2015年8月27日木曜日

波に乗る

先日、ちょっと興味深いお話を聞きました。

長くサーフィンを続けている方のお話で、その人は
プロ並みで たくさんの大会に出てて
優勝経験もお持ちなようなのですが、

波。
自然が相手のスポーツなのですよね。

先月にも大会があったらしいのですが「何日に開催」という
正確な日時は決まってないそうです。

「だいたい何日〜何日の間でいい波がありそうな日」


そんな大会あんのか! と驚きました。

参加選手には 天気予報というか波予報みたいなので、前々日くらいに

「明後日かもよ」というアバウトな知らせがくるそうです。

すごいですね。


それで、実際のサーフィンをしている時ですが、
波に乗ってる時、次に来る波を一瞬で(もう 本当に一瞬ですよ、一瞬!)
感じとって その波の中で こーやって こー回って こー という
イメージがバババーっと頭の中に沸くんだそうです。

波の中で 回ったり足あげたり そーいうパフォーマンスをする って
ことね。

それを 一瞬の中で 波の大きさとか角度とかを「感じる」ことで
イメージを同時に出してゆく。。。

ああー 口にすると難しいなー 
説明は無理ですよー と言ってましたが

なんとなく 私は理解できました。
一瞬というか、その前からの時間の流れの中から
そのイメージが映像となって頭の中に流れてきてて
ほぼ同時進行で体がそのように反応し、動いてゆく、という感覚。

タンゴのフォロアーと一緒です。

相手は自分ではないので、
相手の考えてることや、動きを予測することはできません。
他人なのです。

自然の波を相手にしてるのと同じことです。


いわゆる本当に真面目に「受け取ってから返す」という
レスポンスの仕方しかしない踊り方だと、
その時差が「重さ」になってしまう場合があります。

男性が感じる「この女重てー」というのは そのような
実際的な時差からくる場合も あるかもしれません。

あくまでも「感じる」ということと、その中で同時処理され、
なおかつ イメージを先行して自分自身が自分の意思で
パフォーマンスをしなければ かっこいい踊りにはなりません。
ただ受けただけ。


自分で踊ってない女性が多いのはそこです。

踊らせてもらってるけど、自分自身で踊ってない。

だから一緒になんて踊れない。



前回のレディースクラスではボレオをやりました。

レッスンの最後で、こんなお話をしました。

「今日のボレオは こんな形に足をあげる方法をやりました。
でも実際には
柔らかな音楽、リズミカル、流れるように、切るように・・・
様々な表現があり、
お相手の男性とのバランス、エネルギーの量、コネクションの強弱
総合的な判断から、
毎回違ったボレオの形が生まれるかもしれません。
そしてそれは意識的であった方がいい場合がたくさんあります。

例えば、私のボレオのスタイルは必ずしも
(前ボレオの場合) 足を後ろへ向かってあげるだけでなく、
垂直に立てるようにあげることもあります。

これは私のスタイルです。
私のスタイルであり、かつ その時の状況的にふさわしければ
このスタイルを選ぶかもしれず
ふさわしくなければ別の形になるボレオをするかもしれません。

女性は表現を担ってるのであり、男性のいいなりになるのとは
違います。

でも、しかし、今はまず自分で立ち、正しいディティールの
基本的なボレオが出来るようになるように練習しましょう」 と。



サーフィンの話からも ついタンゴに結びつけてしまうんですけどね。

あ、サーフィンのパフォーマンスというのも
ほとんど遠心力だそうです。そんなところもタンゴと共通してる
点がありそうです。



ところで
サーファーさんというのは日常的に
「今日も波に乗った」とか そのような言葉を使ってるのだ
ということも気づきました。

「波に乗る」だなんて、最高の言葉ですよね。

言葉には魂が宿りますから、日常的に波に乗り
なおかつ 海の潮水に浄化されまくってる というのは
なんとも羨ましいな〜 なんて思ってしまいました。


  あ、私 海キライなんですけどね。

  もう20年以上、海に入ってないですけど(笑)














2015年8月10日月曜日

人生スイッチ


映画「人生スイッチ」を見てきました。



アルゼンチンの映画だって。

すっ飛んでる(笑)

アルゼンチンってアートのセンスがいいなー と思う。
シュールな笑いとか、映像センスとか、ファッションデザインなんかも
独特な良さがあるしね。
センスいい。

この映画はオムニバスで、小さなお話がポコポコでてくるんだけど。

そのうちの1つで、

ああ、軽くネタバレになっちゃうかなあ・・・

これから見るには なんだけども・・・


そのうちの1つで、
まあ他人のためにっちゅーか、なりゆきで人を殺すんだけど、
そーだよな、人生に完全に絶望していると
こーいうのわかる気がするな って
なんだかそう思えてしまうのがあって、

でも こんなことしてしまうほどに人生に絶望するのって
やっぱりそんなにザラにあることじゃないんだろうけどな
でも絶望の度合いは人それぞれだろうから
このかーちゃんにとっては もう残りの人生がどーでもいー っちゅーくらいには
絶望だったのよね。


って、生命線の短さと運命線がぷっつり切れてる自分の手の平を
見つめながら
そんなことを考えた映画でした。

ふふん。


面白かったよ。


行ってみて。