2012年6月21日木曜日

今日もつぶやき




写真 これくらいの大きさがいいかな。

ヘッダー画像の変更もできたし。


今週は "いつもは土曜日のレッスンに参加 " という方が
4人も平日のクラスに来てくださって
うれしかったです。

"いつもと違うクラス"  というのは 上達のBIG チャンスで
とてもいいと思います。


なかなか皆さん お仕事帰りだと時間の都合が
難しい方も多いのでしょうね。。


明日はなお先生のyogaのみで、Tango の Basic クラスは
ありませんから気をつけてくださいね〜。

yoga は「首の調整」ということです。



ではまた明日('∀`)





つぶやき

少しこのページの幅を変えようかと思ったのです。


それと、写真の大きさが どうも好みになりません。
このBlogger のデフォルトのサイズは小・中・大・特大と
4通りで、
それ以外を好むなら 数値を書き換えれば済むことなのですが、

毎日に近いようなことだと
出来るだけ簡単に済ませたいですし。

(昨日はジーンズの写真がデカくなったり
小さくなったりしてました)


ヘッダーのピンク色をなくすと サイズが合わず、
ページ幅を変更するなら それに合わせて
ヘッダー画像もつくり直さなければならない感じで


面倒だな・・・・

うーん・・・・・




つぶやき でした。



2012年6月20日水曜日

ジーンズ




17年履き続けたジーンズに ついに穴があきました。

お尻にも。

ツギをあてて まだ履こうと思います。




2012年6月19日火曜日

El Adios

先生には7年半教えていただきました。


お稽古は毎回本当に全力で、5時間以上 ぶっ通しで集中する
厳しさで、しかし 思い返して今 驚くのは
まだ20代の私がゼーゼーヒーヒー言ってるのに、
当時すでに60歳を過ぎていた先生が
ずっと 先頭に立って それをしてくれていたことです。


今 私は まやちゃんや サワダ君にお稽古をつけてあげるべき時期で、
もちろん自分が率先して彼らの倍 動くつもりにならなければ
ならない と感じ 頑張っていますが・・・

ヒーヒーいってます。

とても先生のようにはなれません。 すべてにおいて
本当に先生は特別な存在でした。


私の代には・・・記憶が曖昧ですが

確か新しい舞踊団員が5人くらい入ったのです。

それが初日の稽古で3人辞めました。 とても厳しさに
ついてゆけなかったんですね。

私ともう一人、女性が残りましたが、
彼女も3ヶ月持ちませんでした。 

私は ボーっとしてて、特に基準になるものがなかったので、
厳しい と感じずに続いたのかもしれません。
それから何年も私がずっと下っ端でした。


そう、
そういえば、お稽古のとき、先生が来る前はお弟子さん達だけで
稽古をしてるのですが、
どうも たるみがちになるんですね。

先生が部屋に入ってくるとピシーーっとする。


居るだけで締まる。


私の思い出の中の先生は厳しく、大きな、大きな
大木のような
山のような方でした。


ものすごく自分に厳しくて。
意思が強くて。

強い強い気持ちで、アルゼンチンタンゴを踊ることに
すべてを注ぎ
普及させることに全力で立ち向かっていました。







私達は毎日のグループレッスン終了後に
ほんの数曲踊るのですが、今夜たまたまかかった曲がコレでした。

Osvaldo Puguliese (オスワルド・プグリエーセ)
" El Adios "  (エル・アディオス)

これを踊りましたが、まるで追悼のようだ、と思いました。






ここでも何度か書いたことがあったと思います。
私はプグリエーセの演奏では、特にホルヘ・マシエルという
歌手の歌が入ったものが好きです、と。


これは 当時の修行時代に先生が好んでよく使ったもので
そのまま その影響です。


ご存知の通り " Adios " は別れの挨拶で「さよなら」を意味します。


ほとんどの場合、アルゼンチンのお友達は
ちょっと別れる(その日帰る とか)の場合「Adios」は使いません。

「Chau」"チャウ"  とか 「hasta luego」"またね" とかです。

Adios は本当に本当のお別れっぽいからかもしれません。



先生、 Adios


さようなら。


心から感謝しています。


ゆっくり休んで下さい。


安らかに。





青空




今日は久しぶりにきれいな空でした。

嵐の前の晴天 ですね。




私の師匠が亡くなったと、 訃報が届き 

しかしまだ信じられないというか・・・ 気持ちがついてゆけません。




静かに黙祷します。