2017年3月30日木曜日

オスワルド・プグリエーセ

昨日のインスタグラムに載せたプグリエーセの写真はコレです。

うちの壁に貼ってあります。




Osvaldo Pugliese オスワルド・プグリエーセです。

プグリエーセについては これまでにも何度も書いてるので
お馴染みですけども。。


プグリエーセは私がタンゴを始める 2−3年前に亡くなりましたから・・
もう没後 27- 28年経ってるのかな?

初めてか・・2回めくらいに ブエノスへ行った時、
ちょうど日亜修好100周年記念の時でして、
日本会館だったか なんだかで光栄にも踊らせて頂いた経験があります。

その時、ゲストでプグリエーセの未亡人がお見えになっていて

それはもう非常に緊張しまして、

なんか 一言 二言 お声を掛けて頂いた記憶はあるのですが
舞い上がっていて 内容はさっぱり覚えていないという
もったいない話です。

当時は日本人のこんな若いのがタンゴ踊ってるなんて
超超珍しかったのですよね。



私が独立して すぐの頃 巷で賑わってた数少ないミロンガ(日本の話)の
ほとんどはプグリエーセをバンバンかけてました。

信じられないでしょう?


思えば 私が 本当にタンゴを踊る ということを深く知ったのは
プグリエーセがあったから だと思います。

タンゴの独特なロマシティズム・センチミエント・孤独 ・・・・などは
20代の私には 難しかったのです。
しかしそれを プグリエーセが音楽で教えてくれたのだと思います。


プグリエーセのあまりにも有名な代表曲「ラ・シュンバ」をめぐって
E君と ひどく喧嘩をしたことも 記憶に鮮明です。

うん、前にもどっかに書いたことがあったかな?
重複を確認するソースを探すのが面倒なので また書いちゃいますけども

私は 当時 ラ・シュンバが嫌いだったのです。

あの、あまりにも強いリズム。刻みが嫌いでした。


当時から私は 自分の体の小ささ、細さ に対して とても強くコンプレックスを
抱いていて、力強い表現を求められるものは ことごとくキャストから
外されており・・・

まあ、今でもこのコンプレックスは変わりませんけど

それでも 今は ヨーロッパの人達のタンゴダンサーがかなり増え、
ダンサーの体型も大きく変わってきた という流れなどを見て
色々思うところもあったりします。


ああ、それで ラ・シュンバは踊りたくなかった。

E君は「シュンバを踊らないタンゴダンサーなんかこの世の中いないんだ、
お前はバカか」というような ことをですね、
まあ、そんな風に喧嘩してたわけです。

そのまま、素直に 「私にはシュンバの力強い表現は苦手だから
難しいのよ、ごめんね」って言えばそれできっと済んだでしょうにね。

言えなかったんですよね。


アルゼンチンの女性は みんな肉感的で グラマラスに大胆に表現する
ダンサーばかりですからね、
アルゼンチン女性をよく知る E君に比較されたくなかったのでしょうね。


そんな思い出もありますが、それでも プグリエーセが好きです。

世界三大劇場、コロン劇場のプグちゃん


ブエノスへ行ったら このコロン劇場はやっぱり見た方がいいと思いますよね。
古いからいつでもどっか修理してますけど。


この写真も大好き。
永遠の酔っぱらい(笑)歌手、ゴチェネチェ(Roberto Goyeneche) に無理矢理キスされるプグちゃん。




ゴチェネチェこそ、ミロンガ用タンゴしか聞いたことがない方に
とっては 誰このおっさん 的なヒトだと思いますが

素晴らしいのですよ。魂の歌手です。

トロイロのSur とか 有名な曲はたくさんありますが

私は特に ピアソラ(Astor Piazzola)とのコレがたまらなく好きです。
Vuelvo al Sur」南へ帰る という曲です。





いやー、タンゴって
本当に素晴らしいですね!!


もっぺん聞いとこ。。



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