そんなわけで、月曜日には 母せつこのところへ ほぼ毎週行ってるのですが
先日 着いてみると ガスがつかないと言います。
説明書を出して見たり 色々してみたけれど 埒があかないので
ガス屋さんに電話をし、事情を話すと すぐに来てみてくれ
何かの衝撃で緊急停止になってしまっていたようで ほどなくして
元通りにしてくれました。
料金は要らないといいます。
こんなに暑い中来て頂いて それは申し訳ないと 母せつこは ひとしきり頭を下げ
冷蔵庫からヤクルトを2本出すと 何もなくて本当にごめんなさい せめてこれを と
渡してました。
なんか どっか出掛けた際に ほんの何でもない親切をお年寄りにして差し上げたら
こちらとしては当然のつもりでいたようなことを
非常に有難がってくれて 飴もらっちゃった とか
旅行へ行って 小さな田舎町にある駄菓子屋に入ったところ
成り行き上 そこのおばあちゃんの話し相手になり だいぶ時間がたってしまい
プリンのカップに麦茶をそそいでもらった とか
なんか そんなことを思い出しました。
若い頃 「ええ?マジ?別にいいのにぃー 参ったなぁー」って感じだったことが
でも 今は おばちゃん側の気持ちがすごくよくわかるのです。
私も汗を拭きふき 働いてくれるガス屋さんに 感謝の気持ちで胸がいっぱいに
なりましたし。
私も冷蔵庫のヤクルトに手が伸びました。
先日、ラジオっ子のおぎりんから聞いた話なのですが、ラジオでこんな話が紹介されてたそうです。
前田武彦さんは
ずっと以前 電車に乗ったとき そばに座っていた少年がスッと立って席を譲ってくれたのですが
咄嗟に 「いえ いーです いーです」と断ってしまい もうずーっとそのことを後悔している
とおっしゃってました。
その話を聞いた 永六輔さんも電車の中での経験をお話されました。
やはり一人のお年寄りに席を譲った少年がいて その光景をそばで見ていた
おばちゃんが 「まあ! 皆さん! 今ご覧になりました? このお坊ちゃんが
席を譲ってさしあげたんですよ! 皆さん、これは大事なことですよ!!
お坊ちゃん あなたお名前は? どちらの学校? 私さっそく学校に電話して校長先生に
お話して 明日の朝礼で言ってもらいますからね! ねえ 皆さん!!まー 素晴らしいわねぇー」
と 大声でそのおばちゃんは盛り上がったということです。
少年は恥ずかしかったでしょうね。
でも前田武彦さんも 永六輔さんも ああ、、そのおばちゃんの気持ちがよくわかるよねぇー と
ほんとだよねー 大声で周りに知らせたくなっちゃうよねー と
共感されてた ということです。
そうなんです。
よくわかります。 前田武彦さんのお話も。永六輔さんのお話も
よくわかります。 その気持ち。
まだ 少年に席を譲ってもらったことはないけれど。
初めて譲ってもらった日は そーやって断ってしまうかもしれないこと
そしたら きっとそのことを後悔するだろうな ということ。
思わず周りに知らせたくなる おばちゃんの気持ちも。
ガス屋さんにあげるヤクルトも。
なんだか よくわかります。
よくわかる と思えるような おばちゃんにすくすく成長中なのですな。ひひひ。
これは嘆きではなく 素晴らしき大きな喜びです。
2011年7月28日木曜日
2011年7月27日水曜日
つづき
昨日の「ノブオとちょびとセキネくん」を読んで
「先生、前にもセキネくんとノブオの命日は同じだ って
書いてましたよ。 忘れちゃったんですかぁ?」 と
ご指摘をもらいました。
はぁ?そうだっけ? と思い 過去キジを探ってみると
ありました。
確かに書いてますねぇ(;´Д`)・・
ええー こんなこと書いた記憶なーーーい 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
人間ツライ出来事は忘却の彼方へ追いやるシステムがちゃんと
あるのですね。 脳はえらいです。
ああ そうなんだ。 てっきり昨日 仏壇の前でしゃべってて
今はじめて気づいたんだ と思ってたわ・・・
なんかね ちょびのことをここ最近悩んでたんですよ。
いや 正確に言うと ちょびに関しては何ひとつ悩んでないんだけど
ちょびに付随する出来事というか 何というか・・・
歯切れが悪くて申し訳ないんだけども
ともかく ちょびの写真を整理したりするために使ってる Tumblr ですが
これは削除して 別アカウントの何かに移すことにします。
セキネくんとの日々も 本当に記憶が薄いんですよね。。。
ただただ死んじゃった日のことはよく覚えてるんだけど。
やっぱ脳はえらいんだな。
セキネくんの分まで ちょびには長生きしてもらって
うーんと可愛がってあげなきゃ なわけなのです。
また明日('∀`)
「先生、前にもセキネくんとノブオの命日は同じだ って
書いてましたよ。 忘れちゃったんですかぁ?」 と
ご指摘をもらいました。
はぁ?そうだっけ? と思い 過去キジを探ってみると
ありました。
確かに書いてますねぇ(;´Д`)・・
ええー こんなこと書いた記憶なーーーい 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
人間ツライ出来事は忘却の彼方へ追いやるシステムがちゃんと
あるのですね。 脳はえらいです。
ああ そうなんだ。 てっきり昨日 仏壇の前でしゃべってて
今はじめて気づいたんだ と思ってたわ・・・
なんかね ちょびのことをここ最近悩んでたんですよ。
いや 正確に言うと ちょびに関しては何ひとつ悩んでないんだけど
ちょびに付随する出来事というか 何というか・・・
歯切れが悪くて申し訳ないんだけども
ともかく ちょびの写真を整理したりするために使ってる Tumblr ですが
これは削除して 別アカウントの何かに移すことにします。
セキネくんとの日々も 本当に記憶が薄いんですよね。。。
ただただ死んじゃった日のことはよく覚えてるんだけど。
やっぱ脳はえらいんだな。
セキネくんの分まで ちょびには長生きしてもらって
うーんと可愛がってあげなきゃ なわけなのです。
また明日('∀`)
2011年7月26日火曜日
ノブオと ちょびと セキネ君
月曜日は母せつこのとこへ行きます。
せつこは今 文鳥を2羽飼っています。
ぴーちゃんとくーちゃん。
それと熱帯魚がわんさか。
とても可愛がっているけれど この文鳥は
亡き父、ノブオが買ってきたものです。
ノブオはいつだって勝手に動物を買ってきたり
拾ってきたりしてしまう人でした。
で、世話をするのはいつだってせつこの役目なのですが。
カツオのようなやり方で ザルの下に米粒をおいて
罠をしかけスズメを獲ってしまうこともありましたし、
(カゴにいると意外とデカイと言ってすぐに飽きてました)
私が小さい頃はちょっとしたムツゴロウでした。
とりわけ柴犬の子供には目がなかったようです。
母せつこはいつもそれで怒ってました。
家族の中でどうやら私だけがそんなノブオの動物好きな血を受け継いだようで、私もやたらに小さい頃から
すて犬やら猫やら拾ってきたり 隠れて飼ったり
縁日に行けば絶対なにか 小動物を買ってきてしまう子供でした。
何かの雛とか
ハムスターとか そーゆーのを色々。
そうそう、隠れて病気の猫を飼っててアレルギーに
なってしまったこともありました。
そんなふうで 完全に禁止令が下されても
父ノブオとちょっとした公園の脇についた動物園なんかに
よく足を運んだものです。
動物好きな点で 私とノブオは奇妙な共犯者だったと思います。
私の記憶ではうさぎもノブオがどっかから連れてきたことがあり
ひどく母に怒られてました。
私が一人暮らしを始めたころ、真っ先に 動物を飼うことが
解禁になったことに喜びを感じました。
それでも仕事があったので、最初に飼ったのはやっぱり
インコだったかな。。
そしてカゴを揃えたり、ペットショップへエサを
調達しに行くのを手伝ってくれたのはノブオでした。
もう何度も書いたことがあったと思いますが
22歳か それくらいの頃 念願のうさぎを飼いました。
セキネ君という名前をつけたのですが
(ラビット…………………)
セキネ君との出会いはまだ書いたことがなかったと思います。
新宿をフラフラ歩いてて、伊勢丹の手前あたりの路地で
セキネ君は売られてたのです。
怪しいおっさんに。
いかにも弱々しい子うさぎが 小さな箱にひしめきあってました。
これは1匹出してあげなきゃ 狭いだろ と思い
でも いやいや うさぎを飼うのは大変だと思い通り過ぎましたが
200mくらい歩み進んだとろで やっぱりこの魔力に逆らえん と
諦め、来た道を引き返して買ってしまったのです。
冬の寒い日でした。
ココア色したセキネ君は とんでもなく甘ったれで
どこへ行くにもチョロチョロついてきて
トイレの前でも お風呂の前でも待ってる子でした。
当時 インターネットなんて普及してないし、
うさぎの飼育などペットショップで聞いても
まともに教えてもらえませんでしたので
やっぱりノブオに助けてもらい エサを買って(たぶんウサギ用なんて
なかったと思う。。) 野菜とかで かなりてきとーに育ててたと思います。
翌年の 中秋の名月にセキネ君は死んでしまいました。
「路上で売られてた うさぎじゃー もともとカラダは丈夫じゃねーよ」 と
大泣きしている私に ノブオが毒にも薬にもならないことを
言ってたのを思い出します。
いや、それらは思い出した というか
今日 仏壇でノブオと話してて ノブオから聞いたのです。
「そーいや お前 よく何か拾ってきてはピーピー泣いてたなぁ
ねー この子飼ってもいーい? ってなぁー。」
そんなふうにノブオが言ってる気がしたのです。
完全にあんたに似たんだし。。と言ってやりたいとこですが。
セキネ君の死はとてもショックで私の中で長く封印されてきた
ことでした。
ただ 今思い出すに、セキネ君が死んじゃった日はとても月がキレイでした。
何度も空を見上げましたから。
で、秋だったはず。
私は勝手に「中秋の名月」だと思い込んでたのだけど
なんとなくておセンチにそう思い込んでいただけなのかも。
調べてみたところ「中秋の名月」って必ずしも満月とは限らないそうで
すね。
で、毎年日にちもバラバラで。
その当時私が思い違いをしていた「中秋の名月」は10月15日だったのです。きっと。
そうするとセキネ君の命日は10月15日。
ノブオの命日も。。。。。。10月15日なのです。
今日、仏壇の前に座ってノブオの遺影を見ながら
そのことに気づき すごく驚きました。
そーか
そーだったのか と。
父が死んだとき
唐突にちょびを迎えることを思いついたのですが
やっぱりどう考えてもノブオにそれを後押しされてたような気がして
ならないのです。
ちょびの頭をなでながらセキネ君を埋めたときに大きなお月様を見たことを思い出し
やっぱり ちょびはノブオが引き合わせてくれたんだね、と言ってみましたが
ちょびはしらーんぷりしてリンゴをむしゃむしゃ食べてます。

せつこは今 文鳥を2羽飼っています。
ぴーちゃんとくーちゃん。
それと熱帯魚がわんさか。
とても可愛がっているけれど この文鳥は
亡き父、ノブオが買ってきたものです。
ノブオはいつだって勝手に動物を買ってきたり
拾ってきたりしてしまう人でした。
で、世話をするのはいつだってせつこの役目なのですが。
カツオのようなやり方で ザルの下に米粒をおいて
罠をしかけスズメを獲ってしまうこともありましたし、
(カゴにいると意外とデカイと言ってすぐに飽きてました)
私が小さい頃はちょっとしたムツゴロウでした。
とりわけ柴犬の子供には目がなかったようです。
母せつこはいつもそれで怒ってました。
家族の中でどうやら私だけがそんなノブオの動物好きな血を受け継いだようで、私もやたらに小さい頃から
すて犬やら猫やら拾ってきたり 隠れて飼ったり
縁日に行けば絶対なにか 小動物を買ってきてしまう子供でした。
何かの雛とか
ハムスターとか そーゆーのを色々。
そうそう、隠れて病気の猫を飼っててアレルギーに
なってしまったこともありました。
そんなふうで 完全に禁止令が下されても
父ノブオとちょっとした公園の脇についた動物園なんかに
よく足を運んだものです。
動物好きな点で 私とノブオは奇妙な共犯者だったと思います。
私の記憶ではうさぎもノブオがどっかから連れてきたことがあり
ひどく母に怒られてました。
私が一人暮らしを始めたころ、真っ先に 動物を飼うことが
解禁になったことに喜びを感じました。
それでも仕事があったので、最初に飼ったのはやっぱり
インコだったかな。。
そしてカゴを揃えたり、ペットショップへエサを
調達しに行くのを手伝ってくれたのはノブオでした。
もう何度も書いたことがあったと思いますが
22歳か それくらいの頃 念願のうさぎを飼いました。
セキネ君という名前をつけたのですが
(ラビット…………………)
セキネ君との出会いはまだ書いたことがなかったと思います。
新宿をフラフラ歩いてて、伊勢丹の手前あたりの路地で
セキネ君は売られてたのです。
怪しいおっさんに。
いかにも弱々しい子うさぎが 小さな箱にひしめきあってました。
これは1匹出してあげなきゃ 狭いだろ と思い
でも いやいや うさぎを飼うのは大変だと思い通り過ぎましたが
200mくらい歩み進んだとろで やっぱりこの魔力に逆らえん と
諦め、来た道を引き返して買ってしまったのです。
冬の寒い日でした。
ココア色したセキネ君は とんでもなく甘ったれで
どこへ行くにもチョロチョロついてきて
トイレの前でも お風呂の前でも待ってる子でした。
当時 インターネットなんて普及してないし、
うさぎの飼育などペットショップで聞いても
まともに教えてもらえませんでしたので
やっぱりノブオに助けてもらい エサを買って(たぶんウサギ用なんて
なかったと思う。。) 野菜とかで かなりてきとーに育ててたと思います。
翌年の 中秋の名月にセキネ君は死んでしまいました。
「路上で売られてた うさぎじゃー もともとカラダは丈夫じゃねーよ」 と
大泣きしている私に ノブオが毒にも薬にもならないことを
言ってたのを思い出します。
いや、それらは思い出した というか
今日 仏壇でノブオと話してて ノブオから聞いたのです。
「そーいや お前 よく何か拾ってきてはピーピー泣いてたなぁ
ねー この子飼ってもいーい? ってなぁー。」
そんなふうにノブオが言ってる気がしたのです。
完全にあんたに似たんだし。。と言ってやりたいとこですが。
セキネ君の死はとてもショックで私の中で長く封印されてきた
ことでした。
ただ 今思い出すに、セキネ君が死んじゃった日はとても月がキレイでした。
何度も空を見上げましたから。
で、秋だったはず。
私は勝手に「中秋の名月」だと思い込んでたのだけど
なんとなくておセンチにそう思い込んでいただけなのかも。
調べてみたところ「中秋の名月」って必ずしも満月とは限らないそうで
すね。
で、毎年日にちもバラバラで。
その当時私が思い違いをしていた「中秋の名月」は10月15日だったのです。きっと。
そうするとセキネ君の命日は10月15日。
ノブオの命日も。。。。。。10月15日なのです。
今日、仏壇の前に座ってノブオの遺影を見ながら
そのことに気づき すごく驚きました。
そーか
そーだったのか と。
父が死んだとき
唐突にちょびを迎えることを思いついたのですが
やっぱりどう考えてもノブオにそれを後押しされてたような気がして
ならないのです。
ちょびの頭をなでながらセキネ君を埋めたときに大きなお月様を見たことを思い出し
やっぱり ちょびはノブオが引き合わせてくれたんだね、と言ってみましたが
ちょびはしらーんぷりしてリンゴをむしゃむしゃ食べてます。

2011年7月20日水曜日
前ボレオ
先週と今日のレッスンは前ボレオ
なかなか難しいですな。
初ボレオは出来なくてあたりまえ。
気長にいきましょうね。
ヨイショっと足をあげさせてもらうわけではなく
その情報をキャッチして 自分自身のコントロールであげる。
男性も足をあげさせようとせず、カラダをリードする。
ポイントは軸から解放させること。解放すること。
解放するから床をする空間が生まれる。
ああ、今週はYOGAないんですね。 あーあ。つまんないの。
なかなか難しいですな。
初ボレオは出来なくてあたりまえ。
気長にいきましょうね。
ヨイショっと足をあげさせてもらうわけではなく
その情報をキャッチして 自分自身のコントロールであげる。
男性も足をあげさせようとせず、カラダをリードする。
ポイントは軸から解放させること。解放すること。
解放するから床をする空間が生まれる。
ああ、今週はYOGAないんですね。 あーあ。つまんないの。
これ「木のポーズ」です。
これ「鷲のポーズ」です。
ハッキリ言って これが出来ないならボレオはできないと
思いますから、これはとてもいい基準になるな、と思います。
どちらも集中力もすごーくつき、そこもますますタンゴに向いてる
ところです。
次のヨガでは これ入れてね ってナオ先生に頼んでおかなきゃ。
今日はドシャブリの雨の中、たくさん来てくれて
どうもありがとう('∀`)
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