ラベル 五十嵐家の人々 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 五十嵐家の人々 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年12月5日月曜日

この半年、母のこと

こんにちは。 五十嵐純子です。


おお、久しぶりです。

4月以来なんですね。


5月から時を止め、8ヶ月もこのブログを放置し

今年も終わるときになってノコノコ戻ってきましたよ。(笑)


5月以降、母が入退院を5回も、激しく繰り返しました。


家の外に出てしまい、座り込んでいるところを近所の方の通報により
救急車で運ばれたり、
家の中で転んだり、
玄関先で転んだり、
そんなのばっかりですが、

こうなると大変なのが行政サービスの手続きです。


サービス停止 → 再開 → 停止 → 再開 → 停止 → 再開

どんだけ繰り返して、何枚の紙に書いて、判子押して歩いたことか・・


申し訳ないけれど、
本当に こんなこと言ってはいけないけれど

でも 病院に入っていてくれてる時は 一番安全ですから

こちらとしては 体を休められるのです。

これ、 本当にありがたいと思ってしまいました。


あああ。。 休める。。。 って ホッとしてしまうんです。



でも、入退院の繰り返しは 確実に母の脳機能の衰えを加速させました。

もう、どこに居るのか、なんでこーなったのか、わからなくなってしまうんですよね。
きっと。



2ヶ月前・・・くらいだったかな、
一時 退院してたとき、

兄から 母がおかしなことを口にするようになっているけど
本気にしないでいいから、気にしないでいいから、という
LINEがきたんですね。


なんのことだろう? と思いつつ


その翌日に、母の食事の支度をしていたら、母が私にこう言いました。


あんた、通帳からお金引き出したでしょ。
わかってるんだから。

ちゃんと返しなさいよね。



まったく身に覚えのない私は 最初 キョトンとして

 は??  って感じだったのですが


兄が言ってたのはこのことか、と思い


でも 本気で言って怒っている母の姿を見てて

一気に ゴオオオオーー って悲しみに襲われて


気がついたら 家を出て、泣きながら外を歩いてました。



母のお金はとっくに兄が全て管理しているし、
母は自分の通帳を見れるわけもなく、
いや、そーいうことではなくて

なにやらお金のことで 私に疑いをかけることとか、
いや、そーいうことでもなく、

つい少し前まで、いつだって私のことをすごく心配してて
気にかけてくれて
あの優しかった母が  ああ いよいよか という

なんか そんな色々な思いで 涙を止めることが出来ずに

ただただ 泣きながら てくてく畑の間を歩き続けました。


こんなことしてる場合じゃない

私がいなくなったら 家に残された母がまた外 出ちゃったら危ないし
早く戻らなきゃ

ってゆーか、すぐ食事の支度して、食べさせたら 片付けて
ケアマネさん電話して
次のヘルパーさんと交代して
あ、その前に訪問看護の人が来るんだっけ?

とにかく 早く戻って それ片付けて もう電車に乗って
スタジオ行かなくちゃ。

夕方のレッスンに間に合わないかも。

そんなことが頭の中でぐるぐるしつつ、でも涙は止まらず。




難病指定を持っていることや、コロナの影響もあって
なかなか施設を見つけられなかったのですが、

秋頃、やっと受け入れてもらえるところが見つかりました。

でも、ちょうど そんな矢先にも また入院してしまい

今はまだ病院です。


なんだか、私は この2022年を夢の中で過ごしていた気分です。

いつのまにか 今年ももう終わるんでしょう?
いつのまに!

何もせず 時間ばかりが過ぎてゆきました。

あっという間に。





でもね、いいこともたくさんあったし、

楽しいことも
嬉しいことも

皆さんのお陰でね たくさんありました。

出会いも。


そしてタンゴを踊れる健康な体もあるしね。



今日はつまらない話題でしたが

久しぶりにここへ来てくれた方、
読んでくれてありがとう。



2020年6月17日水曜日

在宅介護のある1日

一昨日・・月曜日は けちょんけちょんに疲れ果てて
ボロ雑巾のようになって帰宅したので(笑)
これも書かずに寝てしまいましたとさ。



いつも 母のところへ行く日は
午前中に自分ちの掃除したり洗濯したりして

午後2時頃 着けるようにしてるんですけど、

まずは ポータブルトイレ って ベッドのすぐそばに置いてある
簡易トイレ洗うとこから始めて
この日2回目の掃除して 洗濯して
夕食の下ごしらえだけして
1週間分の薬セットして(1日5回の服薬!!)

ヘルパーさんの交換ノート読んで 書いて

夕方 お風呂の介護用椅子をセットする人が来て

なにしろ ちょっと座ってもらって高さを合わせる とか言っても
座ると立つをセットで5分くらいかかるんで

じーーっと見てるわけにもいかず
介護用品屋のおじさんと世間話をしてて辛抱強く待ちながら進め

1動作ずつそんな感じで

あっという間に5時になって

   (椅子を風呂に置くだけなのに!!!)


次は訪問看護さんが来て、また1動作5分ずつかかるのを
世間話しながら ヘラヘラして

あっという間に6時になって

次はケアマネさんが来て、今週の服薬の確認とか 市役所へ届ける
介護保険のなんたらかんたらとか

判子押すだけ押しまくって

お腹がすいて泣きたくなってきた 7時半すぎ頃 ようやく全員帰って


急いで夕飯の支度しようと台所に立ったら
母が うしろで おせんべい食べ始めて 片手にはオムツ持ってる
カオスな状態だったから


 ちょっとー 今からご飯なのにー! ってガミガミ言ったら

 だってお腹がすいたんだもん  なんて言うから


あたしだって同じなのよーーーー  !!
ってガミガミ言って



怒りながらつくるご飯はあんまり美味しくなくて

ごめん  って思いながら

なんのかんの ズタボロになって 家に着くのが10時半 って
もう死ぬでしょ?



こんなに一気に人が来るのは珍しいけど
でも在宅介護の日常ってだいたいこんな感じで
深夜にアイス食べてもOKにしてる。






そーいうことですな。
人生って

ラララですな。







今夜はおうち de TANGOです。

ロボットCiteTango が楽しみでたまらんです。

おうちじゃない人たちに会えるのも

楽しみにでたまらんです。



ありがとう!!!






皆さまが 今日も穏やかで幸せでありますように。



スポンサーリンク










2020年3月24日火曜日

昨日の日記




象のようにむくんだ足をさすり

足の爪を切ってあげる



ポータブルトイレが届く




母  80歳の誕生日を迎えました。




2つの施設からカードをもらう





感謝





例えば、赤ちゃんは
1日1日出来ることが増えてゆき、
周りに喜びを与える というのに


1日1日出来ないことが増えてゆき、
周りに手伝ってもらうばかりになる というのは
どれほど辛いだろうと 思ってしまいます。


それでも前を向いて、
さて少しでも出来ることを出来るままでいる自分であれるよう

周りから熱いエールを受けまくって生きてゆく。

生きることを諦めないで  がんばろー、って。





あまりにも頑に あきらめていると
エールを送ることさえ、周りもあきらめてしまうから

大変だけど
あぁ・・・あきらめちゃダメなんだな  と思うのです。



自分がこうなった時、
あきらめず  周りに愛されるままでいられるだろうか



人間は 最期まで 愛される自分であることもまた
課題なんだなぁ。。。





今日も健やかで穏やかな1日でありますように







スポンサーリンク


2020年3月10日火曜日

イヤイヤ期


昨日の NG集を 母せつこに見せましたけど


さっぱり伝わらなかったです(笑)





  「それで?」  とか言われちゃいました(;▽;)



それで  じゃねーよ(笑)

真顔で聞かれたら
恥ずかしいわっ! ったく。




先日、レッスンに来てくれた生徒さんで
赤ちゃんのママさんなのですが

「OOOちゃん(赤ちゃん)元気?」と言ったら

「イヤイヤ期なんですよー」 と言います。


なんでも オムツ換えるのも嫌がるそうです。


なるほどー。

オムツを換えない不快感の経験をしているのですな!!!

成長だな。





まあ、赤ちゃんのイヤイヤ期はかわいくていいのですけども・・






母せつこは 明日から新しいリハビリ施設へ行くのです。


審査がなかなか厳しいところを せっかく合格もらったのに


なんと、契約の日になって

「やっぱ あたしイヤ」と言い出しまして。



イヤじゃない!!  っと 切れそうなところをぐっと抑え
ケアマネさんと タッグを組んで
どーにか 説き伏せて 無事 行ってもらえることになりました。


今 ほんとうに寝たきりになる ギリ1歩手前の瀬戸際なんだと
感じます。



寝たきり一歩手前というのは、つまり体が自分で
思うように動かせなくなってきているわけですから、

その時 働く心理は

  めんどくさい  なんだろうと思うのです。



動けないから 動くのめんどくさい
動かないのに 動かすのは億劫




そんな感じなのだろうと思うのです。



そこで その億劫さを どーにかして リハビリなり何なり
色々な人の力を借りて

無理矢理動かすことが出来れば、

ひょっとしたら  寝たきりを回避できるかもね  という


ともかく 今  そんなギリ手前  ってわけです。



訪問看護の方や  訪問リハビリの方


うちには  毎日毎日 いろんな人が来ます。


ありがたいことに 皆んなどなたもいい人です。


感謝です。




寝たきり  というのは 脳梗塞や それらの病気によって
半身麻痺とかで 寝たきりになる というイメージが強いかもしれませんが

実際のところは  運動不足からくるところが多いだろうと
思われます。


とにかく ずーっと運動がきらい というなら
もう ほんと しょーがないですけど

意外と 若い頃 運動をしてた  という方こそ危ない という話も
聞きます。

若い頃してたから 俺は大丈夫  みたいな過信でしょうかね。



とにかく 運動はやめれば その日から 筋肉の衰えが
即座に始まります。

即座に じわじわと。





今 タンゴを踊ってる人たちは 本当にえらいですね。

あとは散歩とか
ラジオ体操とか

できることやっておきたいですね。


体は一生動かすものです。

当たり前のようだけど・・・  自分が自分で「動かすぞ」と
思っていない限り

案外 あっさり ネジは止まります。



「あれ?動かすつもりだったのに・・」

なんてことにならないように。






tango jaws に新しい動画と記事載せました。

「正しい姿勢のつくりかた」という動画なので、
ぜひ まっすぐな姿勢で踊れるようになりましょうね!


で、昨日は動画の編集につきっきりで疲れました。
たった5分の動画なのに!!

編集って大変なのね!!






今日も ハッピーな1日を♩♩♩





スポンサーリンク








2020年1月26日日曜日

デイサービスの人々

わたくし デイサービスの皆さまと
ありがたくも 大変仲良くさせていただいておりまして


先日は 91歳になるじーさんが
わたくしの為に 千葉まで いわしのゴマ酢漬けを買いに行ってきて
くださいまして


これ、 わたくしが数年前に一度 いただいた際

あまりにも「美味い 美味い」と絶賛したので

以来  毎年必ず 買いに行ってくださるんですよ。


で、「悪いが もう今年が最後だと思うぞ」と言いながら
今年も下さいました。


このセリフ、毎年聞いてるのですけどね。。



いざ本当に買いに行ってくれなくなったら寂しいよなぁ。
そーだよなぁ。。。




このじーさんの奥さんと母せつこは仲良しだったのです。

それが去年、奥さんは入院をし 認知症になられまして
施設へ行きました。


お元気だった頃は、せつこと奥さんとじーさんと、
よく出掛けてたのですけどね。。。

奥さんは丸っきり何もしない方ですが、
じーさんは大変マメにお料理から裁縫から日曜大工から
何でも出来るスーパーじーさんです。


だから91歳になられても
埼玉の奥から千葉まで出掛けるくらいのことは
やってのけるのでしょうね。。




デイサービスではそれぞれ皆さん得意なことがあります。


で、私にいつも 食器洗いのアクリルたわしを編んでくれる
別のばーさんがいるのですけど


先日は私のリクエストに応え こんなものを作ってくれました!











まあ、ちょっとブサイクと言えばブサイクで
若い方のつくるそれとはちょっと違うでしょうし、

何やら ギョロっとした目玉の得体の知れない生き物も
紛れ込んではいるのですが

私はこれが大変気に入りました。


一体が指の長さ程度の大きさなんですよ!





せっかくですから
これでちょっと楽しいことをしたいと企んでおります。




ふふん。






じーさん ばーさん 元気で長生きして
楽しくしっかりポックリできますように。
いつもどうもありがとう。










今日は シエテです!

milonga 7
1/26(日)17:00-20:30  ¥2,600-  1drink

お待ちしていまーす^^











スポンサーリンク








2019年9月23日月曜日

ちょびのストレス

うさぎのちょび  もーれつにイラついております。


傷口を舐めたり噛んだりしないように
エリザベスカラーを巻かれた状態が

すごくストレスかかってるようです。

めちゃくちゃ かわいそうです。



うさぎというのは 舌で全身をくまなくグルーミングする習慣が
あるんですね。

すごくきれい好きなので、毎日それはそれは熱心に体じゅうを
舐めまくります。

そして両手で 顔も洗います。

この仕草が ものすごーーく可愛いくて悶絶します。



で、今は この首に巻かれたカラーのせいで
それが出来ないのですが、それでもカラーの中身を

ずーーーーーーーーっと 延々と舐めてるわけです。

擬似舐め ってやつです。



かゆいところに届かないなんて  ストレスだよなー と思い

手伝って 掻いてあげるのですが



そこじゃない  と睨まれます(ノ_-。) すみません



それよりもっと困ってるのが う○こを食べれない ことです。



うさぎというのは 2種類のう○こを出します。


1つは おそらく皆さんも見たことのある

● ← こーゆー コロコロしたやつです。

これは乾いてて コロコロで 匂いもなく かわいらしいです。




もう1つは なんと肛門へ直接口をつけて食べる
盲腸糞 あるいは 食糞と呼ばれるもので

自分の体で栄養素を作り出し、それを補うために
食べる必要のあるものなのだそうです。

すごいよね。自分でつくった栄養で 栄養をとるって。


ねっちょりしてて ブドウの房のようになっています。


で、このエリザベスカラーをつけていると この食糞も
食べれないのです。


うさぎは基本的に夜行性なので、うちのちょびの場合
深夜に食糞を食べる習慣があります。

その子によって 食べる時間はさまざまと思いますけど。



それで、今朝起きてびっくり。


ケージの中じゅう べっちゃりう○こまみれ

ちょびのカラーにも べっちゃり



拭き取ってあげましたが  まー怒るわ 怒るわ (T∇T )


久しぶりに 噛まれました。



かわいそうに。 そりゃそーだよね。
嫌でたまんないんよなぁ・・・・


少しの我慢なんだよぉぉぉ。



ストレスで食欲もぜんぜんないようで困ってます。


せめて好きなものを食べさせてあげたいと思っていたところ、
庭で 明日葉が生えてる という方が分けてくださることになりました。

うれしい!

食べてくれるかなー。。。





飼い主も一緒にがんばります。





また明日。






スポンサーリンク


2019年9月21日土曜日

続・母もうさぎも


やーー 今日は長い1日だった。


何かとご心配おかけしております。

うさぎのチョビ、 今日無事に手術を終えました。




もう悩みに悩んで

2件の病院へ意見を聞きに行って決めたことなのだから

あとは 待つより仕方ないことなんだけど


それにしても 朝 連れてって 夜 迎えに行くまで
長かったーーー。



お腹を切るような手術というわけではなく、睾丸切除なので
去勢手術と同様ですから 負担は軽いです   とは言われてたけど


それにしても 終えてよかった。



ちょび よくがんばった。 えらい。




























エリザベスカラーがかわいそう(T△T)


傷口を噛んだりしないようにしなきゃだから、仕方ないね。






切った 腫瘍。

今、お食事中の方は あとにしておいた方がいいかもよ。

いざ    閲覧注意のコレ。













































































なかなかですぞ。


すごいな おい。





まだしばらく投薬も必要なのですが、

例によって 薬を飲ますのは難しいのですけども、




先々日、ふと気づいたのですが


粉薬なんですね。
それで、薬が馴染みやすいように カリカリを少し水でふやかしてから
薬をふりかけたり ですね。

あるいは りんごをすりおろして 薬をふりかけたり

人参をすりおろして

ようするに 食べやすいように という気持ちもあり
ビチャビチャな方が粉薬を混ぜやすいという都合もあり

そのようにしてたんですけど



ふと

でも いつもは人参も そのままガリガリ食べるんだし


もしや 歯ごたえか?? と思い、


歯ごたえあるままの 人参やセロリに薬をなすりつけてみたところ



食べました。



なるほど・・・そうだったのか。


ふふん。











そこで、 ふと  ふと    


まさか    BBA おまえもか??  と思い立ち



母への食事を 歯ごたえあるものにしてみたところ


なんと  食べるではないか!!!!




なにをぉぉぉぉ?????





いえ、先日ね  ヘルパーさんが切っといてくれたトマトを見ながら


「ふんっ こんな細かく切り刻んでっ  年寄りだと思ってばかにして」 とか


ブツブツ言ってるわけですよ。



これほど立派な年寄りいねーじゃねーかっ  って後ろから
ど突きたくもなりますよ   そりゃ





入れ歯なんだし
誤嚥したら怖いと思うじゃないですか

みんな 腫れ物さわるように  食べ物を切り刻んで
柔らかくして用意するわけですよ。


それを そんなこと言うもんだから



肉焼いてやりました(笑)  

したら食うわ 食うわ(笑)







わからんもんです。


ちょびだってそう。

病気なんだし って つい思うところもあって
食べやすいように なんて考えてたけど



結局 できるだけ いつも通りでいたい ということなのですな。



いつも通りでいられることって  ほんと幸せ。



はあ。






ちょび もうすぐ10歳になります。

ほんと よかった。









スポンサーリンク




2019年9月18日水曜日

母もうさぎも。

最近では 献立やら 料理の動画ばかり見ています。

母は  以前は魚が好きな人でしたが

どうしたことか 最近は 魚を食べてくれなくなってきました。


なんだろ? 生臭さ とかかな。
味覚が変わったのかなぁ。。

ってゆーか、 あれもこれも 何か理由つけちゃー  食べない。

とにかく ほっとくと何も食べず

食べてないから という理由で 薬を飲もうともしてくれないので


本当に困ってます。

本当に困ってます。


あ、2回言ってしまった。



今さらながら・・・・意外と母の食べ物の好みって 知らないんですよね。


とっくに死んだ父の好物は よくわかってるし、
細かく覚えてる。

なのに、イザ 母の好きなものを食べさせてあげたい と思うと
これが知らない。



うちの両親はすごく仲がよかったのです。


それで、母は 常に 父ノブオ優先 で、

自分の好みより 父の好物を並べる ということだったのだと


今さらながら よくわかりました。


尊敬するなー。
そーいうとこ。



ともかく あの手 この手で なんとか食べてもらいたいと
思ってるのですがね。





そして うちのうさぎ


こちらも   大好物はりんご と決まってたんです。

今までずーっと。


だから機嫌が悪くなった時は、りんごでなだめたし、

お腹が痛いと言えば すりおろしたりんごに薬を混ぜればOKでした。



ところが、今になって どーしたことかりんご食べてくれない。


薬入りがバレているのか、どーしても食べない。



大好きなカリカリ(ラビットフード)を 少しふやかして薬を混ぜても
やっぱり食べない。


匂いでバレてるのかと思い、冷蔵庫で冷やしてから出してみたりするもダメ。


すりおろした人参にまぜてみたところ、数日の間はそれで食べてくれたけど、

今朝 は 一切手をつけず。



今夜はセロリをブロック状に切った上に 薬まぶしてみたけど・・・


半分食べてくれて・・・やめちゃった。

どーやらダメっぽい。



薬、 かけちゃったものを食べてくれないと 1回分無駄になるじゃん。


国民保険で 買ってる薬ってわけじゃないんだからさ、


すっごい高いわけよ。この薬。



あーあ。




でも お薬飲んでくれないと困るしね。

その場合、シリンジで強制給餌しなきゃなんだけど。

人間だってさ、 頭押さえつけられて 無理やり 口の中に
苦いもんとか 不味いもんいれられたら嫌じゃない。

やだよねえ。


それでも  薬だしね。

やらなきゃダメなんだろうけど。。。。




明日はバナナで試してみよっかな。






とほほ(T△T)   



食べてくれよぅ。 あんたたち どっちもよーーーぅぅ。





今日はおしまい。

また明日!





スポンサーリンク



2019年8月26日月曜日

泣く浄化。幸福の涙。

最近になって急激にこのBlogにまた触れるようになりましたが、

いつも母のところへの行き帰りで 下書きを書いちゃうんですね。


遠いので、電車に乗ってる時間がけっこうあるのです。


うちは両親が仲良しだったので、
父ノブオが亡くなってから 母せつこはズドーーンと落ち込みました。

ちょうど パーキンソン病が発覚した矢先だったので
この先、一人になってしまったことが不安でいっぱいだったと思います。


それでも デイサービスで新しい友達が出来たり
どーにかやっていたところだったのに
今回の手術と入院で 一気に状況が変化しました。


私にとって 母は やはり なんだかんだ言っても
世界中で唯一の理解者であり、
応援してくれる人であり、
無条件で愛してくれる存在であったのに


今、日々の中で 会話がちっとも成立しなくなってゆくこと

いずれ 近いうち 私のこともわからなくなるのではないかと思うと

どーにもならない やりきれない気持ちになります。




何より、
母のところへ 生活の手助けをしてあげるために
行ってるはずなのに

同じことを何度も何度も繰り返したり
まったく トンチンカンなことをされてしまうと

つい 大きな声をあげてしまうこともあり

そんな時は 帰りの駅までの道を ずっと後悔して泣きながら歩くことになります。


誰だって わざと病気になるわけでも
子供を困らせるために 認知症になるわけでもないのは当然で


そして ほとんど15分おきに
「あんただって 忙しいのに 悪いね ごめんね」と
娘に言うことは 死に等しい苦しみなのではないかと思うのです。

そんなこと言わせてしまって ごめんね と、私はトイレで泣き、


そうかと思えば
「ああ、OO時までにここを出なければ間に合わないのに!」
   とイライラして声を荒げ、

そして また悲しくなる というループ。




ちょびのことも悲しい。
母のことも苦しい。
ああ、人生は大変。


ここ何ヶ月も行き帰りの長い電車の時間が辛くて仕方なく、
考え込んでしまうことばかりだったので、

文字を書くことで 気を紛れさせることには だいぶ成功しています。


こんな内容を書いてる時はちょっとダメですけど


なんとなく整理つかずのままで 泣きながら帰るよりは

自分の心の中を内観することは「正しい悲しみ方」なのだと
思うようになってきました。




先日は、長くコツコツ通って下さった生徒さんがお引越しで
お別れだったので、

ここまで こんなに上手になってくれて 本当にどうもありがとう と
感謝の気持ちで胸がいっぱいになり
もう顔を見ていられなくなってしまい、慌てて目をそらしました。

そして ひとしきり泣きました。



一昨日 長い長いお付き合いのある方とは
私も休んでいたし、その方も少し調子が悪かったので
しばらくぶりでやっと会えた再会が嬉しくて、やっぱり泣きました。



タンゴを踊れる というのは 素晴らしいことです。


踊れる体があること。
歩いて、ここまで来れること。
一緒に踊ってくれる人がいること。

何ひとつあたりまえじゃなくて、
すべて1つ1つ奇跡なんですよね。




というわけで、 毎日毎日泣いています。


これは 浄化です。デトックスです。


今、私はそういう時期なのです。  大丈夫です。



ある意味、とんでもなく幸福な涙を 日々流しています。






スポンサーリンク



2019年4月12日金曜日

母入院に思うこと

母せつこが転倒し、救急搬送され入院中です。
今日で2週間になります。


ここのところ ずっと病院と母の家を行ったり来たりしながら

しみじみ思うのは


人間は元気に死ぬ為に

今この瞬間を幸せに生きなければならない ということ。



母に言いました。
元気に死んでね、と。


なので一緒にいる時は 綾小路きみまろとか のいるこいるを
見せて笑ってます。


私も元気に死ぬために

今日この瞬間を元気でありたいと 思うわけです。


2018年8月8日水曜日

母と病院

わたくしの母せつ子はお陰様でなんだかんだ79才でございます。

なんだかんだ体のあちこちは悪いのですが

ここのところ目が見えづらいと言うようになりまして

手足が不自由で耳は遠くて 半分ボケてて(天然だけど)
その上 目が見えないんじゃかわいそーなので

まずは 町医者へと行きました。

駅前にある 眼科は びっくりするほど
待合室にすし詰めの老人でございます。

や、本当にびっくりするほどの混雑っぷりなのですよ。

眼科ってどこもこーなの?

  
で、その町医者では 何だか色々ヤバイから
大学病院紹介します っちゅー話になりまして

ここのところ 何度も家から車で20分ちょっとの
山ん中にある大学病院へ足を運んでるわけです。

そのため、レッスンをお休みさせて頂いたり、昼ミロ欠席したり
皆さまには何かとご迷惑おかけしておりますm(_ _)m


この大学病院の眼科も 初めて行った時は
本当に腰を抜かすほどの 患者数で

ざっと100人は待合室にズラーっと座ってるわけです。

オール老人!!

その日は 朝11時に行って、病院出たのが夕方5時。

弁当持ってかなきゃ無理ですよね、ほんと。



結局、母せつこの症状は白内障と加齢性黄斑変性 というものを
抱えてると言われました。

お医者さんの話によると、白内障の手術は 誰でも歳をとれば
必要になる とのことでして

軽々しく言ってはいけないでしょうが 普通は 比較的 簡単な手術だそうで、


ですが、せつこはパーキンソン病というものを抱えているので

どうしても体全体が常に揺れてしまうんですね。


何ミリの世界の目玉の手術なのに、ずっと揺れてるんじゃ
名医だって困る ってんで、なかなか話が決まらずに

教授様のご意見を仰ぐためにもう一度 とか

手術台に乗ってシミュレーションしてみて 揺れ具合をみましょー とか

パーキンソンの担当医からの見解をもらいに行くとか

何度も何度も足を運ぶことになってしまってるんです。 (T△T)



もう、この暑いのに、ばーさん連れ歩くなんて
それだけで命がけです。ほんと。


小さな検査のたびに 3人がかりで 頭を押さえつけたりするので
ハラハラします。
「動かないで!」って言ったって無理なのにさぁ。



そんなこんなで、何度か通ってるうちに 
なんと担当医が 別の大学病院へ移ることになったっつーんで


      ( ̄□ ̄;) ガビーーン と


また 話が降り出しに戻りまして

変わりに来た 新しい先生に 判断を仰ぐことになりましてね


この新しい先生が また よくしゃべる人でして

患者一人一人に「はじめまして」の挨拶と
前の先生からの見解と 自分の見解との説明が
非常に長くてですね

        ↑  でも こー 書いてみるといい先生ですね


この先生の はじめての日の待ち時間の

まーーーーーー長かったことったら!!!!


午後1時の予約に行って、病院出たのが 夜7時半。


間にいろいろ検査をしながらだったので、うちが一番最後になってしまい

待合室もガラーーーンとした中、取り残される形になってしまいました。



うちの1つ前の患者さんと、先生の説明してる声だけが響いてます。

誰もいなくなったし、暇なので記念撮影しておきました。

ポツンとせつこだけが座る待合室。


これくらいの時間になると、他の看護士さんや事務員の方など
先生が終わらないなら、帰りたくても帰れないんでしょうね・・・

代わる代わる何人も 壁の端から ひょいっと顔をだして

  「ばーさんとメガネ まだいる・・・・」

と確認しに覗きに来るんですよね。


ルンバのセットも済んでます。







ともかく こんな感じで まだしばらく病院通いは続きそうです。





ばーさんとメガネ↓







うさぎも高齢ですが
お陰様で元気でございます。


感謝。




2015年9月8日火曜日

神様へのご挨拶

すごく久し振りに産土の神様のところへ行ってきました。

私が生まれて初宮参りをした氷川神社です。


私の育った家は古くなり、両親ともに引っ越すことになり、
その後、父ノブオが亡くなって、
結局 縁もゆかりも無い友達もいない知らない土地に
母ひとりで住むことになってしまいました。

だから、時折りでも 私が生まれ育った懐かしい土地に出向いたときには
町並みなんかをビデオで撮り歩いて
後で母に見せると とても喜んでもらえます。


で、今日は氷川神社へ行きましたが、
産土の神様というのは 「ずっと見守って下さる」 という話を聞いたことがあり
現金な私は 下心丸出しで挨拶に行ったりするわけです(笑)

まあ、それは半分冗談ですが、この週末、雨にもかかわらず
クンパルにはずいぶんたくさんの方が来て下さいました。

感謝の気持ちをきちんと伝え、よくお礼をしなければいけません。



今日、まったく知らなかったのですが
お祭りの日だったようでして、露店がたくさん準備をしてるところでした。



小さい頃、この神社でのお祭りがそれはもう楽しみで、
嬉しくて仕方がなかったものです。

練馬の商店街でのお酉様より こっちの方が こじんまりした楽しさと
何よりいつもは神社なのに(!)そこでどんちゃん騒ぎ ってことが
楽しかったのかな。

この神社でのお祭りで、小さな鳥の雛を買ってきてすごく怒られたことを
よく覚えてます。

一晩中ぴーぴーぴーぴー泣いて それはもう うるさくて
家族中を睡眠不足にさせ
全員ストレスがたまってきて

 あんた こんなもんが大きくなったらどーするつもりよ って

動物嫌いな姉が凄みをきかすもんですから、私は本当に困ってました。


でもすぐに死んじゃったんですけどね。

それで今度は私が一晩中ぴーぴー泣いて、
結局また家族を困らせてましたけどね。

父ノブオだけが そーいう時は味方になってくれてたんですよね。
動物好きな2人組だったので(笑)

父も負けじと 片っ端から動物拾ってきては母に怒られまくってる人でしたから。


ああ、それで、なんと一日かけて神楽まであるっていうんですよね。



11:00からと 16:00からと 19:00から とか
そんなスケジュールでですね、

こんな雨振る月曜なんかに誰が見に来るってーんだろ・・・
昨日、日曜日にやれよ って たぶん近所じゅうが突っ込むんじゃないかな・・
なんか事情があるんだろか・・


とにかく 私が行ったのは 14:30頃・・・でしたかね、

露店商のおっさん達も 雨で誰も来ないから 完璧にやる気ゼロなムードなのですよ。

そんな中、あと1時間半待ってるのも辛いですしね。

帰っちゃいました。


残念だけど。


あー、でも懐かしい思い出に浸れて良い休日となりました。














2013年3月27日水曜日

せっちゃんの誕生日

先日は母せつこの誕生日でした。

一緒にささやかなご馳走を食べ、ケーキを食べてお祝いしました。
プレゼントにはラベンダーの鉢植えを。


今 通っているデイサービスでも ずいぶんお祝いしてくれたらしく
色紙の真ん中にせっちゃんの写真を貼って、職員の方々からたくさんの
お祝いの言葉が綴られていました。


ニュースで 老人虐待をする介護施設のことなどが話題になっていたりすると
ヒヤリとしますが、少なくとも母の通うところでは
ずいぶんあたたかく親切にして頂いてる様子で
感謝しきりです。


運悪く 虐待のあるような施設 あるいはそこまでひどくなくても
やっぱりちょっとヒドイ施設にあたっちゃったりすることも
ほんとにあり得ることですからね。

単身老人だとそれに誰も気づいてあげることが出来ず
悲劇が生まれてしまうのではないか、と思います。


私もいちいち母のデイサービスについて行くわけではありませんが、
何かに気づいてあげることが出来るのはやっぱり家族あるから
ですものね。



母せつこは74歳になりました。




ラ・クンパルシータはもうすぐ5歳の誕生日を迎えます。




2012年8月21日火曜日

母の実家のお話

先週、土日にかけて 母せつこの故郷へ法事で出掛けてきました。
ちょびのお弁当をつくり、おぎりんに うんこの始末の仕方とかを
お願いしておいて 早朝6:00に出発です。

ちょびは異常事態発生とばかりに ウロウロして
「どーしたの?」と心配そうに顔をケージに押し付けてました。

お利口にしててね。おぎりんと仲良くね。 バイバイ ちょび。



埼玉の母の元へ おぎりんの運転で迎えに行き、東京駅から新幹線で「豊橋駅」へ。

うち→ 母の家 → 東京駅 = 3時間

東京駅 → 豊橋駅 = 2時間

埼玉から東京横断してるより、豊橋へ行く時間のほうが
ずっと早いんですから新幹線ってすごいですよね。ほんと。



せっちゃんは手足が不自由なもんで 杖をついてヨチヨチ歩きです。

今日は母せつこの兄さんの法事なのです。
母せつこは5人兄妹の末っ子で、うち2人が亡くなってます。

母の実家は神教なんですよね。
兄さんが亡くなって20年たつのですが
仏教なんかだと17回忌とか23回忌と言うところを
神教では20年際といって親族が集まって慰霊祭をするそうです。

田舎ってーのは ひとたび親戚一同が集まると
すんごいことになるもんで・・・

もう私なんかには さっぱり血縁関係がどのようになった人々なのか
わからんのですけども

今回 20年祭をした兄さんは 長男なんですね
それで その長男には三姉妹がありまして その三姉妹の
長女が声をかけてくれたわけです。

この三姉妹がまた ものすごーく いい人達でして
面白くて 楽しくて 気がきいて 素敵すぎるんですよ。

私は小さいころから この三姉妹が大好きでした。
長女は60歳
二女は55歳
三女は50歳  くらいかなぁ? たぶん

で、その三姉妹にもまた子どもがそれぞれ2〜3人ずついまして
この子達は30代なもんで、私よりちょっと年下くらいですが
そこにも2〜3人ずつ子どもが出来てて・・・


今回はその三姉妹から下に連なる面々が中心に集まったわけです。




もう とんでもない人数です。



市原稲荷神社という 素晴らしい神社で20年祭はとり行われました。

仏教でいう お経をあげるようなことを 神様でも宮司さんが
するんですよね。御法言葉(みのりことば)って言うのかな?

とってもいいお声で、お経よりずっと言葉がわかりやすくて
気持よかったです。

最後に宮司さんのお話で
「今日はたくさんの小さなお子様もおいでですが、
 こーいったお席に子どもがたくさん居るというのは
 そのまま おうちの繁栄を意味し 大変おめでたい ことだと思います」
と話してました。

「そもそも この年祭とは 亡くなったことを悲しむよりも
 長い人生の修業を終えて神になられた 大変おめでたいことなのです」とも。

私も 最近 死は イコール悲しみである ということから
死は おめでたいことなのだ というのを ようやく なんとなく
感じることが出来るようになったところだったので
このお話は身にしみました。


刈谷での 20年祭も終わり、一族は
三河湾のリゾートホテルへ移動します。

が、その前に、私と母は蒲郡にいる 二男のところへ立ち寄りました。
二男は 80歳くらいか?
気の毒に この数日前に体調を崩して、手術をし、退院したばかりでしたので
そのお見舞いです。




そもそも 母せつこの生家は鳳来寺山の方向で三河大野という辺りでした。
今は開発されて 生家もなくなってしまい、
一家は愛知県じゅうにバラバラに散ります。

今回も 名古屋の先、一宮や 尾張旭あたりから駆け付けたのも居て
同じ県内に住んでいるとは言っても、
集まるのは大変なことです。



ホテルは窓から海が一望でき 素晴らしい眺めでした。

一族は宴会に突入です。



だれそれのお嫁さんとか、
だれそれのご主人とかを紹介してもらったりしても、
あちらも一体 この女は誰なのか・・・皆目見当もつかない風ですし
こちらも誰がどの子で どんな関係やら さっぱりわからずです。

ともかく このまま1つの保育園くらい出来そうな子供の数でした。



若者達は この後カラオケルームに移り、
年寄りチームは1つの部屋で思い出話をしに集まりました。
私は年寄りチームの仲間です。



翌朝
真夏の入道雲を見ながら せつこの姉 二女に 少しでも会いたいと いうことで
早くに出発しました。



二女は92歳です。
すごいでしょ。

で、姉妹で再会をし 手をとりあって喜んでいました。

「せっちゃん 元気かね もう兄妹も残るは3人になってしまったでねぇ
 えらいもんだねぇ どっちが先に逝くかねぇ」



20歳 離れた妹と まだどっちが先か競争しよーってんだから
たいしたもんだ という感じですけども。


よくアルゼンチンの人なんかと話すと
一番大切なものはファミリーだ って言うんですよね。

ふと思ったのですが、やっぱり宗教の濃さ みたいなものが
関係あるのかな・・なんて思いまして・・

いや  宗教が云々というか
儀式なんかがあるからこそ 集合する機会があり、
集合するから それを感じる  とかですね。

集合するから 年寄りから 若いものは色んな話を聞くわけです。

なんか そんなことを考えてしまいました。


我が家なんかは そーいうの すごくドライなもんで
羨ましかったのかもしれません。


私は日曜日、マジれんに間に合うように帰り着くことが出来ました。

月曜日はさすがに ドッと疲れがでて爆睡しました(笑)




明日はそのマジれんについて・・お話を書こうと思います。


またね('∀`)







2012年7月5日木曜日

せつこ感謝状をもらう



当初、うちの母せつこはデイサービスへ行くのを
ずいぶん嫌がっていて

明日の学校に行きたくなくてお腹が痛くなる子どもと
まったく同じような感じでした。

それが慣れてしまえば 満更でもないようで、
お手玉をつくったり、折り紙をしたり、体操をしたり、
最近では楽しんでいる様子です。


やっぱり人とおしゃべりして、体を動かすことが
一番いいんだな〜と感じます。

デイサービスというのは、私も何件かボランティアで
タンゴの披露に行ったことがありますが、
それぞれの施設がオリジナルの工夫をいろいろとされています。


母せつこが通うのは田舎ですから 畑仕事をしたりすることも
あるようです。

そして、こんなものを頂いてきました。






感謝状

五十嵐せつ子殿

貴殿は、ニチイケアセンター北坂戸の畑に於いて、
寒い時期にも関わらず、じゃがいもの鉢植えや、花の水遣り、
植物全般の世話等をしてくださった事に、職員一同心より感謝致します。
お陰様を持ちまして、じゃがいもは沢山の実をつけ、収穫の運びと
なりました。よってこれをここに賞します。


平成24年6月30日
ニチイケアセンター北坂戸 園芸班




素敵でしょ。


わざわざ用意して喜ばせてくれるだなんて、
思いやりのある素敵なセンターに行ってるのだなぁ と
嬉しくなりました。



あんなにションボリだった母を元気にしてくれて
こちらこそ感謝状を出したい気持ちです。



じゃがいもは味噌汁にいれて せつこと一緒に食べました。
ホクホクで美味しかったです。








先日、どさくさで頂いてしまったお花がすごく綺麗で、いい香りです。

また明日('∀`)





2012年6月12日火曜日

せっちゃんち




一昨日は母せつこと一緒に夕飯を食べる日です。
この家から20歩 歩いた風景はこんな感じです。

困ったことに せつこが大事に飼ってた文鳥のクーが
死んでしまい、すごく落ち込んでました。

ひとりで土手に埋めに行ったそうです。


うちの庭では フキが取れます。

朝 とっといてくれたので、一緒に湯掻いてカツオ煮にして
食べました。


私はここで生まれ育ったわけではないので、
ぜんぜん知らない土地なのですが、

さすがに最近は少し愛着がでてきました。

頬に触れる風が気持ちいいです。


2012年4月19日木曜日

ちょびの受難

そんなわけで 色々と心機一転
4月から変化してるのですが・・・

クラス・スケジュールが変わっただけでなく

我が家の生活サイクルも ちょっと微妙に変化したのです。

食事の時間だとか、家を出る時間だとか、帰宅時間だとか・・



私も、そーいう少しずつのことを
やっぱり自分でも意識しないうちに軽いストレスになっているの
かもしれないのですが、
吹き出物がでたり、
寝付けなかったり、
だるかったり、そーいったことに表れてるように感じます。



早く慣れたいところですが
焦っても仕方ないことですね。

火曜日のクラスなんか 先週も今週もレッスン時間を間違えてしまって
頭の中では 「あと10分 アレやって  その後5分コレやって」と
考えているのに、唐突に

「・・・・時間 過ぎてます」と言われ

「ほあっ?!! す すみませんっ じゃ おわりー!!」

みたいな ね。。

まったくどうもすみません。

今日もカレンダーを見て、日程の確認をしていても どーも自分の記憶と
書いてることが違う気がする・・・・なんなんだ? と

結局わけがわからなくなり、何人か生徒さんに事実確認のメールを
したりしてる始末です。

本当に気を引き締めていかねばなりませんな。すみません。



人間ですら こんな調子ですけども


一緒に暮らしてるうさぎのちょびも やっぱり小さな変化を
感じているようです。


じゅんちゃんが起きてくる時間が違う!

ご飯の時間が違う!

じゅんちゃんが帰ってくる時間が違う!

じゅんちゃんが頭なでてくれる時間が違う!

おぎちゃん いつも通りうるせーよっっ! (;´▽`A``


そんな感じでしょうか。































普段はケージの中でおとなしくお留守番をしてまして、

帰宅するとリビングに出して一緒に遊ぶのですが、


ちょびは小さい頃からすぐにトイレを覚えたので
どこで遊んでいても オシッコがしたければ ちゃんと自分の
ケージに戻って 用を足して、また遊ぶ といった良いコです。


それが この4月になってから 毎日 カーペットにオシッコを
するようになってしまいました。


ストレスたまってんだな〜 と思うと申し訳なくなります。

仕方なく、カーペットにビニールシート広げてます。



ここ数日やっと 少し落ち着いてきたかな・・・

やっぱり時間をかけて慣れてもらわなければ。


ちょびさん どうもすみません。


新鮮な春野菜でも食べて機嫌をなおしてくださいね。




































2012年4月11日水曜日

休日

一昨日、月曜日のお休みは
変わらず 母せつこと一緒にご飯をつくって食べ、
夜は 杉並公会堂でのトークショーにおぎりんと行ってきました。

杉並公会堂って新しくなったんですね。
すごくすごく美しいホールでした。
モダンで清潔で。

よく 区の施設とかでも、建て直してかっこよくすると
横文字で

  スカイ なんちゃら かんちゃらホール とか

  グランド なんちゃら ホール とか

名前変えちゃったりするじゃないですか?

それが 杉並公会堂 のまま ってーとこがかっこいい。



ともかく そこで 

きたやま おさむ と
大橋巨泉 と
永六輔 のトークと
そこにサーカスの歌が入る っていうものに行ってきたんです。


 シブイでしょ? はは。


面白かったです。

大橋巨泉さんって ぜんぜん変わらないの。若いの。

なんてったってドン って感じのままだった。

シャバダバ  シャバダバ〜 でした。


きたやま おさむ さんとは、その昔フォークの「ザ・クルセダーズ」のメンバーで
「戦争を知らない子供たち」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とかを
歌ってた方で、でも歌手をピタっとやめて精神科のお医者さんになったという
変わった経歴を持つ方です。

すっごい豪快に笑う楽しい方です。



サーカスの歌も素晴らしかったです。
この4人組が 3兄妹+嫁という関係で成り立ってるということを
初めて知りました。




で、
永六輔さん。

うちの母せつこと同じく、パーキンソン病を患っています。

車椅子で登場しました。

うちのせっちゃんは今のところ 足は杖をついて歩けばまあまあ
どーにかなるのですが、手がかなり不自由なのです。

永さんは数ヶ月前に転んだ と聞いてますが、
パーキンソンは足にくると、歩いていて だんだん前に
つんのめってしまうものなんです。


永さんはひどい時にはろれつも回らず、うまくしゃべれない時も
あったようですが、
この方はラジオでしゃべらなければですからね、さぞお辛かったでしょうね。


このトークショーでは、少々聞き取りづらいところもあれど
なんのなんの! とっても面白いお話を聞かせて下さいました。

やっぱりこの方は本当に面白いです。

自分が救急車に乗ったことやら、リハビリのことやらを
100%笑いをとってきますからね。 スゴいな。



せっちゃんの話ですが、いつも来てもらってる
ヘルパーさんが 今月で辞めてしまうそうで、

ヘルパーさんも まあ 中年のお年頃ですから やっぱり色々
体の不調があって大変なのだそうです。

せっちゃんを担当してくれている お医者様も近いうち
大学病院の研究室に入るとかで、居なくなってしまうのだそうです。


困りました。


せっかく慣れてきたのに。。。

でもまあ あちらには あちらの都合がありますからね。


いつも通ってるデイ・サービスでは、
折り紙でいろいろ作ったり、工作をしたりします。

なので、リビングにどんどん彼女の作品が並びます。


人間は オギャーと生まれてオムツをして、保育園で歌をうたい
言葉を覚えて大人になってゆき・・・
人生のおしまいに また 保育園で歌をうたって お手玉をして、
オムツをして  と戻ってゆくのだなあ・・・

なんて 

考えてしまいます。


永六輔さんのお元気な姿を見て、とても嬉しかったです。

舞台の最後には サーカスが バースデーソングを歌いました。


永六輔さん、79歳になられたそうです。
おめでとうございます。








2011年7月27日水曜日

つづき

昨日の「ノブオとちょびとセキネくん」を読んで

「先生、前にもセキネくんとノブオの命日は同じだ って
書いてましたよ。 忘れちゃったんですかぁ?」 と
ご指摘をもらいました。

はぁ?そうだっけ? と思い 過去キジを探ってみると

ありました

確かに書いてますねぇ(;´Д`)・・
ええー こんなこと書いた記憶なーーーい 。・゚・(ノ∀`)・゚・。


人間ツライ出来事は忘却の彼方へ追いやるシステムがちゃんと
あるのですね。 脳はえらいです。

ああ そうなんだ。 てっきり昨日 仏壇の前でしゃべってて
今はじめて気づいたんだ と思ってたわ・・・

なんかね ちょびのことをここ最近悩んでたんですよ。

いや 正確に言うと ちょびに関しては何ひとつ悩んでないんだけど
ちょびに付随する出来事というか 何というか・・・

歯切れが悪くて申し訳ないんだけども

ともかく ちょびの写真を整理したりするために使ってる Tumblr ですが
これは削除して 別アカウントの何かに移すことにします。


セキネくんとの日々も 本当に記憶が薄いんですよね。。。
ただただ死んじゃった日のことはよく覚えてるんだけど。
やっぱ脳はえらいんだな。

セキネくんの分まで ちょびには長生きしてもらって
うーんと可愛がってあげなきゃ なわけなのです。




















また明日('∀`)



2011年7月26日火曜日

ノブオと ちょびと セキネ君

月曜日は母せつこのとこへ行きます。

せつこは今 文鳥を2羽飼っています。

ぴーちゃんとくーちゃん。

それと熱帯魚がわんさか。

とても可愛がっているけれど この文鳥は
亡き父、ノブオが買ってきたものです。


ノブオはいつだって勝手に動物を買ってきたり
拾ってきたりしてしまう人でした。

で、世話をするのはいつだってせつこの役目なのですが。

カツオのようなやり方で ザルの下に米粒をおいて
罠をしかけスズメを獲ってしまうこともありましたし、
(カゴにいると意外とデカイと言ってすぐに飽きてました)

私が小さい頃はちょっとしたムツゴロウでした。

とりわけ柴犬の子供には目がなかったようです。


母せつこはいつもそれで怒ってました。


家族の中でどうやら私だけがそんなノブオの動物好きな血を受け継いだようで、私もやたらに小さい頃から
すて犬やら猫やら拾ってきたり 隠れて飼ったり
縁日に行けば絶対なにか 小動物を買ってきてしまう子供でした。

何かの雛とか
ハムスターとか そーゆーのを色々。


そうそう、隠れて病気の猫を飼っててアレルギーに
なってしまったこともありました。

そんなふうで 完全に禁止令が下されても
父ノブオとちょっとした公園の脇についた動物園なんかに
よく足を運んだものです。

動物好きな点で 私とノブオは奇妙な共犯者だったと思います。


私の記憶ではうさぎもノブオがどっかから連れてきたことがあり
ひどく母に怒られてました。


私が一人暮らしを始めたころ、真っ先に 動物を飼うことが
解禁になったことに喜びを感じました。

それでも仕事があったので、最初に飼ったのはやっぱり
インコだったかな。。

そしてカゴを揃えたり、ペットショップへエサを
調達しに行くのを手伝ってくれたのはノブオでした。


もう何度も書いたことがあったと思いますが
22歳か それくらいの頃 念願のうさぎを飼いました。

セキネ君という名前をつけたのですが

(ラビット…………………)



セキネ君との出会いはまだ書いたことがなかったと思います。

新宿をフラフラ歩いてて、伊勢丹の手前あたりの路地で
セキネ君は売られてたのです。

怪しいおっさんに。

いかにも弱々しい子うさぎが 小さな箱にひしめきあってました。


これは1匹出してあげなきゃ 狭いだろ と思い


でも いやいや うさぎを飼うのは大変だと思い通り過ぎましたが


200mくらい歩み進んだとろで やっぱりこの魔力に逆らえん と
諦め、来た道を引き返して買ってしまったのです。

冬の寒い日でした。



ココア色したセキネ君は とんでもなく甘ったれで
どこへ行くにもチョロチョロついてきて
トイレの前でも お風呂の前でも待ってる子でした。


当時 インターネットなんて普及してないし、
うさぎの飼育などペットショップで聞いても
まともに教えてもらえませんでしたので

やっぱりノブオに助けてもらい エサを買って(たぶんウサギ用なんて
なかったと思う。。) 野菜とかで かなりてきとーに育ててたと思います。


翌年の 中秋の名月にセキネ君は死んでしまいました。


「路上で売られてた うさぎじゃー もともとカラダは丈夫じゃねーよ」 と
大泣きしている私に ノブオが毒にも薬にもならないことを
言ってたのを思い出します。


いや、それらは思い出した というか
今日 仏壇でノブオと話してて ノブオから聞いたのです。


「そーいや お前 よく何か拾ってきてはピーピー泣いてたなぁ
ねー この子飼ってもいーい? ってなぁー。」


そんなふうにノブオが言ってる気がしたのです。

完全にあんたに似たんだし。。と言ってやりたいとこですが。



セキネ君の死はとてもショックで私の中で長く封印されてきた
ことでした。

ただ 今思い出すに、セキネ君が死んじゃった日はとても月がキレイでした。

何度も空を見上げましたから。

で、秋だったはず。

私は勝手に「中秋の名月」だと思い込んでたのだけど
なんとなくておセンチにそう思い込んでいただけなのかも。

調べてみたところ「中秋の名月」って必ずしも満月とは限らないそうで
すね。
で、毎年日にちもバラバラで。

その当時私が思い違いをしていた「中秋の名月」は10月15日だったのです。きっと。

そうするとセキネ君の命日は10月15日。



ノブオの命日も。。。。。。10月15日なのです。



今日、仏壇の前に座ってノブオの遺影を見ながら
そのことに気づき すごく驚きました。

そーか
そーだったのか と。


父が死んだとき
唐突にちょびを迎えることを思いついたのですが
やっぱりどう考えてもノブオにそれを後押しされてたような気がして
ならないのです。


ちょびの頭をなでながらセキネ君を埋めたときに大きなお月様を見たことを思い出し

やっぱり ちょびはノブオが引き合わせてくれたんだね、と言ってみましたが

ちょびはしらーんぷりしてリンゴをむしゃむしゃ食べてます。