2008年11月2日日曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~最終回~

私達の挙式をしてくださったのは アルゼンチンの日系二世の牧師さんで、
奥さんは美人なアルヘンティーナ、可愛い三姉妹の娘さんたち。
この一家に大変お世話になった。


もう一度 この一家に御礼を言いたかったので、私達はセントロから少し離れた教会へ
日曜礼拝に伺うことにした。

この辺りは 緑も多く 幾分空気もキレイで、散歩をするのにも
気持ちがいい。

余談だが この国では犬を飼う人が非常に多く、防犯上のことだとは思うのだが、
この日も犬の散歩をのんびりしている人とたくさん すれ違った。

そして それにしても 誰も犬の うOこ を片付けない。
誰も片付けないものだから せっかく キレイな街並みであっても
3歩歩くごとに 足元を気をつけていなければならない・・・・・・。

やはり掃除の意識が希薄なのだろうと思う。



日曜礼拝では 日系の方がみんな「おめでとう」と温かく迎えて下さった。

アルゼンチンの日系社会は結構大きく、約35,000人以上 在住だという。
この牧師さんもそうであるように、沖縄県からの移民の方が大半だそうだ。


アルゼンチンへ行き 自分が日本人であることを言うと この国の人は
大変 親切にしてくれる。
ほとんどのアルゼンチン人の人達は「日本が好きだ」「日本人が好きだ」
「日本人は信用できる」と言ってくれる。


牧師さんが何度もお話しして下さったことを そのまま記します。


「僕のお父さん、お母さんなど、初めにアルゼンチンへ移民してきた日本人の努力のお陰です。
彼らは 言葉が出来なくても まあ務まるクリーニング業を 多くはしてきました。
あるいは ボカ(港町)で 荷物運びなどをして それは それは一生懸命働いてきました。

そうして真面目に働いて、この国の人から受け入れてもらったのです。

知らない国で 言葉も通じないところで 一生懸命働いて いつかは必ず日本へ帰ろうと
言い続けて、気がつけばみんな70、80になっていました。

日系一世の高齢化が進んでいますが、せめて彼らに 日本語で生活し、
日本食を食べ、まるで日本へ帰ったかのようでいられる老人介護ホームをつくってあげたいです。

それが私達2世3世のするべき恩返しだと思っています。


そして 移民の私達を受け入れてくれた このアルゼンチンという国にも
御礼をしなければいけません。

この国は大変 寛大です。

ここに住まわせてくれた この国へ何かをしてあげたいと いつも思っていますが、
日本から衣類などの物資を頂けるのは 本当に有難いことです。

私の妻はアルゼンチン人ですが、小さい頃 日本から送られてきた衣類に深い感謝をし、
日本が特別な国になったと言っていました。」









この10年、アルゼンチンでは大量失業の常態化が続いており、3620万人の人口の
半分は貧困層に属するという。

近隣国から出稼ぎに来ている ボリビア人などで、その多くが携わっていると言われる
縫製工場などが閉鎖されると 一度に数百人単位の失業者を何の生活補償もなしに
出してきた。

大家族に毛布一枚で寄り添い、街角で物乞いをする こーいった家族を たくさん見かける。


アルゼンチン統計院では、所得を基準とした測定の他に、
「基礎的ニーズの欠乏による貧困」 という測定を調査をしているという。

・1世帯の中で1部屋に3人以上住んでいる

・住居の不備

・トイレ、便器のない住居

・6~12歳で通学していない子供がいる

・就労者1人につき、4人以上の扶養家族があり、世帯主が2年以下しか初等教育を受けた
ことがない


これに あてはまる世帯が居住する地区を、アルゼンチンでは 「Villa」ビシャと呼ぶ。
このvillaの人々が 何だか申請をすれば 簡単な仕事がもらえたり 食事の支給を
受けたり出来る制度があるみたいだけど・・・


私達が式を挙げた教会も、普段は 貧しい人へ 無料で食事の提供をしているそうだ。



もちろん とっても裕福な人もたくさんいて、そーいう人は セキュリティーのついた
マンションに住む。
戸建ては必ず強盗にやられるから、マンションのほうが安全なのだそうだ。





そういえば つい2年前まで ブエノスへ着いたら、米ドルをペソに両替えするしか
方法がなかったのだけれど
今回 両替所で日本円からペソへの扱いもあって とっても驚いた。

よほど日本からの出入りがあるのだろうと思う。

この国にとって タンゴから派生する動き、外貨の出入りは有難いものだろうな、と思う。




こんな記事をみつけた。

靴を寄付するために起業したデザイナー

TOMS という靴屋さんで、ここの靴を1足買うと、アルゼンチンの裸足で生活する子供達へ
1足プレゼントするという大胆なボランティアだ。



エライ人がいたもんだねー。





日本では、最近のタンゴの楽しみ方が派手でなければつまらない といった風潮であるように見える。
チョイワルとか なんとかで取り上げられたからか?

きらびやかな ゴージャスな空間で、ドレスを着て、ワインを飲んで、お洒落に気取ることが
タンゴの楽しみ方?

もちろん それも楽しいし、そーやって楽しむことで アルゼンチンの経済も発展するし(日本も?)


でも・・・・ただ タンゴが好き~とか、
かっこいい~、とか言って、そんな表面的な快楽主義でいるのは
恥ずかしい、と思う。

せっかく信用を築いてきてくれた日系一世の方に申し訳ない。


私達にこのタンゴの素晴らしさを 惜しみなく分けてくれるアルゼンチン

大らかに 移民の日本人を受け入れてくれたように・・・

この国をリスペクトして、このダンスを楽しみ、この国に感謝しなければいけないな、と思う。






今日で「ブエノス・アイレスのお話 2008」 はお終い。

まだまだ話しは尽きないけどねえ~~っっ。

また今度にしよう。

じゃーね(。・ー・。)ノ

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