってて
くれた。





これも E君が撮ってんのかなぁ??
何?  どんだけ腕長いの??





鎌倉だな。 これは。








ブエノスも徐々に自粛解除な様子ですけど、

クラブや スポーツジム  そしてミロンガは まだまだ禁止のようですな。





とにかくE君、お元気ならよろし。






皆さまも 今日もお元気で!  すてきな1日になりますように♩








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2017年3月30日木曜日

オスワルド・プグリエーセ

昨日のインスタグラムに載せたプグリエーセの写真はコレです。

うちの壁に貼ってあります。




Osvaldo Pugliese オスワルド・プグリエーセです。

プグリエーセについては これまでにも何度も書いてるので
お馴染みですけども。。


プグリエーセは私がタンゴを始める 2−3年前に亡くなりましたから・・
もう没後 27- 28年経ってるのかな?

初めてか・・2回めくらいに ブエノスへ行った時、
ちょうど日亜修好100周年記念の時でして、
日本会館だったか なんだかで光栄にも踊らせて頂いた経験があります。

その時、ゲストでプグリエーセの未亡人がお見えになっていて

それはもう非常に緊張しまして、

なんか 一言 二言 お声を掛けて頂いた記憶はあるのですが
舞い上がっていて 内容はさっぱり覚えていないという
もったいない話です。

当時は日本人のこんな若いのがタンゴ踊ってるなんて
超超珍しかったのですよね。



私が独立して すぐの頃 巷で賑わってた数少ないミロンガ(日本の話)の
ほとんどはプグリエーセをバンバンかけてました。

信じられないでしょう?


思えば 私が 本当にタンゴを踊る ということを深く知ったのは
プグリエーセがあったから だと思います。

タンゴの独特なロマシティズム・センチミエント・孤独 ・・・・などは
20代の私には 難しかったのです。
しかしそれを プグリエーセが音楽で教えてくれたのだと思います。


プグリエーセのあまりにも有名な代表曲「ラ・シュンバ」をめぐって
E君と ひどく喧嘩をしたことも 記憶に鮮明です。

うん、前にもどっかに書いたことがあったかな?
重複を確認するソースを探すのが面倒なので また書いちゃいますけども

私は 当時 ラ・シュンバが嫌いだったのです。

あの、あまりにも強いリズム。刻みが嫌いでした。


当時から私は 自分の体の小ささ、細さ に対して とても強くコンプレックスを
抱いていて、力強い表現を求められるものは ことごとくキャストから
外されており・・・

まあ、今でもこのコンプレックスは変わりませんけど

それでも 今は ヨーロッパの人達のタンゴダンサーがかなり増え、
ダンサーの体型も大きく変わってきた という流れなどを見て
色々思うところもあったりします。


ああ、それで ラ・シュンバは踊りたくなかった。

E君は「シュンバを踊らないタンゴダンサーなんかこの世の中いないんだ、
お前はバカか」というような ことをですね、
まあ、そんな風に喧嘩してたわけです。

そのまま、素直に 「私にはシュンバの力強い表現は苦手だから
難しいのよ、ごめんね」って言えばそれできっと済んだでしょうにね。

言えなかったんですよね。


アルゼンチンの女性は みんな肉感的で グラマラスに大胆に表現する
ダンサーばかりですからね、
アルゼンチン女性をよく知る E君に比較されたくなかったのでしょうね。


そんな思い出もありますが、それでも プグリエーセが好きです。

世界三大劇場、コロン劇場のプグちゃん


ブエノスへ行ったら このコロン劇場はやっぱり見た方がいいと思いますよね。
古いからいつでもどっか修理してますけど。


この写真も大好き。
永遠の酔っぱらい(笑)歌手、ゴチェネチェ(Roberto Goyeneche) に無理矢理キスされるプグちゃん。




ゴチェネチェこそ、ミロンガ用タンゴしか聞いたことがない方に
とっては 誰このおっさん 的なヒトだと思いますが

素晴らしいのですよ。魂の歌手です。

トロイロのSur とか 有名な曲はたくさんありますが

私は特に ピアソラ(Astor Piazzola)とのコレがたまらなく好きです。
Vuelvo al Sur」南へ帰る という曲です。





いやー、タンゴって
本当に素晴らしいですね!!


もっぺん聞いとこ。。



2016年9月26日月曜日

また会う日まで

昨日、E君は 夜遅い便で また世界のどこかへ旅立ってゆきました。


疲れが出てしまったのか おぎりんが熱を出し、
ついで私も熱が出てきました。

今回は 正直言って心がしんどいスペシャルウィークとなってしまいました。


人間はとてもうまく出来ていて、辛い記憶は完全にフタをして
容易には取り出せない仕組みになっている ということが
よーくわかりました。

日に日に 18年前のことを思い出してきていたわけですが、
ミロンガの前日 特に あの日々が夢に出てきて、
朝起きたら汗びっしょりかいていて 涙で顔もぐちゃぐちゃでした。


それでも 今回ばっかりは本当にがんばらなきゃ と
この前の記事で書いたように 踏ん張ったわけですけど

E君が帰るときになって、まだフタが開ききってなかったことを知りました。
二重蓋になって閉じていたとはまた頑丈な・・・・

辛い記憶と向かい合うのは しんどいことです。


でも 神様は 乗り越えられる準備が出来たからこそ
その蓋を開けさせたのだろうと思っています。

私自身が 私の成長を願ったから 今回の機会は与えられたのでしょう。


すべての この流れに感謝します。




ああ、曲。
1曲めに踊ったのは カナロのカント。

なんとE君はこの曲を知らないと言うのです。びっくりです。
いい曲だね  ですって。

2曲めは 皆さんにとりましても懐かしい だんご3兄弟。
当時これを本当にどれだけ踊ったことか・・・
全国あちこち踊り歩きました。
(この曲 耳にこびりつくのよね・・・・)

お話の後で踊ったのは ミゲル・カロの タバコ。
これは私がぜんぜん知らなかった曲です。

最後のエナジーフロウは 前日にE君が坂本龍一は素晴らしいと
言い出し、踊れるかなぁ と1回試してみてありましたので、
それを持ってきたわけです。


さあ、これで このE君シリーズのお話はおしまいです。

皆様 どうもありがとうございました!





追憶

2016年9月23日金曜日

テストの合格通知。届きました。

小さい頃から なぜ同じ人間同士が憎しみ合う戦争があるのか
ということを ずっと思っていました。

なぜ肌の色が違うことから憎しみが生まれるのか、ということを
ずっとずっと思っていました。


大人になって、私がタンゴを職業に生きていくことを決めた
その時出会ったのが E君でした。

私達は いがみ合い、喧嘩ばかりしてました。



どうして人が憎しみ合い、戦争や差別が生まれるのか・・・


日本の反対側の国に生まれたE君との出会いは
私の人生においての1つのテストだったのだと思います。

実際に苦しみと憎しみを体験し、
そして自分自身で解決させることが。


E君にとってもまったく同じく、貧富の差や差別からくる
争いに対しての苦悩を抱え、だからこそ今 タンゴを教えることで
愛を伝えることをしているのに、
その出発点で 私といがみ合ってしまった後悔を抱えていました。


タンゴというのは、相手がどの国の人であれ、
言葉が通じなくても、
肌や瞳の色が違っても、
誰とでも「感じ合う」ことで心を通わせられるダンスであるのに。

私達はそれを職業としているのに・・・・。


お互い、本当に同じ気持を抱え続けていたことを知り、
そして今、それを解消するチャンスを与えられた。


E君とは、メールでの和解、去年の再会を果たし
仲直りできましたが、
本当の意味で この問題を解決させる方法は、私たちにとって
タンゴを踊ること以外にありません。

18年前は 振付たものを 音が鳴れば自動的にカラダが動くような
振りを 機械的にひたすら踊っていました。


今回は全曲即興にしよう、と初めから考えてあり、
ミロンガが始まる1時間前に二人で曲を決めました。

本当に心を開いて、相手のすべてを感じて踊る即興でしか
このテストをパスする術はないでしょうから。


人生のテストをパスする準備は何年もかけて少しずつ
行われていたのだと思います。

その準備の1つに ハビエルとE君が出会ったこと。

ハビエルと私が出会ったこと。


そして、私とおぎりんとの出会い。

寛大に この企画を遂行し、常に私を励まし、支え続けてくれました。

おぎりんの存在がなければ 絶対にこの企画はなかったと思います。




あのミロンガの日は秋分の日でしたね。


ご先祖様の中にも、同じ苦悩を抱えた方がいて、
私もそれを受け継ぎ・・・
パスすることを託されたのかな、なんていう風にも思います。


何か 大きな力に動かされて、昨日という日があった感じがします。



昨日踊った曲についてのご質問なども頂いてるので、
そのあたりはまた次回、書きますね。


とりいそぎ・・・

お越し下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。

深謝。


2016年9月22日木曜日

9/21水曜日の備忘録 その2

ワルツには2パターンの

シンコペーションがあってね


上に登っていくような感じのものと

下に落ちて終わるようなもの

この2つの使い分けを理解しておくと

色んな発展のために楽になるよ



9/21水曜日の備忘録 その1



 ミロンガのリズムってだいたい早いよね

  だから男性にとって大事なのは

 まず 女性のことを落ち着かせてあげること


落ち着いて 大丈夫だよ って

声をかけるように  相手を感じて


  それから 少しずつ

  色んな動きで遊んでいくといいよ


2016年9月20日火曜日

9/19月曜日の備忘録


即興とは

 つまり 1歩から

 あるいは 1つの要素から 

 無数の可能性を探ることを言うんだよ


そのために、 二人の間に会話があること。

これが即興には欠かせない

   大切なことなんだよ。


2016年9月19日月曜日

9/18 日曜日 の備忘録



タンゴは誰とでも
  どんなヒト同士でも 
踊るものなんだよ。

  貧乏なヒト


  金持ちなヒト

  背の高いヒト

  背の低いヒト

  かっこいいヒト

  かっこよくないヒト


 そんなこと関係ないんだよ。 


   そしてそれぞれに個性があって  それでいいんだよ。


 

2016年9月17日土曜日

9/17 土曜日の備忘録



「タンゴってね 

   シークエンスよりもね

   愛をもって

   相手に敬意を持って 

 会話をするように踊る ってことが

  もっとも大切なことなんだよ。」





2016年5月10日火曜日

愛をもって思い出としましょう その後のその2

つづきです。

スタジオのドアが開き、二人同時に駆け寄りました。

感動的な再会ではあるのですが、どーいうわけか
二人して同時にゲラゲラゲラゲラ大爆笑してしまったのです。

それはもう ゲラゲラゲラゲラ

互いの顔指差して ゲラゲラゲラゲラ

頭おかしくなっちゃった人達みたいに ゲラゲラ

抱き合って 涙ながして ヒーヒー言って またゲラゲラ


なんだか よくわからない感じになってしまったのです。


でも、もちろん私は ものすごく安心してました。


 この人 変わんなーーーい


むこうもそう思ってゲラゲラ笑ったのでしょうね。


クラスが始まりました。


「 HAJIMEMASHO-- !!  MAZUWA ARUKU --!!!」

日本語。
覚えてたみたいです。
このレッスンの始め方も。

何度も互いに顔を見合わせてニンマリしました。

「 そうそう!こんな感じだったよね」 という感じで、

ぐわーーーっとタイムスリップしてゆくような、
一気に17年前のあの日に戻ったような感覚が不思議でたまりませんでした。


途中、通訳をする私を 目を丸くして顔をのぞきこみ

 「ほんとに? そんなにスペイン語出来るようになったの?
  SU- GO - I !!!」 

と驚いてました。


レッスンを進めるうちに
 KAWARIMASHO とか YAWARAKAKU とか 

 HAYAKU とか

どんどん記憶が蘇ってくるようで
自分でも口に出す度に驚いた顔をしてました。

しまいには

 「WATASHIWA - ATAMA I I  DAKARA -  」

と言い出しました。

語尾に 「だから」をつけるのは彼の日本語の特徴です。


  彼の日本語の原点はつまり私の日本語によるもので、
  私のスペイン語の原点はつまり E君によるもの ですけどね。



彼の日本語の最も最も素晴らしいのは

「ARIGATA I  KOTODE GOZAIMASU」というやつです(笑)

素晴らしいでしょ?


数日間のレッスンスケジュール

その内容もそれはそれは素晴らしいものでした。


何と言っても レッスンが上手!!!

イントロダクションのリズムの練習から 自然にバリエーションへ
生徒を誘導してゆくのが、驚くほど上手でした。


何日目かで、他のメンバーは全員ディナーショーへ行く日、
私だけ 抜けさせてもらい
E君とデートをしました。
もちろん おぎりんにも了解をもらってね ∥ヘ(′ェ`)ゝ


パレルモ地区という 若い人が多く、外国のレストランや
ブティックが集まってる街を歩きました。

ご飯を食べるとき、お肉を注文したので

「あなた菜食主義になったかと思ってたよ」と言ったら

「NO。 前はそうだったけど・・・・ 今はやめたよ」と

少し暗い表情になってしまいました。


ベジタリアンの話は、実はアナベラ(マリオ&アナベラのアナベラ)からウワサ話を聞いていたのです。


アナベラがヨーロッパでの仕事の時、E君と会ったことがある というので
私は思わず飛びつきました。

アナベラは 私が以前一緒に仕事をしていたと知り、しばらくは言いにくそうに
してましたが・・

「なんていうか、彼・・・少しナーバスなのかな?
 すごく小さな大根とかしか食べないんだよ?
 アンラッキーなことに、そのフェスティバルはマクロビオティックの
 ダンサーが多かったから、食事が少なくてさー」

つまりマリオが死んじゃうよね <(; ^ ー^) っていう話だったのですが

私はそれを聞いて、そうか それであんなに痩せたのか・・・と

悲しい気持ちになりました。



日本での1年間、E君の可愛いお顔は あっという間に
ひどいニキビだらけになったのです。


アルゼンチンというのは 今でもそうだけど、極めて添加物などの影響が
少なく、どこのレストランも 塩・コショウ・バルサミコ酢・オリーブオイル
だいたいこれで何でも食べちゃう感じです。

もちろんマックとかもあるんですけどね、
でもマックのセットで¥1,000-くらいしちゃったりしますから、
観光客か外国のビジネスマンが食べるという印象で。


それが急に日本で、セブン-イレブンのカルボナーラとか
ローソンのからあげクンとか、そんなのばっかり食べるようになったんですから。

今の私としては それがどれほど身体に大きな負担がかかってたか
よくわかります。
身体というより 魂の叫びが聞こえてきそうですよね。


あの頃の私はそれをちっともわかってあげなれなかった。
食べ物のストレス。
しかも 遠い 遠い 地球の裏側の食べ物・・・・・・。

それからすぐにヨーロッパ。

もう一体何を食べたらいいのか、わからなくなってしまったのかも
しれないですよね。




日本での1年を終え、本当に休みたかったんですって。

もうヘトヘトだったんですって。


それが、どーしたことか すぐに知人から
ミレーナ・プレブスがパートナーのオーディションをするから
受けたほうがいい、と言われ


「冗談じゃない もう沢山だ って思ったけど 断りきれなくて・・・
 で、行ったら、受かちゃって・・・

 すぐに世界中の公演が始まって、そこからはもう記憶にないくらい
 忙しくて・・  ああ、ごめん もう話せないよ
 とにかく僕はもう 僕でなくなったんだ。」





ミレーナ・プレブス。

女性のタンゴダンサーとして世界で最も有名な人 と言っても
いいでしょうね。

2011年2月の ここで そのことを書いてます。

この時の記事としては

サクッと 「ミゲルとミレーナがペア解消をし、ミレーナは別の人と組んで
活躍中です」と書いてますが

その「別の人」こそが E君です


この記事でも書いてあるように ミレーナの舞台「タンゴ・ポル・ドス」は
ブエノスでも本当に人気のある舞台で、
コリエンテス通りという劇場が立ち並ぶ大通りがあるのですが、
チケットを求める大衆がズラーっと行列をつくってました。


「今は、しばらくはブエノスに居たくてのんびりしてるんだけど・・
ここに居ても実はあんまり仕事がなくてね、
観光シーズンじゃないと なかなかね。

だから ジュンコがレッスンのコーディネートしてくれて
本当はすごく助かったんだー。

それに、ここ数日、君たちのレッスンをしてて
僕は完全に思い出したよ。 僕はレッスンをするのが大好きだって。

レッスンが上手? 君と言い合いしながら どんなレッスンがベストなのか
君とともに学んだんだよ!
僕はそれを思い出させてもらって 本当に感謝してるよ。


ブエノスに居ればお金がない(笑)
ヨーロッパに出れば 仕事があるけど・・ストレスがたまる。

あ〜あ・・・・


君の生徒さん達は素晴らしいね。 習得が上手で、
教えるのがとっても楽しいよ。

君はいいね。 いつも同じ生徒さんが君の手によって
どんどん踊れるようになってゆく というのは どんなに素晴らしいか・・・
僕は羨ましいよ」



こんな話をしたデートの写真は、
その時インスタグラムに載せました。

 「有難いことで御座います」と言ってます(笑)



最後の日、

別れ際に

「あのね、やっぱり来年、ヨーロッパに行くことにしたよ。
 教えることを、またやってみようかと思う。

 その気持にさせてくれたのは君たちのお陰だよ。
 どうもありがとう。」

   そう言ってました。


私は左へ曲がるから、
僕は右へ曲がるから、

じゃあ、通りを挟んでそれぞれ歩こう と

通りの向こう側から 何度も何度も何度も何度も手を振りました。



また、いつの日か

会えるでしょう。


お互い元気で、がんばりましょうね。 E君。


AR I GATA I KOTODE   GOZAIMASU !!!



-- END --













2016年5月6日金曜日

愛をもって思い出としましょう その後のその1

と、いうわけで

1日目のトークショーにお越し頂いた方は

  ははーん あの人はこの人だったんだー  と

膝をうったことと思いますけども


2011年11月に書いた
「愛をもって思い出としましょう」その1 、 その2 に登場した
E君の動画をご覧いただいたわけでございます。


昨年、10月に
ずいぶん久しぶりにブエノスへ行ってきました。
5年ぶりとか とにかくすごい久しぶりだったのですけど、

長く通って下さってる気のおけない仲間たちを引き連れ
なんだかんだで大所帯になってゾロゾロ行ってきました。

まったくもって気のおけない仲間たちだったので
もう超〜〜楽ちんで(私が)すごく楽しかったです。

楽ちん というのは、
いままでの経験からいくと 生徒さんと一緒に行くとき
ツアーガイドよろしく 1から10までずっとつきっきりで
通訳しながらウロウロします。

なにしろどこ歩いてもあぶない街なので、心配で仕方ないのです。

それが今回はどーしたことか 半分男性の参加だったので
それならむしろ私よりボディーガードとして役立つだろうと、

彼らを街の中へザップーーンと放り投げた次第です。


おかげで私はデートをする時間まで出来ました。


デートのお相手はE君です。


ふふん。



いつもブエノスへ行くときは、あらかじめ現地の先生を予約しておいて
特別カリキュラムを組んでもらい
ぎっちりレッスンスケジュールを立てます。

今回はE君と、パブロ&アニータの 2パターンのクラスを
コーディネイトしておいたわけです。

E君とは 例の話以来、フェイスブックのメッセージで
何度かやりとりを続けていました。

 お誕生日おめでとう  とか
 小林先生が亡くなった話 とか
   (E君にとっても私にとっても大事な人でしたから)
 共通の友人の話題 とか

そんな感じで。


ブエノスへ行く 数カ月前
E君にメールをしました。


 久しぶりにブエノスへ行きます。
 生徒さんと10数名になりますが、あなたにレッスンを
 してもらいたいのですが・・・どうでしょう? と。


気持ち良い快諾のお返事が来まして、
トントン拍子で話は進みましたが・・・・


私にとっては複雑なところや不安も・・やっぱり少しありました。


彼は もう世界のトップスターなのです。

私・・・図々しいんじゃないか?

あの頃、私と一緒にペアを組んで1年仕事をした
あのE君とは違うし・・
ギャラは高いし・・・
なにより・・・・・・それでもやっぱり17年ぶりの再会が
なんだか怖かったのです。


どんな顔して会えると言うのだ・・・・


ようやくメールで和解して「いつか会いましょうね」と言い合ったけど・・

でも。



ブエノスに到着し、いよいよレッスン当日。
ブエノスで予約しておいたスタジオで
先に到着していた私は、窓のむこうに こちらへ歩いてくる
E君の姿を見つけました。



つづきはまたね(・∀・)






  

2011年11月7日月曜日

愛をもって思い出としましょう その3



「愛をもって思い出としましょう」

E君からのお返事には そう書かれていました。


  自分も今 元気でブエノスアイレスに住んでいること。
  主にヨーロッパでの仕事が多く、エキシビジョンやクラスを
  してまわっていること。


まずは近況が報告されており、
Facebookからお友達の申請をした経緯は
ハビエルはE君の親友であり、ハビエルが日本へ行った話を聞いて、
その中に JUNKO の名前がでてきたことで、
そのときは気付かなかったけど、後になって気づき、驚いた という
ことが書かれていました。

そしてハビエルやカーラとのアクティビティから繋がったんだよ と。



  自分にとって日本での記憶は非常に強いものであること。
  文化の違いなど、たくさんのことを学び、
  確実に自分の人生の中にあの1年間の出来事がある という事実。
  自分もまだ若く、確かに一緒に仕事をするのはお互いに
  大変なこともあったし、あなたに辛くあたってしまったことを
  自分も謝りたい気持ちであること。
  
  しかし、あのときの状況は、お互いにとって難しかった。


  いずれにしても それらもすべて
  愛をもって思い出としましょう。


そのようなことが とても誠実に書かれていました。



そして

  スペイン語上手になった Ne !


と 語尾に「ね」をつけてありました。


HONTONI DOUMO ARIGATOU という日本語も
SUBARASHII という言葉もまだ覚えていたようです。



当時の苦い記憶も、時間がたってお互いに思い出となりました。

お互いに その後たくさんのことを経験し、感謝の気持ちを少しずつ
覚えたとき、過去の嫌な出来事もまた 愛をもって思い出に変えることが

ようやく  ようやく 出来たのです。


私に謝罪と感謝の言葉を届けるきっかけをくれ、
歩み寄ってくれたE君にあらためて感謝しています。


  きっといつの日かまた会いましょう。

E君からのメッセージは そう締められていました。



長い時間の 大きなしこりがゴロッと落ちたような気分です。




14年前
E君に対して思いやりがなかっただけでなく、
私は先生(私の先生 ね、当時の)に対して感謝の気持ちが
希薄だったから E君との間に摩擦もでてしまったのだろうと
思います。

人を一人 1年間呼び寄せるには 相当の資金や労力が必要とされます。

アパートの用意
皿ひとつ、石鹸ひとつから揃えなければならない
ビザの申請

それら細々とした一切をしてくれた先生に対し、もっともっと
感謝の気持ちを持っていれば あるいはもう少し
E君を理解し、受け止めることが出来たのではないか・・・・・


いや、今となってはあれこれ考えたところで仕方のないことです。



それらもすべて

愛をもって思い出としましょう




('∀`)








2011年11月6日日曜日

愛をもって思い出としましょう その2


Facebookを いじくりまわすようになって 3年くらいたつかな?
ブエノスのお友達など、
外国人チームとの交流用に と使ってみたのですが

ブエノスはものすごーくFacebookが盛んです。
タンゴダンサーで使ってないやついないだろ って感じです。


ともかく使い方がイマイチわからなくて面倒になって
ほったらかしてました。

でも、数ヶ月前には
遅ればせながらLa Cumparsita のページも作り、
お友達も国内外関わらず増えて、かなり楽しめるようになってきました。



え?
大丈夫です。

ちゃんと昨日のお話の続きをしますから。



そのFacebookで、E君からお友達の申請をいただいたんです。







泣きそうでした。。・゚・(ノε`)・゚・。


いや 実際 泣きました。






どうやら、私のお友達と、E君のお友達の交流はクロスしてるところが
多いようで、
実は 私ももっともっと もっと以前から E君のアクティビティをFacebook上で
目撃はしていました。

それどころか、インターネットが普及し、
YouTubeの台頭によって E君の活躍は逃すことなく
追ってました。


E君は、私と一緒に仕事をした14年前と現在では苗字が変わっています。
なぜ 変わったのか という私の問いに
ある人は「日本人に見つかるのが嫌だったみたいよ」と
教えてくれました。


ショックでした。


ああ、彼にとっての 最悪な日本の思い出。
その日本代表は私。
とても合わす顔がない・・・・・・・・・。


なのに、
E君のほうから お友達の申請をくれた




るらららら〜〜〜〜 ∩(´∀`)∩♪♪♪



ここ数年、
私は14年前のことを振り返っては後悔ばかりしてました。


なぜ たった20歳くらいの若さで親や友人と離れて
こんな遠い国へ来た人をもっと理解しようとしてあげなかったんだろう。

なぜ 文化の違いや、食事の違いによるストレスに苦しんでいることを
もっとサポートしてあげなかったんだろう。

なぜ 周りに母国語で話す人がいなく、気持ちの通じないもどかしさを
抱えている彼に もっと思いやりを持てなかったんだろう。

なぜ タンゴは踊る人によって様々で、彼には彼の良さが
たくさんあることを そのまま受け入れようとしなかったのだろう。

なぜ 歩み寄ることをしなかったのだろう

なぜ 優しくなれなかったのだろう




なぜ 私はこんなにバカなのだろう・・・・・・・・・・・・・。



なぜ なぜ なぜ ばっかりです。


そして、いつだって私からお友達の申請を出す機会はあったのに
私はそれをする勇気がありませんでした。



今こそ、この長年に渡って悔やんできた思いを謝罪するべきだ。
今を逃して他にない と思いました。



 今は元気で暮らしていること。
  3年前にブエノスで挙式をしたこと。
  小さなスタジオをしていること。
  14年前のことをとても後悔していること。


それらをメッセージに綴りました。


あれから14年も経っているいるというのに、私のスペイン語は
  まだまだ上達していませんから、間違ってる点があったら
  ごめんなさい。

  あの頃はまだ若く 生意気で、タンゴのこともよく知らない上に、
  あなたのことも理解しようとはしていませんでした。
  思いやりのない態度ばかりをとっていました。
  素直にならず、あなたに辛い思いをさせてしまってごめんなさい。



そんなことを思いつく限り言葉にして送りました。


不思議なことに、メッセージを書いていると
あれほど嫌な思い出ばかりだ と思っていた あの日々の中に

そうだ 楽しいこともいっぱいあったんだなー と
これまで閉ざされていた記憶が見えてきたんです。


お蕎麦やさんに入ったら、まわりがみんな ズズズーと音をたてるので
「ダメだ 僕 気持ち悪くなってきちゃったよ」と言って
出てってしまったのを
「ええ?マジでぇ〜?」と言いながら笑って追いかけたことや、


いい振り付けのアイデアがでてこなくて 二人でボーッとしていたら
急に 逆立ちで歩き始めて
「それでアイデアがでるの?」と聞いたら
「うん!ひらめいた!」と言い出したことや、


「日本人は 話の最後に「ねー?」って 大人も子供も男も女もみんな言うよ」
と言うので
「そーお? そんなことないよ ねー」と私がまわりに言って
「とくにJUNKOは 」(Specialmente junko  NE- )と
彼も 日本語の発音の「ねー」を語尾につけるようになったことを
みんなで大笑いしたこと。



ご活躍を応援しています。
  またいつか笑って会えたらいいですね。


と締めて送信しました。

これまで自分から歩み寄って謝る勇気さえもなかった私に
E君のほうから そのチャンスをくれたことを
本当にありがたいと思いました。


そして、数日経ってE君からお返事が届きました。




ひひひ
続きはまた明日(;´∀`)






2011年11月5日土曜日

愛をもって思い出としましょう その1


今から  14年前 くらいのことですが
当時 所属していた教室により、私はアルゼンチン人の男性 E君 と
1年間 契約パートナーとして仕事をさせてもらいました。

まだ私はタンゴもペーペーでしたし、
しかもスペイン語はまったく出来ず

その1年間の仕事はお互いにとって困難の極みでした。

まずは、私は日本の文化、生活様式から
こと細かに注意を促さなければいけませんでした。

「ここでは靴を脱がなきゃダメよ」
「ゴミは分別しなきゃダメよ」
「時間に遅れてはダメよ」

ダメよ ダメよの連発です。

ダメよ ダメよを連発する口うるさい私は
さぞかし欝陶しい存在だったろうと思います。


私は辞書を片身はなさず持ち歩き、スペイン語を覚えるべく努力は
しましたが、本当に伝えたいこと、話し合うべきことを
共有するには遠く遠く及びません。

「なあに? もう一度言って。もう一度。 もう一度」

私が繰り返し尋ねれば
面倒になってしまうのでしょう。「もういいよ」と言われてしまい、
そんな私はまた腹を立て、

「私は話し合おうとしてるのに、聞かないあなたが悪い」と
相手を責めてはふて腐れていました。


日本の食事が合わないE君は
いつもマクドナルドか、ピザか、スパゲティばかり。

すっかりそんな食事に付き合うことに嫌気がさしてしまった私は

「悪いけど、私はもうこんなものばかり食べたくないわ」

「ああ、じゃあ別々に食べよう。もう君の手を借りなくても
ひとりで食べれるよ。」

「ええ、じゃあ そうしましょう」



当然、タンゴでもついケンカになってしまうことばかりでした。

E君もアルゼンチン人として自分こそが正しいと主張し、
私も今まで習ってきたことを曲げようとはしませんでした。



それでも仕事は忙しく、
地方での営業なんかがあれば、生粋のブエノスっ子のE君は
初めて乗る新幹線に興奮したり、楽しそうにすることも
ありましたが、
それにしても日々重ねるごとに衝突は増えてゆきました。


契約も残りあと3ヶ月という頃、大きな舞台がありました。

私とE君のソロもありました。

でも、その大事な舞台で私は失敗してしまったのです。
私のミスにより振り付けが狂ってしまいました。

ごめんね と謝りましたが

別にいいよ  と そっけなく背を向けるE君を見て


一体どうして私がこんな思いをしなければいけないのか
彼だって悪いんだ いや、彼が悪いんだ と
E君を非難する気持ちばかりが 後から後から押し寄せてきました。

こんなに私は一生懸命なのに

これほど自分の時間を割いているのに

こんな嫌な奴、早く帰ってしまえばいいのに、と思っていました。


E君には週に1度だけ休日があり、その日だけは私も解放されました。
私自身は1週間に1度の休みなく働いていたので、
本当にヘトヘトな状態だったのですが、
E君がお休みの日は、なんだか自由な気分になれました。

それにしても
私たちは、その1日をのぞき、来る日も 来る日も いつでも
ずーっと一緒に過ごしたのです。



そして1年の契約が終わるとき、空港へ向かう車の中で
E君は流れる窓の外をじっと見ていました。

「やっと帰れて嬉しいんでしょう?」 と聞くと

「うん。。。。。。。。。。。。。」と答え、



「もう日本には来ないと思う。 日本は好きではないよ」と
E君は言いました。


他でもない、彼に日本を嫌いにさせてしまった張本人は私です。
彼が嫌いな日本。 その日本代表は私だ。

そう思ったとき、

ああ、取り返しのつかないことをしてしまった・・ と

悔やみましたが。。。もう遅すぎます。。。


成田へ到着し、私たちはお別れの挨拶をし、彼は1年ぶりの故郷
ブエノスアイレスへ帰ってゆきました。


そのまま私達は連絡をとりあうこともありませんでした。

私は彼の住所や、電話番号さえ聞いていなかったし、
彼も私の連絡先は知らずに帰りました。

当時はまだ、パソコンも個人ではさほど普及しておらず
私も持っていませんでしたからE-Mail アドレスも知りません。



その翌年、
E君がブエノスで、ミレーナのパートナー役のオーディションに
受かったというニュースを聞きました。

ミレーナは昨日の記事に書いた TANGO×2 の女性ダンサーです。

ちょうど TANGO × 2 に区切りをつけたミレーナは
元のパートナー、ミゲルと別れて、新たにパートナーの募集を
していたのです。

そしてE君は見事合格した。


しかし、私はそのときですら、

合格できたのも、日本で働いた経験が審査に良い影響だったに
違いない。 (ミレーナは親日家です)
それでも彼はきっと、その日本での経歴のおかげだと感謝は
していないに違いない・・・

そんなふうに、意地悪く思ったのです。


あの日、空港へ向かう途中
自分こそが彼の日本での良い思い出を踏みにじってしまった という
後悔をしたことを すっかり忘れて。
1年間、彼との苦い記憶のほうが  やはり私の中では
まだまだくすぶっていたのです。






うわあ・・・o(;△;)o
文字にすると記憶の波が押し寄せてくる〜〜


しかし
この目をそむきたくなるような過去の封印を解いたのには わけがあるのです。

つづきはまた明日。