2019年9月19日木曜日

遠い記憶のへんな話 PORQUE LA QUISE TANTO

先日、師匠がブエノス行った時
デカイ石 買ってくれた話を書きました。


あの時のブエノスなのか、別な時だったか
記憶が曖昧なんだけど


いつもなら ブエノス行く時は、舞踊団の先輩たちが
みんな一緒に行く って感じだったんです。

それが、たまたま人数が少なかったのか・・・

師匠と 私と・・数人くらいしか いなかった時がありまして



そもそも 当時 20数年前ですね

タンゴ業界に若者はまったくいませんでしたから

私の周りは 大人ばかりで(笑)  ポツンとお嬢ちゃんがいる って感じだったんですよ(笑)


いえ、20歳も過ぎてるのにお嬢ちゃんはないだろ と思われるでしょうが


ほんとに けっこーな大人っちゅーか 超大人 ばかりでしたからね
感覚的にはですね  お嬢ちゃんですよ



そう、それで

何を思ったか たぶん 師匠が 私が話し相手もいなくて
かわいそうだと思ったらしく



ブエノスで デートを斡旋してくれたことがあるんですよね(笑)


ウケるでしょ?



あのねー、 アルゼンチンって言ったらサッカーですよね。

それで、当時 すでにポツポツ日本人の男の子がサッカー留学してたりってのが
あったんですよね。


師匠がそんな男の子の知り合いなんているわけもなく


たぶんね、ママに頼んだんですよ。


ママってのは ブエノスに住む 日系人のスズキさんの奥さんで、
師匠とスズキさんは仲の良い友人でした。

いつでもブエノスへ行く時は スズキさんを頼ったのです。

それで、ママもとても頼りになる太っちょのお母さんでした。

   怖いけどね。


スズキさんと ママは私のことを ニーニャ(お嬢ちゃん)と
呼んでました。


余談だけど、E君を紹介してくれたのもスズキさんなんですよ。
その話はまた今度。




ああ、それで
師匠は 私が退屈すると思ったのか、どーいうつもりなのか知りませんが

スズキさんに 私のデート係に合う男いないか 聞いたんだと思うんです。


今にして思えば ですよ。


それで、スズキさんは サッカー留学に来てる日本人の世話役もやったり
してたのでしょう。
その中の一人を 寄越したってわけだと思うのです。


でもなー、男の子ったって 10代って感じじゃなかったし・・
なんだったんだろ?
留学じゃなくて、サッカー関係の仕事だったのかなぁ?




あるとき、泊まってたホテルのロビーへ降りていったら、
師匠と その若い男が話してるんですよ。

それで、私を手招きすると、

「彼に街の案内をしてもらいなさい。
   彼はスペイン語もできるから。」

なんて言うんですよね。


なんで、ここに日本人がいるんだろ? とか

よく理解できないまま、 師匠の言うことは一応絶対ですので
その男の子と出掛けたわけです。


ブエノスにしちゃ きれいな ショピングモールみたいなとこ
連れてってもらったかなー?

カフェに入って、
タンゴが大好きだ という話をして、

彼は タンゴはまったくわからない と言ってて、

プグリエーセの曲を聞かせたけど

 「まったく知らない」 と言われ。 ←そりゃそーだ


 この曲のことだけは やけに鮮明に覚えてて
 Por Que La Quise Tanto (ポルケ ラ キセ タント)って
 プグリエーセの中でも 指折りの暗い曲!!
 ドン底に暗い。よりによって(笑)



確実に 初対面の若い二人が 初デートで聞く曲ではない!!!





うおーーー。 久しぶりに聴いた! くらっー!!





で、また翌日だったか どーだったか

今度は師匠が 川下りに連れっててやる。
彼ももう誘ってある とか言うわけですよ。


そんで、 若いもんを二人に   みたいな感じで

明らかに くっつけられてるわけです。


意味わかんないでしょ?(笑)


そんで、なんだか 私は だんだん腹立たしくなってきて
川下りの船の上で、ずっと不機嫌でした。


彼も 私が どんどん不機嫌になってゆくので
どーしたものか困ったでしょうね。





それっきりです。

その男の子の名前も忘れてしまったし、
写真1枚残ってないし、

当時はまだ E-メールなんて 一般的ではなかったですから。

連絡の手段もない。



師匠はね、昔の人だったので、
マジで意味のわかんないことあり過ぎでしたけどね、

たぶん 師匠なりの なにか があったのでしょう。


まあ、やっぱり 遠い国で 寂しい思いをさせてたらかわいそう とか
  他はみんな じじーだし

あとね、



師匠はね、 ちょっと私をバカにしてたんですよね。

タンゴは 大人の踊りだから  赤ちゃんには踊れないんだぞ  なんて言ってね


それで、よく 男と遊んでこい って言ってました。


すっごく毎日 お稽古が厳しかったですから

だったら遊ぶ時間くれよ  とか心の中で言い返してましたからね。




ああ、それで、あのじじー(師匠)のことですから
ほんとに 遊ぶ男を与えたつもりだったのかもしれません(笑)




バカにすんな。
あてがわれなくとも いっぱいいるわ!

と 言ってやりゃよかったね。


師匠は 本当に本当に タンゴというものをつくりあげるための
情熱はすざまじい気迫のある人で




タンゴというのは 人生そのものだから

男と遊ぶのもそう

憎んだり
憎まれたり
ぶっ殺したくなったり
泣いたり
笑ったり
そして 愛したり



たくさんの感情の経験が

タンゴになるんだって

本気でいつもいつも言ってました。


泥臭いものも含めて それがタンゴになる
泥臭いものがないなら タンゴにはならない と。




さっきの曲。
ポルケ ラ  キセ タント = 「なぜこんなにも愛してしまうのか」


この曲には 確かに
愛も 憎しみも 悲しみも 泥臭いものが つまってて。


お嬢ちゃんな 私もこんな重い曲で
タンゴに浸かって 育ったわけで。。。




ああ、あの彼。
遠い記憶のへんな思い出の彼。

あんなに不機嫌に連れまわして ごめんね って
謝りたいわー。




それから 数年後。
スズキさんも死んじゃった。




遠い記憶のへんな話。




また明日^^





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