2019年8月26日月曜日

泣く浄化。幸福の涙。

最近になって急激にこのBlogにまた触れるようになりましたが、

いつも母のところへの行き帰りで 下書きを書いちゃうんですね。


遠いので、電車に乗ってる時間がけっこうあるのです。


うちは両親が仲良しだったので、
父ノブオが亡くなってから 母せつこはズドーーンと落ち込みました。

ちょうど パーキンソン病が発覚した矢先だったので
この先、一人になってしまったことが不安でいっぱいだったと思います。


それでも デイサービスで新しい友達が出来たり
どーにかやっていたところだったのに
今回の手術と入院で 一気に状況が変化しました。


私にとって 母は やはり なんだかんだ言っても
世界中で唯一の理解者であり、
応援してくれる人であり、
無条件で愛してくれる存在であったのに


今、日々の中で 会話がちっとも成立しなくなってゆくこと

いずれ 近いうち 私のこともわからなくなるのではないかと思うと

どーにもならない やりきれない気持ちになります。




何より、
母のところへ 生活の手助けをしてあげるために
行ってるはずなのに

同じことを何度も何度も繰り返したり
まったく トンチンカンなことをされてしまうと

つい 大きな声をあげてしまうこともあり

そんな時は 帰りの駅までの道を ずっと後悔して泣きながら歩くことになります。


誰だって わざと病気になるわけでも
子供を困らせるために 認知症になるわけでもないのは当然で


そして ほとんど15分おきに
「あんただって 忙しいのに 悪いね ごめんね」と
娘に言うことは 死に等しい苦しみなのではないかと思うのです。

そんなこと言わせてしまって ごめんね と、私はトイレで泣き、


そうかと思えば
「ああ、OO時までにここを出なければ間に合わないのに!」
   とイライラして声を荒げ、

そして また悲しくなる というループ。




ちょびのことも悲しい。
母のことも苦しい。
ああ、人生は大変。


ここ何ヶ月も行き帰りの長い電車の時間が辛くて仕方なく、
考え込んでしまうことばかりだったので、

文字を書くことで 気を紛れさせることには だいぶ成功しています。


こんな内容を書いてる時はちょっとダメですけど


なんとなく整理つかずのままで 泣きながら帰るよりは

自分の心の中を内観することは「正しい悲しみ方」なのだと
思うようになってきました。




先日は、長くコツコツ通って下さった生徒さんがお引越しで
お別れだったので、

ここまで こんなに上手になってくれて 本当にどうもありがとう と
感謝の気持ちで胸がいっぱいになり
もう顔を見ていられなくなってしまい、慌てて目をそらしました。

そして ひとしきり泣きました。



一昨日 長い長いお付き合いのある方とは
私も休んでいたし、その方も少し調子が悪かったので
しばらくぶりでやっと会えた再会が嬉しくて、やっぱり泣きました。



タンゴを踊れる というのは 素晴らしいことです。


踊れる体があること。
歩いて、ここまで来れること。
一緒に踊ってくれる人がいること。

何ひとつあたりまえじゃなくて、
すべて1つ1つ奇跡なんですよね。




というわけで、 毎日毎日泣いています。


これは 浄化です。デトックスです。


今、私はそういう時期なのです。  大丈夫です。



ある意味、とんでもなく幸福な涙を 日々流しています。






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