長い間サボッてて すみませんでしたm( __ __ )m
このページを開いては閉じ・・してくれた方 ごめんなさい。
このままでは、いつまでたっても
アタマに 「うOこビル」の記事が載ったままになってしまう・・・
昨年10月にブエノスの古い教会で式を挙げてきました のご報告は青いブログで
ご存知かと思います。
日本は日本で きちんとせねば、ということで
先日 親族のみのプチ披露宴、 教室関係のプチパーティーを行いました。
この パーティー
私達にとっては 麻布の教室で行うことに 大きな大きな意味がありましたので
さんざん さんざん悩んで迷った挙句 スタジオに収まるギリギリの人数のみでの
開催 とした次第です。
日頃のミロンガでも同じことですが、会場のキャパに対し、適度な人数であることは
その会を成功させるのに、とても大切なことだ、と思っています。
ただ、私達がお声掛けしたい親しい方、というのの線引きは非常に難しく、
すべての方と 過ごしたいとなれば 大会場が必要です。
麻布の教室で行うことを選択するからには
お招きできない方がたくさん たくさん いることを我慢せねばならない という辛い引換えがありました。
お招きできなかった方 本当にごめんね。
また 次の機会に
いや 次の機会は ありませんが・・・・・・・・・・・・・・・・・
終えてみると ますますこの件が気にかかり
気がかりになると 居てもたってもいられずに しばらく気持ちがふさいでしまってました・・・
もう早く この話題が過ぎ去らないかなー なんて思ったりも 正直言って しました。
私達の判断は間違っていたのでは・・・と 幾度も考えてしまいました・・・・。
でも、パーティーは あたたかな皆さんに囲まれて 終始 笑いの止まらない
本当に幸せな楽しい会でした。
ホープ どうもありがとう。 マジで。
あんなに楽しい あたたかな会をして頂いたので、
皆様への 感謝の気持ちを忘れず、大切な素敵な思い出として
大事にしてゆこうと思います。 どうもありがとう。 ありがとう。
お招きできなかった方
ぜひ 写真をみてください(。・ー・。)ノ
ドレスの裾を目玉クリップでとめて踊りました。
そうそう・・・・ホープが mixi に「司会奮闘記」なるものを掲載予定 だとか・・・・・・・
ただ この人には すでに次なる指令を下してあるけどね щ( ̄∀ ̄)ш いひひ
2009年3月3日火曜日
2008年12月30日火曜日
踊り収め 過ぎ
いやはや 今年最後のレッスンも終わった~( ̄▽ ̄)
今日はサクッと個人レッスンと今年最後に出会った方々の
レッスンであった。
『また来年ね~』と大きな声で言ってくれて とても嬉しくなる。
それにしても その前夜の忘年会はマジ マジ 超楽しかったね。
毎年 忘年会は朝までするけど
今年越してきた麻布十番のスタジオはマンションなもんで
ドンチャン騒ぎの苦情を警戒して 一応12時で切り上げる……はずであった。
が、多数決の結果きれいに半数が終電無視して明るくなるまで残ることとなった。
毎年 全員 一品持ち寄りにしてもらってるけど
最初はしこたま食べ物 飲み物に溢れていたテーブルも 深夜2時を回る頃には
すっかりきれいになる。
で、例年通り明け方に味噌汁を配給する。
床には空いた酒瓶がズラリと並んでいる。
これも例年通り。
今年はなんだか新しい遊び方を覚えてしまって
即席でデモ大会になったりして かなり盛り上がった。
しかし…朝まで本当によく踊るなぁー と
いつものことながら感心してしまう。
みんなの顔は本気で楽しくて楽しくて仕方ない といった風であり
つくづく ここがあってよかったなぁ と思う。
去年の今ごろは
一体 年が明けたらどこへ行ったらいいのやら……
ああ 来年もこんな風に忘年会が出来るのだろうか……
ここ青山での 忘年会はもう二度とないんだな……とか
そんなことばかり つい考えてしまっていたように思う。
みんなが楽しそうに踊っていれば いるほど
息が止まってしまいそうなほど苦しかった。
そういえば
あの頃 ホントに過呼吸になってしまい レッスンも息が上がって 随分苦しかった。
今年は忙しかったな。
青山クローズして
焦りと不安の毎日で町中の物件探して歩き回って
麻布十番に越して
オープンして
ブエノスへ合宿に行って、挙式して
で つい先日 新居へ越して。
でも
しみじみ…… 私達が何があっても絶対 来年も忘年会やりたい って思えたのも
この人達の『もうっいい加減になさい』って怒られまで踊ってる姿を見たい って思えたのも
私達も踊りたい って思えたのも
全てクンパルの人々がいてくれたからこそで
だからこそ このスタジオでまた忘年会することが出来て
あ~あ 本当にあなたたちに感謝してます。
来年もよろしくね。
それにしても
踊り納め 過ぎ だよね( ̄▽ ̄)
今日はサクッと個人レッスンと今年最後に出会った方々の
レッスンであった。
『また来年ね~』と大きな声で言ってくれて とても嬉しくなる。
それにしても その前夜の忘年会はマジ マジ 超楽しかったね。
毎年 忘年会は朝までするけど
今年越してきた麻布十番のスタジオはマンションなもんで
ドンチャン騒ぎの苦情を警戒して 一応12時で切り上げる……はずであった。
が、多数決の結果きれいに半数が終電無視して明るくなるまで残ることとなった。
毎年 全員 一品持ち寄りにしてもらってるけど
最初はしこたま食べ物 飲み物に溢れていたテーブルも 深夜2時を回る頃には
すっかりきれいになる。
で、例年通り明け方に味噌汁を配給する。
床には空いた酒瓶がズラリと並んでいる。
これも例年通り。
今年はなんだか新しい遊び方を覚えてしまって
即席でデモ大会になったりして かなり盛り上がった。
しかし…朝まで本当によく踊るなぁー と
いつものことながら感心してしまう。
みんなの顔は本気で楽しくて楽しくて仕方ない といった風であり
つくづく ここがあってよかったなぁ と思う。
去年の今ごろは
一体 年が明けたらどこへ行ったらいいのやら……
ああ 来年もこんな風に忘年会が出来るのだろうか……
ここ青山での 忘年会はもう二度とないんだな……とか
そんなことばかり つい考えてしまっていたように思う。
みんなが楽しそうに踊っていれば いるほど
息が止まってしまいそうなほど苦しかった。
そういえば
あの頃 ホントに過呼吸になってしまい レッスンも息が上がって 随分苦しかった。
今年は忙しかったな。
青山クローズして
焦りと不安の毎日で町中の物件探して歩き回って
麻布十番に越して
オープンして
ブエノスへ合宿に行って、挙式して
で つい先日 新居へ越して。
でも
しみじみ…… 私達が何があっても絶対 来年も忘年会やりたい って思えたのも
この人達の『もうっいい加減になさい』って怒られまで踊ってる姿を見たい って思えたのも
私達も踊りたい って思えたのも
全てクンパルの人々がいてくれたからこそで
だからこそ このスタジオでまた忘年会することが出来て
あ~あ 本当にあなたたちに感謝してます。
来年もよろしくね。
それにしても
踊り納め 過ぎ だよね( ̄▽ ̄)
2008年11月27日木曜日
有難いことに麻布十番へ引越ししてきて7回目の入門コースを終えた。
毎月あらたな出会いがあり本当に有難いことだ。
ほとんどの方がインターネットから検索して
たどり着いてきてくれた方で
顔の見えない画面から初めての先生と
未知のタンゴ教室というのは
どんなにか緊張されただろう、あるいは 怪しい…( ̄ω ̄)と思いつつ入って来られたかもしれない(笑)
なかなか入門の4回レッスンの中から
タンゴの魅力を伝えきることは難しいところだが
いわゆる『ハマって』続けて下さる方は少しずつ
踊る喜びを知り
『早く上手になりたいなぁ~』とお話して下さる。
私達はタンゴ教室の先生だし
営業だ と言われれば その通りなのだけれど
本当に本気で『大丈夫。ぜったい上手に踊れるようにさせてあげっからね』と
心からそう思っている。
入門コースを終えると 出来るかぎり時間のあるときは
参加者全員にラブレターを送るのだが
『上達の秘訣はね……先生と仲良くなることなんだよ』なんて書く。
でも本当にそうで、クラスによっては10人も集まるクラスだと なかなか個々に目が行き届かないこともあり
そんなとき ほんのちょっと 苦手と感じてることや 楽しいと感じることを
話してもらえると
アホな私でも記憶に残り
その時が無理でも次のときには そこを克服 あるいは伸ばすためのメニューを提案出来るかもしれない。
クンパルでは新しいスケジュールが
いよいよ来週からスタートするけど
始めたばかりの方が対象になるクラスは出来るだけ安価に設定し
同じクラスを繰返し受講しやすいように
工夫を加えたつもりだ。
タンゴは全貌をようやく落ち着いて見れるようになるまで 1年くらい、平均してかかると思っている。
なので最初の1年は頑張って 回数をこなして たくさん身体を動かしてほしいと思う。
ステップなんて覚えなくたって なんだっていいよ。
それから 楽しいことに積極的に参加して欲しいな。
タンゴは練習 練習で わからない 辛いばっかりなものでなく
ゆったり時間を過ごすものでもあるよ。
自分はまだ踊れない、なんて言わずに 他の人の踊りや楽しみ方を観察することも楽しいよ。
どんな人にも言えることだけど
踊れるようになってから
と言うのはちょっと違うなぁ~と思う。
あなたはもう踊れるんですよ~、と伝えたい。
自分なりの『そのときの踊り』でいーのです。
来月はクリスマスパーティーがあります。
また宣伝みたいになっちゃうけど…
麻布からタンゴを始めた人にも ぜひ来て頂きたい。
ショータイムは私達もラロ先生も踊るし
フォーメーションクラスの生徒さんは平均して1年間習ってきた人達です。
そーいうのを見て 楽しんで 応援して欲しいな~と思います。
来年も こうしてもっと クンパルの仲間が増えることを
本当に楽しみにしています。
あ、忘年会もね。
はぁ~。もう忘年会かぁ~。
やれやれ…1年が早かね~。
毎月あらたな出会いがあり本当に有難いことだ。
ほとんどの方がインターネットから検索して
たどり着いてきてくれた方で
顔の見えない画面から初めての先生と
未知のタンゴ教室というのは
どんなにか緊張されただろう、あるいは 怪しい…( ̄ω ̄)と思いつつ入って来られたかもしれない(笑)
なかなか入門の4回レッスンの中から
タンゴの魅力を伝えきることは難しいところだが
いわゆる『ハマって』続けて下さる方は少しずつ
踊る喜びを知り
『早く上手になりたいなぁ~』とお話して下さる。
私達はタンゴ教室の先生だし
営業だ と言われれば その通りなのだけれど
本当に本気で『大丈夫。ぜったい上手に踊れるようにさせてあげっからね』と
心からそう思っている。
入門コースを終えると 出来るかぎり時間のあるときは
参加者全員にラブレターを送るのだが
『上達の秘訣はね……先生と仲良くなることなんだよ』なんて書く。
でも本当にそうで、クラスによっては10人も集まるクラスだと なかなか個々に目が行き届かないこともあり
そんなとき ほんのちょっと 苦手と感じてることや 楽しいと感じることを
話してもらえると
アホな私でも記憶に残り
その時が無理でも次のときには そこを克服 あるいは伸ばすためのメニューを提案出来るかもしれない。
クンパルでは新しいスケジュールが
いよいよ来週からスタートするけど
始めたばかりの方が対象になるクラスは出来るだけ安価に設定し
同じクラスを繰返し受講しやすいように
工夫を加えたつもりだ。
タンゴは全貌をようやく落ち着いて見れるようになるまで 1年くらい、平均してかかると思っている。
なので最初の1年は頑張って 回数をこなして たくさん身体を動かしてほしいと思う。
ステップなんて覚えなくたって なんだっていいよ。
それから 楽しいことに積極的に参加して欲しいな。
タンゴは練習 練習で わからない 辛いばっかりなものでなく
ゆったり時間を過ごすものでもあるよ。
自分はまだ踊れない、なんて言わずに 他の人の踊りや楽しみ方を観察することも楽しいよ。
どんな人にも言えることだけど
踊れるようになってから
と言うのはちょっと違うなぁ~と思う。
あなたはもう踊れるんですよ~、と伝えたい。
自分なりの『そのときの踊り』でいーのです。
来月はクリスマスパーティーがあります。
また宣伝みたいになっちゃうけど…
麻布からタンゴを始めた人にも ぜひ来て頂きたい。
ショータイムは私達もラロ先生も踊るし
フォーメーションクラスの生徒さんは平均して1年間習ってきた人達です。
そーいうのを見て 楽しんで 応援して欲しいな~と思います。
来年も こうしてもっと クンパルの仲間が増えることを
本当に楽しみにしています。
あ、忘年会もね。
はぁ~。もう忘年会かぁ~。
やれやれ…1年が早かね~。
2008年11月2日日曜日
ブエノス・アイレスのお話 2008~最終回~
私達の挙式をしてくださったのは アルゼンチンの日系二世の牧師さんで、
奥さんは美人なアルヘンティーナ、可愛い三姉妹の娘さんたち。
この一家に大変お世話になった。
もう一度 この一家に御礼を言いたかったので、私達はセントロから少し離れた教会へ
日曜礼拝に伺うことにした。
この辺りは 緑も多く 幾分空気もキレイで、散歩をするのにも
気持ちがいい。
余談だが この国では犬を飼う人が非常に多く、防犯上のことだとは思うのだが、
この日も犬の散歩をのんびりしている人とたくさん すれ違った。
そして それにしても 誰も犬の うOこ を片付けない。
誰も片付けないものだから せっかく キレイな街並みであっても
3歩歩くごとに 足元を気をつけていなければならない・・・・・・。
やはり掃除の意識が希薄なのだろうと思う。
日曜礼拝では 日系の方がみんな「おめでとう」と温かく迎えて下さった。
アルゼンチンの日系社会は結構大きく、約35,000人以上 在住だという。
この牧師さんもそうであるように、沖縄県からの移民の方が大半だそうだ。
アルゼンチンへ行き 自分が日本人であることを言うと この国の人は
大変 親切にしてくれる。
ほとんどのアルゼンチン人の人達は「日本が好きだ」「日本人が好きだ」
「日本人は信用できる」と言ってくれる。
牧師さんが何度もお話しして下さったことを そのまま記します。
「僕のお父さん、お母さんなど、初めにアルゼンチンへ移民してきた日本人の努力のお陰です。
彼らは 言葉が出来なくても まあ務まるクリーニング業を 多くはしてきました。
あるいは ボカ(港町)で 荷物運びなどをして それは それは一生懸命働いてきました。
そうして真面目に働いて、この国の人から受け入れてもらったのです。
知らない国で 言葉も通じないところで 一生懸命働いて いつかは必ず日本へ帰ろうと
言い続けて、気がつけばみんな70、80になっていました。
日系一世の高齢化が進んでいますが、せめて彼らに 日本語で生活し、
日本食を食べ、まるで日本へ帰ったかのようでいられる老人介護ホームをつくってあげたいです。
それが私達2世3世のするべき恩返しだと思っています。
そして 移民の私達を受け入れてくれた このアルゼンチンという国にも
御礼をしなければいけません。
この国は大変 寛大です。
ここに住まわせてくれた この国へ何かをしてあげたいと いつも思っていますが、
日本から衣類などの物資を頂けるのは 本当に有難いことです。
私の妻はアルゼンチン人ですが、小さい頃 日本から送られてきた衣類に深い感謝をし、
日本が特別な国になったと言っていました。」
この10年、アルゼンチンでは大量失業の常態化が続いており、3620万人の人口の
半分は貧困層に属するという。
近隣国から出稼ぎに来ている ボリビア人などで、その多くが携わっていると言われる
縫製工場などが閉鎖されると 一度に数百人単位の失業者を何の生活補償もなしに
出してきた。
大家族に毛布一枚で寄り添い、街角で物乞いをする こーいった家族を たくさん見かける。
アルゼンチン統計院では、所得を基準とした測定の他に、
「基礎的ニーズの欠乏による貧困」 という測定を調査をしているという。
・1世帯の中で1部屋に3人以上住んでいる
・住居の不備
・トイレ、便器のない住居
・6~12歳で通学していない子供がいる
・就労者1人につき、4人以上の扶養家族があり、世帯主が2年以下しか初等教育を受けた
ことがない
これに あてはまる世帯が居住する地区を、アルゼンチンでは 「Villa」ビシャと呼ぶ。
このvillaの人々が 何だか申請をすれば 簡単な仕事がもらえたり 食事の支給を
受けたり出来る制度があるみたいだけど・・・
私達が式を挙げた教会も、普段は 貧しい人へ 無料で食事の提供をしているそうだ。
もちろん とっても裕福な人もたくさんいて、そーいう人は セキュリティーのついた
マンションに住む。
戸建ては必ず強盗にやられるから、マンションのほうが安全なのだそうだ。
そういえば つい2年前まで ブエノスへ着いたら、米ドルをペソに両替えするしか
方法がなかったのだけれど
今回 両替所で日本円からペソへの扱いもあって とっても驚いた。
よほど日本からの出入りがあるのだろうと思う。
この国にとって タンゴから派生する動き、外貨の出入りは有難いものだろうな、と思う。
こんな記事をみつけた。
靴を寄付するために起業したデザイナー
TOMS という靴屋さんで、ここの靴を1足買うと、アルゼンチンの裸足で生活する子供達へ
1足プレゼントするという大胆なボランティアだ。
エライ人がいたもんだねー。
日本では、最近のタンゴの楽しみ方が派手でなければつまらない といった風潮であるように見える。
チョイワルとか なんとかで取り上げられたからか?
きらびやかな ゴージャスな空間で、ドレスを着て、ワインを飲んで、お洒落に気取ることが
タンゴの楽しみ方?
もちろん それも楽しいし、そーやって楽しむことで アルゼンチンの経済も発展するし(日本も?)
でも・・・・ただ タンゴが好き~とか、
かっこいい~、とか言って、そんな表面的な快楽主義でいるのは
恥ずかしい、と思う。
せっかく信用を築いてきてくれた日系一世の方に申し訳ない。
私達にこのタンゴの素晴らしさを 惜しみなく分けてくれるアルゼンチン
大らかに 移民の日本人を受け入れてくれたように・・・
この国をリスペクトして、このダンスを楽しみ、この国に感謝しなければいけないな、と思う。
今日で「ブエノス・アイレスのお話 2008」 はお終い。
まだまだ話しは尽きないけどねえ~~っっ。
また今度にしよう。
じゃーね(。・ー・。)ノ
奥さんは美人なアルヘンティーナ、可愛い三姉妹の娘さんたち。
この一家に大変お世話になった。
もう一度 この一家に御礼を言いたかったので、私達はセントロから少し離れた教会へ
日曜礼拝に伺うことにした。
この辺りは 緑も多く 幾分空気もキレイで、散歩をするのにも
気持ちがいい。
余談だが この国では犬を飼う人が非常に多く、防犯上のことだとは思うのだが、
この日も犬の散歩をのんびりしている人とたくさん すれ違った。
そして それにしても 誰も犬の うOこ を片付けない。
誰も片付けないものだから せっかく キレイな街並みであっても
3歩歩くごとに 足元を気をつけていなければならない・・・・・・。
やはり掃除の意識が希薄なのだろうと思う。
日曜礼拝では 日系の方がみんな「おめでとう」と温かく迎えて下さった。
アルゼンチンの日系社会は結構大きく、約35,000人以上 在住だという。
この牧師さんもそうであるように、沖縄県からの移民の方が大半だそうだ。
アルゼンチンへ行き 自分が日本人であることを言うと この国の人は
大変 親切にしてくれる。
ほとんどのアルゼンチン人の人達は「日本が好きだ」「日本人が好きだ」
「日本人は信用できる」と言ってくれる。
牧師さんが何度もお話しして下さったことを そのまま記します。
「僕のお父さん、お母さんなど、初めにアルゼンチンへ移民してきた日本人の努力のお陰です。
彼らは 言葉が出来なくても まあ務まるクリーニング業を 多くはしてきました。
あるいは ボカ(港町)で 荷物運びなどをして それは それは一生懸命働いてきました。
そうして真面目に働いて、この国の人から受け入れてもらったのです。
知らない国で 言葉も通じないところで 一生懸命働いて いつかは必ず日本へ帰ろうと
言い続けて、気がつけばみんな70、80になっていました。
日系一世の高齢化が進んでいますが、せめて彼らに 日本語で生活し、
日本食を食べ、まるで日本へ帰ったかのようでいられる老人介護ホームをつくってあげたいです。
それが私達2世3世のするべき恩返しだと思っています。
そして 移民の私達を受け入れてくれた このアルゼンチンという国にも
御礼をしなければいけません。
この国は大変 寛大です。
ここに住まわせてくれた この国へ何かをしてあげたいと いつも思っていますが、
日本から衣類などの物資を頂けるのは 本当に有難いことです。
私の妻はアルゼンチン人ですが、小さい頃 日本から送られてきた衣類に深い感謝をし、
日本が特別な国になったと言っていました。」
この10年、アルゼンチンでは大量失業の常態化が続いており、3620万人の人口の
半分は貧困層に属するという。
近隣国から出稼ぎに来ている ボリビア人などで、その多くが携わっていると言われる
縫製工場などが閉鎖されると 一度に数百人単位の失業者を何の生活補償もなしに
出してきた。
大家族に毛布一枚で寄り添い、街角で物乞いをする こーいった家族を たくさん見かける。
アルゼンチン統計院では、所得を基準とした測定の他に、
「基礎的ニーズの欠乏による貧困」 という測定を調査をしているという。
・1世帯の中で1部屋に3人以上住んでいる
・住居の不備
・トイレ、便器のない住居
・6~12歳で通学していない子供がいる
・就労者1人につき、4人以上の扶養家族があり、世帯主が2年以下しか初等教育を受けた
ことがない
これに あてはまる世帯が居住する地区を、アルゼンチンでは 「Villa」ビシャと呼ぶ。
このvillaの人々が 何だか申請をすれば 簡単な仕事がもらえたり 食事の支給を
受けたり出来る制度があるみたいだけど・・・
私達が式を挙げた教会も、普段は 貧しい人へ 無料で食事の提供をしているそうだ。
もちろん とっても裕福な人もたくさんいて、そーいう人は セキュリティーのついた
マンションに住む。
戸建ては必ず強盗にやられるから、マンションのほうが安全なのだそうだ。
そういえば つい2年前まで ブエノスへ着いたら、米ドルをペソに両替えするしか
方法がなかったのだけれど
今回 両替所で日本円からペソへの扱いもあって とっても驚いた。
よほど日本からの出入りがあるのだろうと思う。
この国にとって タンゴから派生する動き、外貨の出入りは有難いものだろうな、と思う。
こんな記事をみつけた。
靴を寄付するために起業したデザイナー
TOMS という靴屋さんで、ここの靴を1足買うと、アルゼンチンの裸足で生活する子供達へ
1足プレゼントするという大胆なボランティアだ。
エライ人がいたもんだねー。
日本では、最近のタンゴの楽しみ方が派手でなければつまらない といった風潮であるように見える。
チョイワルとか なんとかで取り上げられたからか?
きらびやかな ゴージャスな空間で、ドレスを着て、ワインを飲んで、お洒落に気取ることが
タンゴの楽しみ方?
もちろん それも楽しいし、そーやって楽しむことで アルゼンチンの経済も発展するし(日本も?)
でも・・・・ただ タンゴが好き~とか、
かっこいい~、とか言って、そんな表面的な快楽主義でいるのは
恥ずかしい、と思う。
せっかく信用を築いてきてくれた日系一世の方に申し訳ない。
私達にこのタンゴの素晴らしさを 惜しみなく分けてくれるアルゼンチン
大らかに 移民の日本人を受け入れてくれたように・・・
この国をリスペクトして、このダンスを楽しみ、この国に感謝しなければいけないな、と思う。
今日で「ブエノス・アイレスのお話 2008」 はお終い。
まだまだ話しは尽きないけどねえ~~っっ。
また今度にしよう。
じゃーね(。・ー・。)ノ
2008年11月1日土曜日
ブエノス・アイレスのお話 2008~その5~
はじめに書いた「イグアスの滝ツアー」で びしょ濡れになり、
ブエノス市内は もう春だというのに やたらに寒く、
景気の悪さから 人々のエネルギーは低迷しており、
私達はそろって すっかり風邪を引いてしまった。
ブエノスで体調を崩すなんて・・・・
それこそ10数年前に 初めてブエノスへ行ったとき以来である。
いっつも ブエノスへ行けば 超元気 お肌つるつるで帰れるのになあ~。。。
そんなして 鼻水ずるずるしてた私達なので いつもより深夜のミロンガ遊びも
セーブしてしまった。
こちらでは10時か11時になってミロンガが始まり、深夜2時3時4時まで続く。
ここでは物騒なバスが24時間走ってるんで、ポルテーニョはそれで帰るけど・・・
私はとても乗る気にはなれない。こわいもん。
このミロンガは ミロンガの前にレッスンがあったので、そこから参加してみた。
タンゴを踊るスタイルも本当に様々だが、
このミロンガはモロに ひとつのスタイルに固まっていた。
当然ここのレッスンをする先生のスタイルってことだけど・・・。
私も「ここのスタイルに合った練習をしなさい」と非常にダイレクトな注意を
先生から受けた。
もちろん それはその通りだから、忠告に従って そこのスタイルを学ぶことにした。
レッスンが終わって ミロンガTIMEになると レッスンに参加していた人達は
端っこに固まって待たなければならない。
ひとりのセニョーラが 座る場所の割り振りを細かく指示してゆくのだ。
「男性同士? 二人? じゃあ あっちの角、 女性3人? あのテーブル 前列ね、
次は?カップル? あとで! そこの男性 一人? こっち来て」
といった具合である。
非常に時間がかかる。
私達のようなペアは後回しで、最後まで突っ立ったまま待たされる。
いい加減 時間がかかって頭に来たので
「どこでもいーから早く座りたい」と言ってみたけど
まったく相手にされなかった。
この日はレッスン参加者も大変多く盛況であったので、そのテーブル整理もことさら
時間がかかった。
後から、ミロンガのみ参加するために来た人にとっては
入場料を払って テーブルを案内されることは 至ってノーマルなことなのだろうが・・・・
ここは、年配の方の多いミロンガで、カベセオ命ーー!!っていう炎がメラメラとしているような
雰囲気である。
カベセオって言うのは いわゆるアイコンタクト ってやつで
遠く離れて座っている女子に 男子がめくばせして「踊ろーぜ」って誘うことを言う。
以前、ここ おんなじミロンガに来たときは 来てる人達が うーんと余裕があって
エレガントでかっこいいな~、と思ったけど
どーいうわけか まったく同じ空間であるのに ちっとも かっこいいと思わなかった。
以前は そのカベセオも自然な流儀で出来上がっていたのに、
今ではカベセオのために駒を適切な位置へ配置してるって感じである。
本末転倒でないの??
それに・・・なーんかこう・・・
「踊れねーやつあー人間じゃねー」みたいな ちっちゃさ、
「ここのスタイルじゃない人は他所のミロンガ行けば~」みたいな ちっちゃさ、
(レッスンが終わってミロンガだったら どこぞの者でもいーじゃんっ)
1タンダ終わるごとに 競い合うガツガツした感じと
(↑コルティーナで区切られた数曲のまとまり)、
下手なやつは円の外へはじき飛ばす意地悪さ、
踊れない女性は徹底して 座ったまんまにさせる思いやりのなさ、
あーあ、書いてるうちに 嫌になってきた
ちょっと さだまさし の真似して
「意見には個人差があります」 のプラカードだしとこっ。
まー ともかく
踊りのタイプも好きじゃーなかったし、
つまんなかったもんで、ここはさっさと帰ることにした。
そんなわけでミロンガへはあまり行かなかったけど
プラクティカへは ひょいひょいと行った。
ミロンガより時間も早めだし。
プラクティカと言っても 「練習です」って感じではなくて
もっと気楽なミロンガって感じである。
何より「大らか」だ。 誰が上手だろーが、ヘタっぴーだろーが気にしない、って感じで
円からはじき飛ばす なんてことないし、ぶつかっても お互い様 って感じが すごくした。
ひょっとしたら 今はこーいう プラクティカという名のミロンガ みたいなライトな感じが
主流なのかもしれないな、とも思った。
それと、今回 感じたことは・・・
やはりタンゴも「外国の影響を強く受けてるんだなあ~」ということ。
以前はアルゼンチン国内でも「タンゴ・ブーム」の波があって、流行らないときは
CD屋さんでもタンゴのCDは奥のほうで ひっそり ちょっぴりあるだけだったりしたし、
流行る年は教室が増えたりした。
それが、今では いつだって「タンゴ・ブーム」だ。
日本で 急激にタンゴ人口が増え始めたのは ここ5-6年と思う。
それは たぶん世界的にそれほど誤差はないだろうから、
この数年 アルゼンチンへ旅行するタンゴ好きな人々は世界中から増えているだろうし、
ミロンガへの観光客の出入りも当然増えて。。。私達みたいに。
踊りのスタイルも多様化することで広告しやすくし、
ミロンガにも新たなルールができてきた。
あるいは、ミロンガに新たなルールをつくったのは間接的に外国人観光客なのかもしれない。
本来、 というか 以前からある老舗のミロンガは どこもアットホームで
家族で、とか 夫婦で、 とか恋人同士で、友達同士で 踊ることをとても大切にしている。
新たにタンゴを習う人は とっても練習熱心で 足しげく教室へ通ううち 友達ができて
ミロンガに誘われるようになって その輪に入ってゆく。
そーいった流れであったのではないか と思う。
そして ブエノスでも どんどん新しい ミロンガが出来ては
潰れていったり 変化が激しい ということも 現地のミロンガ大好きっ子から聞いた。
むつかしいんだな~。。。。
今回の旅行で 私達はコリエンテス通りにある 170年の歴史の古~い教会で挙式をした。
その夜、式にも参列してくれた友達がプラクティカに誘ってくれて
ここも古くからある アットホーム・スタイルのプラクティカというより自由なミロンガで
なんだか テラちゃんみたいな人とか トヨダのおじさんみたいな人とか シャンハイみたいな人がいて
みんなして 私達を順に紹介してくれた。
で、みんなして 「おめでとう」を口々に言ってくれて
みんなして かわるがわる お祝いに踊ってやる とか お祝いに歌ってやる とか
お祝いに演奏してやる とか そんな状態であった。
で、私達も エキシビジョンやれ と言われ
こんな風に踊った。
COCHABAMBA 444
グスタボ・ナベイラ というダンサーが 昔からとても大切にしている古いミロンガだ。
よそ者の私達が思いがけず この コチャバンバで温かい祝福を受け 踊ることができて
私たちにとって ここは とってもとっても大切な場所になった。
こーいう 大きな人柄のオーガナイザがいて、それを囲む温かくも タンゴに病気な人々が
集まるミロンガは長く続くんだなー、と思うし・・・このまま変わらないでいて欲しいなーと思う。
そして、クンパルも やっぱりこんな風でありたいなー と思った。
あ、コチャバンバではカレーライスもおやつもなかったけどね
ブエノス市内は もう春だというのに やたらに寒く、
景気の悪さから 人々のエネルギーは低迷しており、
私達はそろって すっかり風邪を引いてしまった。
ブエノスで体調を崩すなんて・・・・
それこそ10数年前に 初めてブエノスへ行ったとき以来である。
いっつも ブエノスへ行けば 超元気 お肌つるつるで帰れるのになあ~。。。
そんなして 鼻水ずるずるしてた私達なので いつもより深夜のミロンガ遊びも
セーブしてしまった。
こちらでは10時か11時になってミロンガが始まり、深夜2時3時4時まで続く。
ここでは物騒なバスが24時間走ってるんで、ポルテーニョはそれで帰るけど・・・
私はとても乗る気にはなれない。こわいもん。
このミロンガは ミロンガの前にレッスンがあったので、そこから参加してみた。
タンゴを踊るスタイルも本当に様々だが、
このミロンガはモロに ひとつのスタイルに固まっていた。
当然ここのレッスンをする先生のスタイルってことだけど・・・。
私も「ここのスタイルに合った練習をしなさい」と非常にダイレクトな注意を
先生から受けた。
もちろん それはその通りだから、忠告に従って そこのスタイルを学ぶことにした。
レッスンが終わって ミロンガTIMEになると レッスンに参加していた人達は
端っこに固まって待たなければならない。
ひとりのセニョーラが 座る場所の割り振りを細かく指示してゆくのだ。
「男性同士? 二人? じゃあ あっちの角、 女性3人? あのテーブル 前列ね、
次は?カップル? あとで! そこの男性 一人? こっち来て」
といった具合である。
非常に時間がかかる。
私達のようなペアは後回しで、最後まで突っ立ったまま待たされる。
いい加減 時間がかかって頭に来たので
「どこでもいーから早く座りたい」と言ってみたけど
まったく相手にされなかった。
この日はレッスン参加者も大変多く盛況であったので、そのテーブル整理もことさら
時間がかかった。
後から、ミロンガのみ参加するために来た人にとっては
入場料を払って テーブルを案内されることは 至ってノーマルなことなのだろうが・・・・
ここは、年配の方の多いミロンガで、カベセオ命ーー!!っていう炎がメラメラとしているような
雰囲気である。
カベセオって言うのは いわゆるアイコンタクト ってやつで
遠く離れて座っている女子に 男子がめくばせして「踊ろーぜ」って誘うことを言う。
以前、ここ おんなじミロンガに来たときは 来てる人達が うーんと余裕があって
エレガントでかっこいいな~、と思ったけど
どーいうわけか まったく同じ空間であるのに ちっとも かっこいいと思わなかった。
以前は そのカベセオも自然な流儀で出来上がっていたのに、
今ではカベセオのために駒を適切な位置へ配置してるって感じである。
本末転倒でないの??
それに・・・なーんかこう・・・
「踊れねーやつあー人間じゃねー」みたいな ちっちゃさ、
「ここのスタイルじゃない人は他所のミロンガ行けば~」みたいな ちっちゃさ、
(レッスンが終わってミロンガだったら どこぞの者でもいーじゃんっ)
1タンダ終わるごとに 競い合うガツガツした感じと
(↑コルティーナで区切られた数曲のまとまり)、
下手なやつは円の外へはじき飛ばす意地悪さ、
踊れない女性は徹底して 座ったまんまにさせる思いやりのなさ、
あーあ、書いてるうちに 嫌になってきた
ちょっと さだまさし の真似して
「意見には個人差があります」 のプラカードだしとこっ。
まー ともかく
踊りのタイプも好きじゃーなかったし、
つまんなかったもんで、ここはさっさと帰ることにした。
そんなわけでミロンガへはあまり行かなかったけど
プラクティカへは ひょいひょいと行った。
ミロンガより時間も早めだし。
プラクティカと言っても 「練習です」って感じではなくて
もっと気楽なミロンガって感じである。
何より「大らか」だ。 誰が上手だろーが、ヘタっぴーだろーが気にしない、って感じで
円からはじき飛ばす なんてことないし、ぶつかっても お互い様 って感じが すごくした。
ひょっとしたら 今はこーいう プラクティカという名のミロンガ みたいなライトな感じが
主流なのかもしれないな、とも思った。
それと、今回 感じたことは・・・
やはりタンゴも「外国の影響を強く受けてるんだなあ~」ということ。
以前はアルゼンチン国内でも「タンゴ・ブーム」の波があって、流行らないときは
CD屋さんでもタンゴのCDは奥のほうで ひっそり ちょっぴりあるだけだったりしたし、
流行る年は教室が増えたりした。
それが、今では いつだって「タンゴ・ブーム」だ。
日本で 急激にタンゴ人口が増え始めたのは ここ5-6年と思う。
それは たぶん世界的にそれほど誤差はないだろうから、
この数年 アルゼンチンへ旅行するタンゴ好きな人々は世界中から増えているだろうし、
ミロンガへの観光客の出入りも当然増えて。。。私達みたいに。
踊りのスタイルも多様化することで広告しやすくし、
ミロンガにも新たなルールができてきた。
あるいは、ミロンガに新たなルールをつくったのは間接的に外国人観光客なのかもしれない。
本来、 というか 以前からある老舗のミロンガは どこもアットホームで
家族で、とか 夫婦で、 とか恋人同士で、友達同士で 踊ることをとても大切にしている。
新たにタンゴを習う人は とっても練習熱心で 足しげく教室へ通ううち 友達ができて
ミロンガに誘われるようになって その輪に入ってゆく。
そーいった流れであったのではないか と思う。
そして ブエノスでも どんどん新しい ミロンガが出来ては
潰れていったり 変化が激しい ということも 現地のミロンガ大好きっ子から聞いた。
むつかしいんだな~。。。。
今回の旅行で 私達はコリエンテス通りにある 170年の歴史の古~い教会で挙式をした。
その夜、式にも参列してくれた友達がプラクティカに誘ってくれて
ここも古くからある アットホーム・スタイルのプラクティカというより自由なミロンガで
なんだか テラちゃんみたいな人とか トヨダのおじさんみたいな人とか シャンハイみたいな人がいて
みんなして 私達を順に紹介してくれた。
で、みんなして 「おめでとう」を口々に言ってくれて
みんなして かわるがわる お祝いに踊ってやる とか お祝いに歌ってやる とか
お祝いに演奏してやる とか そんな状態であった。
で、私達も エキシビジョンやれ と言われ
こんな風に踊った。
COCHABAMBA 444
グスタボ・ナベイラ というダンサーが 昔からとても大切にしている古いミロンガだ。
よそ者の私達が思いがけず この コチャバンバで温かい祝福を受け 踊ることができて
私たちにとって ここは とってもとっても大切な場所になった。
こーいう 大きな人柄のオーガナイザがいて、それを囲む温かくも タンゴに病気な人々が
集まるミロンガは長く続くんだなー、と思うし・・・このまま変わらないでいて欲しいなーと思う。
そして、クンパルも やっぱりこんな風でありたいなー と思った。
あ、コチャバンバではカレーライスもおやつもなかったけどね
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