先日 じゅんこのトークショー というのをやりました。
昨年から引き続き3回目になります。
今回は 6月末から1週間で行ってきたイタリア カターニャタンゴフェスティバル
でのワークショップの内容報告をメインにお話しました。
ただ、残念だったのが このワークショップ すべて撮影禁止だったんですね。
なので、実際のナベイラやチチョがお手本を見せてくれてる
シークエンスの動画などがなかったので、
ワークショップの中でポイントとなった事柄などを私が用意したスライドとともに
お話した形になります。
このね、撮影禁止ね、
ちょっと珍しいですよね、
私も ブエノスや 他のヨーロッパでのフェスティバルは少々行ってますけども
だいたい 先生がクラスの最後あたりで
「はい 今日やったシークエンスやるよー」ってカメラを準備する時間を
くれたりするんですよね。
後でおうち帰って練習してねー みたいな ね。
それ一切ナシでしたわ。
それがさ 中には強者がいて 音鳴らさずに こっそり撮ろうとする人がいるんだよね。
そーすると 一体どこに目がついてんのか ってくらい絶対チチョが気付いて
ババっと振り返って 「NO」とだけ言うわけよ。
殺されんのか ってくらい怖くてビビっちゃうよね ほんと。
あーあ バカでー ってね 思ってるわけ 私は。
それで、じゅんこのトークショーですけど
タンゴ教室で お話だけ聞いたってしょうがないじゃん って思う人も
いるかも なんですけどね
私はお話を聞くこと も含めて タンゴの上達に絶対につながると思ってます。
ずっと昔 その昔 私が師匠の元で お稽古に励んでいた頃、
レッスンの前後や 一緒にお食事させてもらう席なんかで
先生が 先生の 先生に習った話とかを聞くのがとても楽しくて嬉しかったです。
一緒に舞台などを見に行かせてもらえば、それを師匠がどんな感想を持ったか
興味津々でしたし、私とはまったく違った視点であることを驚いたり、
どうしてなのか質問したり、
「お前はまだ子供だからわからない」なんてバカにされたり、
それも全部 嬉しくて、いつだって師匠の踊りに対しての言葉を
聞きたくてワクワクしました。
その会話の1つ1つも たぶん 私のおどりごころを育ててくれてたと
思うのです。
例えばね、何かひとつのシークエンスのお手本を見たとします。
そのお手本を見ても 実際の動きをどのように感じるか 体感は
自分の目で見た
自分の判断の中でしかないわけです。
つまり 想像です。
このシークエンスはたぶんこんな感じなんだろう と。
先生は一生懸命 「ここを強めにぐぐっと」とか 「ここでふわっと上がるように」とか
表現に関するヒントを色々な言葉を駆使して出してはくれますが
それでも 結局は自分の想像だけでしか 動きをつくってゆくことって
出来ないんですね。
そうすると、ダンスの上達とか
表現力の向上とか
感性を豊かにするとか
つまりタンゴのミュージカリティや 相手との共有感を育てる というのは
いかに その自分の中の想像力を広げるか ということが重要になります。
自分では「おそらくこんな感じだろう」と 無意識に感じてることが
そのまま動きになるのです。
わかりますかね?
他の人と ちょっとしたおしゃべりをした時、
「へーえ この人はこんな風に感じてるんだ」って思うことありますよね。
それが自分とは全然違っててもなんでも
その「へーえ」の積み重ねは 自分の想像力を広げることに
つながるだろう と思うのです。
友達と飲みに行って タンゴ談義に花を咲かせる
これ 大変良いことと思います。
「聞く」だけでなく「話す」ことで、自分がどんな風にタンゴを
感じてるのか再発見があったりしますよね。
たくさんの本を読んだだけでは感性は養われないし、
たくさんの映画をただ見ただけでも感性は養われないし、
その本や映画から美しい部分や心が動いた部分を見つけたり、
その気持を言葉にして表現してゆくことで
感性は育ってゆくのかな と思うわけです。
タンゴも同じように、そんなふうにして おどりごころを育てていって
欲しいな と思っています。
なので、今回のじゅんこのトークショーでも
話を聞いて、みんなで一緒に動画をみて、
ひょっとして チンプンカンプンの話もあったかもしれないけど
でも みんなの中に うっすらと薄皮の層を重ねるように イメージが
蓄積されてゆくことが きっと おどりごころに つながると思うわけです。
今回 来れなかった方は残念でしたけど
これからも いろんな人と話を聞いて、話をするといいですよね。
まあ、そんなふうに思います。
どんなにたくさんステップを知ってても、
どんなに体の使い方が正しくて、足元がきれいにいってても
踊ってない人は 踊ってないのです。
そこにおどりごころが加わってないと
タンゴになりません。
そーゆーことです。
昨年から引き続き3回目になります。
今回は 6月末から1週間で行ってきたイタリア カターニャタンゴフェスティバル
でのワークショップの内容報告をメインにお話しました。
ただ、残念だったのが このワークショップ すべて撮影禁止だったんですね。
なので、実際のナベイラやチチョがお手本を見せてくれてる
シークエンスの動画などがなかったので、
ワークショップの中でポイントとなった事柄などを私が用意したスライドとともに
お話した形になります。
このね、撮影禁止ね、
ちょっと珍しいですよね、
私も ブエノスや 他のヨーロッパでのフェスティバルは少々行ってますけども
だいたい 先生がクラスの最後あたりで
「はい 今日やったシークエンスやるよー」ってカメラを準備する時間を
くれたりするんですよね。
後でおうち帰って練習してねー みたいな ね。
それ一切ナシでしたわ。
それがさ 中には強者がいて 音鳴らさずに こっそり撮ろうとする人がいるんだよね。
そーすると 一体どこに目がついてんのか ってくらい絶対チチョが気付いて
ババっと振り返って 「NO」とだけ言うわけよ。
殺されんのか ってくらい怖くてビビっちゃうよね ほんと。
あーあ バカでー ってね 思ってるわけ 私は。
それで、じゅんこのトークショーですけど
タンゴ教室で お話だけ聞いたってしょうがないじゃん って思う人も
いるかも なんですけどね
私はお話を聞くこと も含めて タンゴの上達に絶対につながると思ってます。
ずっと昔 その昔 私が師匠の元で お稽古に励んでいた頃、
レッスンの前後や 一緒にお食事させてもらう席なんかで
先生が 先生の 先生に習った話とかを聞くのがとても楽しくて嬉しかったです。
一緒に舞台などを見に行かせてもらえば、それを師匠がどんな感想を持ったか
興味津々でしたし、私とはまったく違った視点であることを驚いたり、
どうしてなのか質問したり、
「お前はまだ子供だからわからない」なんてバカにされたり、
それも全部 嬉しくて、いつだって師匠の踊りに対しての言葉を
聞きたくてワクワクしました。
その会話の1つ1つも たぶん 私のおどりごころを育ててくれてたと
思うのです。
例えばね、何かひとつのシークエンスのお手本を見たとします。
そのお手本を見ても 実際の動きをどのように感じるか 体感は
自分の目で見た
自分の判断の中でしかないわけです。
つまり 想像です。
このシークエンスはたぶんこんな感じなんだろう と。
先生は一生懸命 「ここを強めにぐぐっと」とか 「ここでふわっと上がるように」とか
表現に関するヒントを色々な言葉を駆使して出してはくれますが
それでも 結局は自分の想像だけでしか 動きをつくってゆくことって
出来ないんですね。
そうすると、ダンスの上達とか
表現力の向上とか
感性を豊かにするとか
つまりタンゴのミュージカリティや 相手との共有感を育てる というのは
いかに その自分の中の想像力を広げるか ということが重要になります。
自分では「おそらくこんな感じだろう」と 無意識に感じてることが
そのまま動きになるのです。
わかりますかね?
他の人と ちょっとしたおしゃべりをした時、
「へーえ この人はこんな風に感じてるんだ」って思うことありますよね。
それが自分とは全然違っててもなんでも
その「へーえ」の積み重ねは 自分の想像力を広げることに
つながるだろう と思うのです。
友達と飲みに行って タンゴ談義に花を咲かせる
これ 大変良いことと思います。
「聞く」だけでなく「話す」ことで、自分がどんな風にタンゴを
感じてるのか再発見があったりしますよね。
たくさんの本を読んだだけでは感性は養われないし、
たくさんの映画をただ見ただけでも感性は養われないし、
その本や映画から美しい部分や心が動いた部分を見つけたり、
その気持を言葉にして表現してゆくことで
感性は育ってゆくのかな と思うわけです。
タンゴも同じように、そんなふうにして おどりごころを育てていって
欲しいな と思っています。
なので、今回のじゅんこのトークショーでも
話を聞いて、みんなで一緒に動画をみて、
ひょっとして チンプンカンプンの話もあったかもしれないけど
でも みんなの中に うっすらと薄皮の層を重ねるように イメージが
蓄積されてゆくことが きっと おどりごころに つながると思うわけです。
今回 来れなかった方は残念でしたけど
これからも いろんな人と話を聞いて、話をするといいですよね。
まあ、そんなふうに思います。
どんなにたくさんステップを知ってても、
どんなに体の使い方が正しくて、足元がきれいにいってても
踊ってない人は 踊ってないのです。
そこにおどりごころが加わってないと
タンゴになりません。
そーゆーことです。
はい、わかりました。
返信削除よろしい。大変けっこうなお返事で。
削除それとね、そろそろ捜索願だすよ。
削除自分もちょうどそう思ってたところです。
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