2008年12月30日火曜日

踊り収め  過ぎ

いやはや 今年最後のレッスンも終わった~( ̄▽ ̄)
今日はサクッと個人レッスンと今年最後に出会った方々の
レッスンであった。

『また来年ね~』と大きな声で言ってくれて とても嬉しくなる。


それにしても その前夜の忘年会はマジ マジ 超楽しかったね。


毎年 忘年会は朝までするけど
今年越してきた麻布十番のスタジオはマンションなもんで
ドンチャン騒ぎの苦情を警戒して 一応12時で切り上げる……はずであった。



が、多数決の結果きれいに半数が終電無視して明るくなるまで残ることとなった。


毎年 全員 一品持ち寄りにしてもらってるけど
最初はしこたま食べ物 飲み物に溢れていたテーブルも 深夜2時を回る頃には
すっかりきれいになる。

で、例年通り明け方に味噌汁を配給する。


床には空いた酒瓶がズラリと並んでいる。
これも例年通り。


今年はなんだか新しい遊び方を覚えてしまって
即席でデモ大会になったりして かなり盛り上がった。


しかし…朝まで本当によく踊るなぁー と
いつものことながら感心してしまう。


みんなの顔は本気で楽しくて楽しくて仕方ない といった風であり

つくづく ここがあってよかったなぁ と思う。






去年の今ごろは
一体 年が明けたらどこへ行ったらいいのやら……

ああ 来年もこんな風に忘年会が出来るのだろうか……

ここ青山での 忘年会はもう二度とないんだな……とか


そんなことばかり つい考えてしまっていたように思う。


みんなが楽しそうに踊っていれば いるほど
息が止まってしまいそうなほど苦しかった。



そういえば
あの頃 ホントに過呼吸になってしまい レッスンも息が上がって 随分苦しかった。



今年は忙しかったな。
青山クローズして
焦りと不安の毎日で町中の物件探して歩き回って
麻布十番に越して
オープンして
ブエノスへ合宿に行って、挙式して
で つい先日 新居へ越して。



でも
しみじみ…… 私達が何があっても絶対 来年も忘年会やりたい って思えたのも

この人達の『もうっいい加減になさい』って怒られまで踊ってる姿を見たい って思えたのも


私達も踊りたい って思えたのも


全てクンパルの人々がいてくれたからこそで

だからこそ このスタジオでまた忘年会することが出来て


あ~あ  本当にあなたたちに感謝してます。


来年もよろしくね。




それにしても



踊り納め  過ぎ     だよね( ̄▽ ̄)

2008年11月27日木曜日

有難いことに麻布十番へ引越ししてきて7回目の入門コースを終えた。

毎月あらたな出会いがあり本当に有難いことだ。

ほとんどの方がインターネットから検索して
たどり着いてきてくれた方で
顔の見えない画面から初めての先生と
未知のタンゴ教室というのは
どんなにか緊張されただろう、あるいは 怪しい…( ̄ω ̄)と思いつつ入って来られたかもしれない(笑)


なかなか入門の4回レッスンの中から
タンゴの魅力を伝えきることは難しいところだが

いわゆる『ハマって』続けて下さる方は少しずつ
踊る喜びを知り
『早く上手になりたいなぁ~』とお話して下さる。


私達はタンゴ教室の先生だし
営業だ と言われれば その通りなのだけれど
本当に本気で『大丈夫。ぜったい上手に踊れるようにさせてあげっからね』と
心からそう思っている。


入門コースを終えると 出来るかぎり時間のあるときは
参加者全員にラブレターを送るのだが
『上達の秘訣はね……先生と仲良くなることなんだよ』なんて書く。

でも本当にそうで、クラスによっては10人も集まるクラスだと なかなか個々に目が行き届かないこともあり
そんなとき ほんのちょっと 苦手と感じてることや 楽しいと感じることを
話してもらえると
アホな私でも記憶に残り
その時が無理でも次のときには そこを克服 あるいは伸ばすためのメニューを提案出来るかもしれない。



クンパルでは新しいスケジュールが
いよいよ来週からスタートするけど
始めたばかりの方が対象になるクラスは出来るだけ安価に設定し
同じクラスを繰返し受講しやすいように
工夫を加えたつもりだ。


タンゴは全貌をようやく落ち着いて見れるようになるまで 1年くらい、平均してかかると思っている。

なので最初の1年は頑張って 回数をこなして たくさん身体を動かしてほしいと思う。

ステップなんて覚えなくたって なんだっていいよ。


それから 楽しいことに積極的に参加して欲しいな。

タンゴは練習 練習で わからない 辛いばっかりなものでなく

ゆったり時間を過ごすものでもあるよ。

自分はまだ踊れない、なんて言わずに 他の人の踊りや楽しみ方を観察することも楽しいよ。

どんな人にも言えることだけど
踊れるようになってから
と言うのはちょっと違うなぁ~と思う。

あなたはもう踊れるんですよ~、と伝えたい。

自分なりの『そのときの踊り』でいーのです。


来月はクリスマスパーティーがあります。

また宣伝みたいになっちゃうけど…

麻布からタンゴを始めた人にも ぜひ来て頂きたい。

ショータイムは私達もラロ先生も踊るし
フォーメーションクラスの生徒さんは平均して1年間習ってきた人達です。

そーいうのを見て 楽しんで 応援して欲しいな~と思います。



来年も こうしてもっと クンパルの仲間が増えることを
本当に楽しみにしています。



あ、忘年会もね。



はぁ~。もう忘年会かぁ~。


やれやれ…1年が早かね~。

2008年11月2日日曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~最終回~

私達の挙式をしてくださったのは アルゼンチンの日系二世の牧師さんで、
奥さんは美人なアルヘンティーナ、可愛い三姉妹の娘さんたち。
この一家に大変お世話になった。


もう一度 この一家に御礼を言いたかったので、私達はセントロから少し離れた教会へ
日曜礼拝に伺うことにした。

この辺りは 緑も多く 幾分空気もキレイで、散歩をするのにも
気持ちがいい。

余談だが この国では犬を飼う人が非常に多く、防犯上のことだとは思うのだが、
この日も犬の散歩をのんびりしている人とたくさん すれ違った。

そして それにしても 誰も犬の うOこ を片付けない。
誰も片付けないものだから せっかく キレイな街並みであっても
3歩歩くごとに 足元を気をつけていなければならない・・・・・・。

やはり掃除の意識が希薄なのだろうと思う。



日曜礼拝では 日系の方がみんな「おめでとう」と温かく迎えて下さった。

アルゼンチンの日系社会は結構大きく、約35,000人以上 在住だという。
この牧師さんもそうであるように、沖縄県からの移民の方が大半だそうだ。


アルゼンチンへ行き 自分が日本人であることを言うと この国の人は
大変 親切にしてくれる。
ほとんどのアルゼンチン人の人達は「日本が好きだ」「日本人が好きだ」
「日本人は信用できる」と言ってくれる。


牧師さんが何度もお話しして下さったことを そのまま記します。


「僕のお父さん、お母さんなど、初めにアルゼンチンへ移民してきた日本人の努力のお陰です。
彼らは 言葉が出来なくても まあ務まるクリーニング業を 多くはしてきました。
あるいは ボカ(港町)で 荷物運びなどをして それは それは一生懸命働いてきました。

そうして真面目に働いて、この国の人から受け入れてもらったのです。

知らない国で 言葉も通じないところで 一生懸命働いて いつかは必ず日本へ帰ろうと
言い続けて、気がつけばみんな70、80になっていました。

日系一世の高齢化が進んでいますが、せめて彼らに 日本語で生活し、
日本食を食べ、まるで日本へ帰ったかのようでいられる老人介護ホームをつくってあげたいです。

それが私達2世3世のするべき恩返しだと思っています。


そして 移民の私達を受け入れてくれた このアルゼンチンという国にも
御礼をしなければいけません。

この国は大変 寛大です。

ここに住まわせてくれた この国へ何かをしてあげたいと いつも思っていますが、
日本から衣類などの物資を頂けるのは 本当に有難いことです。

私の妻はアルゼンチン人ですが、小さい頃 日本から送られてきた衣類に深い感謝をし、
日本が特別な国になったと言っていました。」









この10年、アルゼンチンでは大量失業の常態化が続いており、3620万人の人口の
半分は貧困層に属するという。

近隣国から出稼ぎに来ている ボリビア人などで、その多くが携わっていると言われる
縫製工場などが閉鎖されると 一度に数百人単位の失業者を何の生活補償もなしに
出してきた。

大家族に毛布一枚で寄り添い、街角で物乞いをする こーいった家族を たくさん見かける。


アルゼンチン統計院では、所得を基準とした測定の他に、
「基礎的ニーズの欠乏による貧困」 という測定を調査をしているという。

・1世帯の中で1部屋に3人以上住んでいる

・住居の不備

・トイレ、便器のない住居

・6~12歳で通学していない子供がいる

・就労者1人につき、4人以上の扶養家族があり、世帯主が2年以下しか初等教育を受けた
ことがない


これに あてはまる世帯が居住する地区を、アルゼンチンでは 「Villa」ビシャと呼ぶ。
このvillaの人々が 何だか申請をすれば 簡単な仕事がもらえたり 食事の支給を
受けたり出来る制度があるみたいだけど・・・


私達が式を挙げた教会も、普段は 貧しい人へ 無料で食事の提供をしているそうだ。



もちろん とっても裕福な人もたくさんいて、そーいう人は セキュリティーのついた
マンションに住む。
戸建ては必ず強盗にやられるから、マンションのほうが安全なのだそうだ。





そういえば つい2年前まで ブエノスへ着いたら、米ドルをペソに両替えするしか
方法がなかったのだけれど
今回 両替所で日本円からペソへの扱いもあって とっても驚いた。

よほど日本からの出入りがあるのだろうと思う。

この国にとって タンゴから派生する動き、外貨の出入りは有難いものだろうな、と思う。




こんな記事をみつけた。

靴を寄付するために起業したデザイナー

TOMS という靴屋さんで、ここの靴を1足買うと、アルゼンチンの裸足で生活する子供達へ
1足プレゼントするという大胆なボランティアだ。



エライ人がいたもんだねー。





日本では、最近のタンゴの楽しみ方が派手でなければつまらない といった風潮であるように見える。
チョイワルとか なんとかで取り上げられたからか?

きらびやかな ゴージャスな空間で、ドレスを着て、ワインを飲んで、お洒落に気取ることが
タンゴの楽しみ方?

もちろん それも楽しいし、そーやって楽しむことで アルゼンチンの経済も発展するし(日本も?)


でも・・・・ただ タンゴが好き~とか、
かっこいい~、とか言って、そんな表面的な快楽主義でいるのは
恥ずかしい、と思う。

せっかく信用を築いてきてくれた日系一世の方に申し訳ない。


私達にこのタンゴの素晴らしさを 惜しみなく分けてくれるアルゼンチン

大らかに 移民の日本人を受け入れてくれたように・・・

この国をリスペクトして、このダンスを楽しみ、この国に感謝しなければいけないな、と思う。






今日で「ブエノス・アイレスのお話 2008」 はお終い。

まだまだ話しは尽きないけどねえ~~っっ。

また今度にしよう。

じゃーね(。・ー・。)ノ

2008年11月1日土曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~その5~

はじめに書いた「イグアスの滝ツアー」で びしょ濡れになり、
ブエノス市内は もう春だというのに やたらに寒く、
景気の悪さから 人々のエネルギーは低迷しており、
私達はそろって すっかり風邪を引いてしまった。

ブエノスで体調を崩すなんて・・・・
それこそ10数年前に 初めてブエノスへ行ったとき以来である。

いっつも ブエノスへ行けば 超元気 お肌つるつるで帰れるのになあ~。。。


そんなして 鼻水ずるずるしてた私達なので いつもより深夜のミロンガ遊びも
セーブしてしまった。

こちらでは10時か11時になってミロンガが始まり、深夜2時3時4時まで続く。
ここでは物騒なバスが24時間走ってるんで、ポルテーニョはそれで帰るけど・・・
私はとても乗る気にはなれない。こわいもん。




このミロンガは ミロンガの前にレッスンがあったので、そこから参加してみた。

タンゴを踊るスタイルも本当に様々だが、
このミロンガはモロに ひとつのスタイルに固まっていた。
当然ここのレッスンをする先生のスタイルってことだけど・・・。

私も「ここのスタイルに合った練習をしなさい」と非常にダイレクトな注意を
先生から受けた。

もちろん それはその通りだから、忠告に従って そこのスタイルを学ぶことにした。



レッスンが終わって ミロンガTIMEになると レッスンに参加していた人達は
端っこに固まって待たなければならない。

ひとりのセニョーラが 座る場所の割り振りを細かく指示してゆくのだ。

「男性同士? 二人? じゃあ あっちの角、 女性3人? あのテーブル 前列ね、
次は?カップル? あとで! そこの男性 一人? こっち来て」

といった具合である。

非常に時間がかかる。

私達のようなペアは後回しで、最後まで突っ立ったまま待たされる。

いい加減 時間がかかって頭に来たので
「どこでもいーから早く座りたい」と言ってみたけど
まったく相手にされなかった。

この日はレッスン参加者も大変多く盛況であったので、そのテーブル整理もことさら
時間がかかった。

後から、ミロンガのみ参加するために来た人にとっては
入場料を払って テーブルを案内されることは 至ってノーマルなことなのだろうが・・・・




ここは、年配の方の多いミロンガで、カベセオ命ーー!!っていう炎がメラメラとしているような
雰囲気である。

カベセオって言うのは いわゆるアイコンタクト ってやつで
遠く離れて座っている女子に 男子がめくばせして「踊ろーぜ」って誘うことを言う。


以前、ここ おんなじミロンガに来たときは 来てる人達が うーんと余裕があって
エレガントでかっこいいな~、と思ったけど

どーいうわけか まったく同じ空間であるのに ちっとも かっこいいと思わなかった。



以前は そのカベセオも自然な流儀で出来上がっていたのに、
今ではカベセオのために駒を適切な位置へ配置してるって感じである。
本末転倒でないの??



それに・・・なーんかこう・・・
「踊れねーやつあー人間じゃねー」みたいな ちっちゃさ、 

「ここのスタイルじゃない人は他所のミロンガ行けば~」みたいな ちっちゃさ、
(レッスンが終わってミロンガだったら どこぞの者でもいーじゃんっ)

1タンダ終わるごとに 競い合うガツガツした感じと
(↑コルティーナで区切られた数曲のまとまり)、

下手なやつは円の外へはじき飛ばす意地悪さ、
踊れない女性は徹底して 座ったまんまにさせる思いやりのなさ、


あーあ、書いてるうちに 嫌になってきた

ちょっと さだまさし の真似して

「意見には個人差があります」 のプラカードだしとこっ。




まー  ともかく
踊りのタイプも好きじゃーなかったし、
つまんなかったもんで、ここはさっさと帰ることにした。



そんなわけでミロンガへはあまり行かなかったけど
プラクティカへは ひょいひょいと行った。

ミロンガより時間も早めだし。

プラクティカと言っても 「練習です」って感じではなくて
もっと気楽なミロンガって感じである。


何より「大らか」だ。 誰が上手だろーが、ヘタっぴーだろーが気にしない、って感じで
円からはじき飛ばす なんてことないし、ぶつかっても お互い様 って感じが すごくした。

ひょっとしたら 今はこーいう プラクティカという名のミロンガ みたいなライトな感じが
主流なのかもしれないな、とも思った。




それと、今回 感じたことは・・・
やはりタンゴも「外国の影響を強く受けてるんだなあ~」ということ。

以前はアルゼンチン国内でも「タンゴ・ブーム」の波があって、流行らないときは
CD屋さんでもタンゴのCDは奥のほうで ひっそり ちょっぴりあるだけだったりしたし、
流行る年は教室が増えたりした。


それが、今では いつだって「タンゴ・ブーム」だ。

日本で 急激にタンゴ人口が増え始めたのは ここ5-6年と思う。
それは たぶん世界的にそれほど誤差はないだろうから、
この数年 アルゼンチンへ旅行するタンゴ好きな人々は世界中から増えているだろうし、
ミロンガへの観光客の出入りも当然増えて。。。私達みたいに。

踊りのスタイルも多様化することで広告しやすくし、
ミロンガにも新たなルールができてきた。

あるいは、ミロンガに新たなルールをつくったのは間接的に外国人観光客なのかもしれない。



本来、   というか 以前からある老舗のミロンガは どこもアットホームで
家族で、とか 夫婦で、 とか恋人同士で、友達同士で 踊ることをとても大切にしている。

新たにタンゴを習う人は とっても練習熱心で 足しげく教室へ通ううち 友達ができて
ミロンガに誘われるようになって その輪に入ってゆく。

そーいった流れであったのではないか と思う。


そして ブエノスでも どんどん新しい ミロンガが出来ては
潰れていったり 変化が激しい ということも 現地のミロンガ大好きっ子から聞いた。

むつかしいんだな~。。。。







今回の旅行で 私達はコリエンテス通りにある 170年の歴史の古~い教会で挙式をした。

その夜、式にも参列してくれた友達がプラクティカに誘ってくれて
ここも古くからある アットホーム・スタイルのプラクティカというより自由なミロンガで

なんだか テラちゃんみたいな人とか トヨダのおじさんみたいな人とか シャンハイみたいな人がいて
みんなして 私達を順に紹介してくれた。

で、みんなして 「おめでとう」を口々に言ってくれて
みんなして かわるがわる お祝いに踊ってやる とか お祝いに歌ってやる とか
お祝いに演奏してやる とか そんな状態であった。

で、私達も エキシビジョンやれ と言われ



こんな風に踊った。


COCHABAMBA 444

グスタボ・ナベイラ というダンサーが 昔からとても大切にしている古いミロンガだ。

よそ者の私達が思いがけず この コチャバンバで温かい祝福を受け 踊ることができて
私たちにとって ここは とってもとっても大切な場所になった。


こーいう 大きな人柄のオーガナイザがいて、それを囲む温かくも タンゴに病気な人々が
集まるミロンガは長く続くんだなー、と思うし・・・このまま変わらないでいて欲しいなーと思う。


そして、クンパルも やっぱりこんな風でありたいなー と思った。





あ、コチャバンバではカレーライスもおやつもなかったけどね

2008年10月31日金曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~その4~

ブエノス・アイレスには たくさんの車が走っていて
その数は年々増える一方だという。

しかし これが ビックリするほど汚くて古い。


車だけ見ると20年前にタイムスリップしたようだ。



こんなんとか。





それでも最近は新しい車も随分増えたけど


それにしても やっぱり古いのが多い。


こんなんとか。


もう一台 こりゃースゲエーってのがあって、どーしても写真撮りたかったけど
運転席におっさんが座ってたから さすがに撮れなかった。

よく乗ってるぜ と思いつつ・・・



こんなん序の口。



リサイクルは大事なことだけどさ
もう車に関しては やめときゃいーのに と思うよ。

こんな古い車でガンガン排気ガス出しちゃいかんよ。


リサイクルと言えば
随分前に日本からアルゼンチンへ丸の内線のお古をプレゼントし、
今でもブエノス市内を赤い車体の丸の内線が走っている。

セントロの地下鉄はA線、B線、C線、D線と単純なつくりで
丸の内線はB線だ。



懐かしいね。
10年前くらいまでは日本語の広告なんかが残っていた気がするけど
今ではすっかりスペイン語の広告が張り巡らしてあり、とにかく車体は汚ない。


シミだらけで真っ黒なシートには とても座る気になれないし、
手すりもベタベタ。
車内はゴミだらけ。


ってゆーか
もう本当に古いもんねー。
いや ほんとにリサイクルはいいことだけどさあ~~~
シートを取り替えるくらいはしたらいーのになぁ~。


まだ新しいD線は幾分キレイだった。



駅の構内もセントロから少し離れると ちょっとはマシかな・・・



「Salida」(サリーダ) って書いてあるね。
出口だから 空港でも駅でも アチコチに書いてあるよ。


日本に帰ってから あらためて思ったけど
日本は電気を使いすぎだね。 やっぱし。
すごーく明るいよね。 

でも この明るさで慣れているから ブエノスの地下鉄はすごーく暗くてねー、
ブエノスはもうちょっと使うべきだと思う。

暗くて汚いんじゃー 犯罪も減らなくて ますます気分も落ち込んじゃうね。


この国の経済を立て直すには まず「掃除」が必要だと 切に思った。

どこへ行っても汚くて、ゴミだらけで、
こんなんじゃーお金はやってこないよねー。Dr.コパに怒られるよ。まったく。


どこの国へ行っても 国の玄関である「空港」はみーんなキレイにしてるじゃない?
ブエノスは空港から汚いもんね。マジで。
なんとなくベトベトしてんの(笑)
どこ触るのもヤダな~って感じ。


今度長く住むことになったら ボランティアの「掃除の会」でもつくろ。

・・・・誰も集まんないかもな・・・・・・・・

2008年10月29日水曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~その3~

久し振りにブエノスへ行って 一番驚いたのが物価の高騰。

現地のお友達から聞いてはいたけれど 本当にどれもこれも「高いな~」と感じた。

もちろん それでも日本に比べれば安いものの方がずっと多いけれど
現地の人の平均給与とか、生活レベルで考えると
とてもとてもやっていけるよーなもんじゃーないだろうと思う。


私達がブエノスへ到着した日は日曜日だったので
サンテルモという古い街へ行って 少し「蚤の市」を見て歩いてから
ここで食事をした。

こんな石畳の街。 アンティークのお店の宝庫。



やたら車が並んでるね。。。




この街の古いレストランで食べた肉。

アルゼンチンでは「アサード」と呼ぶ焼肉。



真っ黒いソーセージは牛の血を詰めたもの。
私は少し苦手・・・・・。

こんな鉄板が二つと、ワインと、ビール、サラダ、あと何だっけ?
そんな感じで ひとり $53-(ペソ)くらいだっけ? 
だいたい¥2,000-弱くらい。

安いじゃん って?

そだね。 この店は比較的 安かった。
で、この店で食べたのが初日だったから そんなもんかと思ったら
やっぱり ぜーんぜんそんなことなくて 他はどこも高かった。

マクドナルドなんて日本のほうが安いくらいだよ。

お洋服とかも高くなってたし。。。





これは八百屋さん。
すっごく色がきれいだよね。





1人分に野菜を切って ラップに包んで 売ったりなんかしてんのは日本だけなのかもね。
知らないけど。

ブエノスのスーパーではぜんぜん そんなの見かけないなー。
わっしょーい とデカイ野菜がドーンと売ってるよ。



私はブエノスがすごーく大好きだし、行くと元気になれる。
基本的にこの国はエネルギーがとても高いように思う。

人の発するエネルギーが高くて、強い「気」があるように思える。
だから好き。

超汚いし、すっごく空気は悪いけど、それでも好きだなあー、と思える。

あ、そういえば こんなに汚いのに臭くはないんだよなー。。。。なんでやろ?(。・ー・。?)



それにしても、今回は あんましその「強いエネルギー」を感じることが出来なかった。
やっぱり インフレとか安定しない経済からなんじゃーないかなあ~。
ああ、経済が安定してないのはこの国ではいつものことだけど
外国の影響を強く受けてダメージがあるのとでは・・・何か違うのかもしれないなあ~・・・。



それでも
セントロのフロリダ通りでは、相変わらず観光客のチップで小遣い稼ぎをする ダンサーが
元気に踊っているけれど。



フロリダ通りのお店は本当にコロコロとよく変わるけれど
今回はやたらと電気屋さんが増えていると感じた。


私達がブエノスへ行くとき、最も大事なお買い物。
タンゴシューズとタンゴのCD。

これらも やっぱり値上がりしてた。


タンゴのCDは 毎回必ず同じお店で買ってて とっても小さなお店なんだけど
もう顔見知った店員の兄ちゃんが 何枚でも自由にCDを聞かせてくれるし
欲しいのの曲名とかを言えば すぐに出してくれていた。

が、残念なことに このお店もなくなっていた。

この店の近くに 「Musimundo」(ムシムンド)という大きなCD屋さんができたからだと思う。
HMVみたいなお店。

Mundo(ムンド)は「世界」って意味で、Musica(ムシカ)=音楽とあわせた造語だね。


あー、あの店員の兄ちゃんにはもう会えないんだな~。
いつだったか 半年ぶりくらいに行ったときで 「えー?また来たのー?日本からでしょー?」って
覚えててくれたときは嬉しかったのになあ~。


仕方なく ムシムンドをフラフラ見てて こんなん見つけた。





や 安岡力也??!!

ホタテマン in ブエノスアイレスー!!??

って ひとりで盛り上がって 店員に気付かれないよーに 隠し撮りして
さっさと広い店内を後にした。



ほな また明日♪

2008年10月28日火曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008 ~その2~

ブエノス・アイレス とは 良い空気 という意味。

でも、実際 街の中心は それは それはヒドイ空気である。
コレクターボという 街を24時間走るバスは、真っ黒な煙をもうもうと吐き出し続ける。





写真は世界一広い道路。 7月9日大通り。
スペイン語では Nueve de Jurio 「ヌエベ・デ・フーリオ」。

アルゼンチンの独立記念日で、タンゴの曲にもあるね。
知ってる・・・でしょう??

スッチャカ ラッチャ ツチャツチャ   スッチャカ ラッチャ ツチャツチャ~~~

え? わかんない? スーダラ節かって?




まあ いーやっ。

この通りは 最大幅140m 16車線もあるんだよ。

白い塔は独立記念の「オベリスコ」。
サッカーのワールドカップでアルゼンチンが1勝するごとに、このオベリスコに
ダダーーーっっっと人が群れて 大騒ぎすんの。






これは世界3大劇場 「テアトロ・コロン」。 コロン劇場。

大きいよ~。

古いから いつ行っても だいたいあちっこっち修復工事してる。


ヨーロッパ文化をそのまま連れてきたブエノスでは、建築様式もヨーロッパそのまんまで
こーいうコロン劇場みたいに特別なものだけでなく
普通の建物も本当にみんなステキなの。


このコロン劇場の裏あたりにも、すごーく大きくて立派な建物があって
コロンよりも どーかしたら素敵だったから TAXI のおっさんに
「これ な~に」って聞いたら

「え~?何だっけな~、水道局だったかな~。 あ~、確か船舶関係の水道ナントカだ~」

なんて言ってた。


この国は地震がないから、建物も修復しながらで長持ちさせてしまうことが可能なようだ。
                                                                                                      ヨカことね。




もちろん 外国の企業が進出してきていたりして(トヨタとかマルチャンだってそうだけど)
新しい かっけえービルもどんどん建ってる。

上の写真にも右手後ろに 新しいビルが見えるね。

お台場みたいに開発されてる辺りなんかには IBMのでっけえー かっけえービルが
建ってたりして、こーいう古いヨーロッパ風な建物は ぜーんぜん無かったりするの。


でもまあ・・・・・まーだまだ当分は 古い街並みなまんま なんじゃーないかな。

そうそう、撮影なんかに便利らしいよ。
色んな国にあちこちが それぞれ似てるから。


今回私達が泊まったホテルも なんと1950年に建てられたものだってさ。

エレベータには普通に自分であける トイレのドアみたいなのがついてて、
更に蛇腹をガチャガチャと その都度 開けたり閉めたりしなきゃなんない 例のアレだったよ。

蛇腹だけは さすがに古くなったんだろーね。

アルミサッシとプラッチックのに変えてあった。



これまでにも幾度となく「ブエノス・アイレスのお話し」を書いてきたけど

私はあんまし写真を撮り歩くことがないもんで・・・

こーいう基本的情報(?)を掲載したことはなっかたので

どーんと写真を載せてみた。 これもサイバーショット携帯を無理して買ったお陰である。




そうそう!!サイバーショット携帯といえば・・・

ドコモってやつぁー 本当にエラかねー。
GPSってーの? アレで今 私が日本から出たこととか、どこにいるとか
みーんなわかっちゃうんだね。

着いてみて ちゃんと「日本時間OOO時OOO分」とか 小さくでてて
ブエノスの時刻表示に変わってるから・・・・いや~~ 本当にタマげたよ。

すっげえなあ~~~っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






ほな また明日(。・ー・。)ノ

2008年10月27日月曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008 ~その1~


今回は合宿として生徒さん達と行ったので レジャー盛りだくさん。
ヤッタネー♪ということで
メインはこの世界遺産「イグアスの滝」。

すっごいべー。

この写真に嘘偽りございませんことよ。
私が撮ったんだから。

ちっちゃく見えてるのがボート。

わざわざ濁流にのまれにいくことが、ツアー料金に含まれている。


もちろん私達もこのボートに乗った。







写真は1コ前のチームで、私達は数分後に迫る自分達の見本を
少し離れて撮影した。

ゴゴーーっていう轟音の中で行ったり来たりしたときは
本当に息も出来ないような感じで、すっかり目をつぶってしまったので
何が何だかわかんなかった

ドリフで頭上からタライの水を浴びるときは、一瞬こんなふうなのだろうか・・とか
レベルのちっちぇーことを考えたりした。



イグアスはとにかく広い。 デカイ。 ああ~ 南米大陸~~~っ って実感できる。

1日で周りきれるもんじゃーなく
本当はアルゼンチン側からと、ブラジル側から、滝を上から見たり、下から見たり って
ぐるぐる歩くのがよろしいのだけど

短い合宿期間でタンゴ踊らずにどーする って感じなので
無理矢理 日帰りを強行した。

かわいそーに 参加者は 朝5時起きで。



35時間ほどかけて やっと到着し、翌日5時起きでイグアスの滝に打たれる。
ほぼ罰ゲーム・・・・( ̄Д ̄;)


全身びしょぬれになり (マジで・・・・パンツまで)
びしょぬれのまま お昼ごはんで肉を食べ (マジで・・・イスに座って グショ とかいう音たてて)
自然乾燥させつつ ひたすら次の目的地まで歩く








こんなとこを 延々歩く。

もんのすごーく強い陽射しで ヘロヘロになって歩く。

頭から順に乾いてゆくのを感じつつ・・・・

こんなヤツにも出会う





大騒ぎして写真におさめたけど ビクとも動いてくんないもんで つまんないじゃんっ( ̄。 ̄;) ちぇっ

せっかくだから ぐわーっっっ とか口広げてくんなきゃ・・・ダメじゃん




で、散々歩いて到着したのが 悪魔ののど笛 という恐ろしい名前が
ついたイグアス最大の水量スポット (他だって そこいらじゅう全部スゴイけど)




これ。 カメラぜんぜん ズームにしてないよ。
このまんま この近さで これ。

こんなのがパノラマで広がってるの。

映ってるのは ちょうどアルゼンチンとブラジルの境界あたり。




なんかね・・・

こーいう自然のデカさを こんな近くで見ちゃうと・・・言葉も何もあったもんじゃーないね。


本当に目の前にして


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ただ見つめてただよ。



この滝には つわものの鳥が住んでいて、外敵から身を守るために
なんと この滝の中に巣をつくってるんだよ!

猛スピードで ぐわっしゃーーーっっっと滝の中に突っ込んでゆく姿は
超たくましいよ。

たまに まぬけが流されたりしないのかなー と目をこらしたけど
さすがに そんなんは居なかった・・・・。


この滝を望む柵はほんの粗末な木でできた 低いもので
ひょいっと身を乗り出せば簡単に 滝つぼへ身を投じることが可能である。

人間っておかしなもんで 怖いっちゅーのに つい身を乗り出して
「どこまでいけるかなーおいっ・・・・・」なんて青い顔して やってみたりするもんである。

すぐに 「おーこわっっっ」と首を引っ込めるけど ふと隣を見れば
短パンにランニングのアメリカ人観光客も 同じよーに身を乗り出しちゃー
「ワーーオオーーー」なんて言ってたりする。


ガイドさんに 「ほんとに事故になったりすることってある?」って聞いてみたら
超マジな怖い顔で
「ほとんど ないよ。  でも・・・・・・・・・・・・・・・・


年に数回・・・・・・・・・・・・・ 雨量が多くて 観光中止になり、立ち入り禁止になるときには

自ら入る人が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」









( ̄Д ̄;)そうなんだ・・・・・・。教えてくれてありがとー。



世の中エキサイティングなヤツがいるもんだ。





みろ。 虹がでてるじゃないか。 こんな素晴らしい自然の中に入るだなんて・・・罰あたりなっ。





実は私はここへ来るのは2度目である。

たぶん・・・・12年前くらいに、アルゼンチン側からもブラジル側からも見てるので

「わーっ、スゲエー」とか きっと言ったハズと思うのだが

恥ずべきことに記憶にない。 


なので、今回はぜひともっ  今度こそしっかり見て、目に焼き付けておこーと思ってた。
自然ってスゴイなあ~。
来れてよかった。




またね~(。・ー・。)ノ

2008年1月14日月曜日

しあわせ王子のお話

昨日はホープTさんプロデュースの

立ち退きミロンガ

あらため

はばたきのミロンガ  であった。

続々と人が集まりスタジオはギューギューづめで
人々は飲めや踊れやの大騒ぎで それはそれは楽しい時間であった。

いっぺんに集まるとこんなにいるんだああ~~と ちょっとビックリしてしまう。

どうもありがとう。
どうもありがとう。


とっても とっても感謝しています。



ひとり いくらかずつ集めて飲んだり食べたり踊ったりしていた彼らであったが
その宴は実に5時間半におよび
挙句 「先生っ、今日の会場費タダにして」 と言い出した。

このお金は貯金しといて「新スタジオオープンのときにまわすからっ」 と。


こりゃ大変だ。
さっさとオープンさせなくっちゃ。

そーいう温かいプレッシャーをかけてくれる この人たちに
支えられてイマを生きていることを強く実感する。

ばっかみたいに いつまでも踊りまくってる姿は ほんっとに楽しそうで

私達は この人たちが 喜んで楽しんでくれることが何より嬉しいことであるから
そうであるように 早く 早く その場所・環境を提供できるように
整えてあげなければ。






「しあわせ王子」ってお話しがあって

王子はたーくさんお金があるし、なーんでも買えるし、美味しいものもたーくさん食べれるけれど
でも なーんとなくつまんなくって
王様に

「僕、何かがつまんないです。
本当のしあわせって感じがわっかんないでっす。
心の底からわいてくるような喜びって 感じたことないでっす」と言った。

王様は「王子をしあわせにした者には褒美を与える」とおふれを出した。

すると一人の若者が「これを王子に渡してください」と封筒をもってきた。

封筒の中には1枚の紙切れが入ってあり


「毎日1回以上 人を喜ばせなさい」

そう書いてあった。

王子はこの言葉にひどく胸を打たれた。

「そうか。僕は今まで与えられてばかりで、与えられるだけで生きてきた。

ひとに与えたことがなかったんだ。」

この日から王子は人を喜ばせるにはどうしたらいいかを考えるようになり、
「与える」とはモノだけに限らず、言葉だったり、
もっと形のないものだったりなのだ、ということを知り、
しあわせに暮らしました とさ。


というお話。




スタジオをやっていくのは正直言って ほんとに大変なんだなあ~ と実感している
しんどいし、めどくさい。

でも みんながココでタンゴを覚えて、仲間ができて、とても楽しい時間を共有するのなら
それはやっぱり私達にとっても幸せなこと。

しんどい以上のしあわせがあって
めんどくさいなんて言ってらんないしあわせを求めて
みんなをしあわせにすることに懸命に、まっすぐでありたい、と

そう思います。



「しあわせ王子」が知った「与えるしあわせ」 とはつまり
思いやりなのだろうと思ったミロンガでした。