楽しみに読みに来てくださる皆さまに 後ろ向きなことを
書くことは申し訳ないのですけども
ごめんなさいね
今年はしょーじき言って・・正直ホント しんどい年でした。
書くことは申し訳ないのですけども
ごめんなさいね
今年はしょーじき言って・・正直ホント しんどい年でした。
よく泣いた。
辛かった。
辛かった。
3月末に母が転倒、手術、入院をしてから
母の様子は一変し、
私の生活も一変しましたから。
私の生活も一変しましたから。
つい、数日前まで愚痴を聞いてくれたり、冗談を言い合って笑っていた、
唯一の理解者である母が
日を追うごとに会話が成り立たなくなってゆく
そのリアルタイムの経過を見続けるのは大変辛いもので、
私の精神を蝕んでいきました。
時間を問わず、どこにいても母から電話がかかってくるけど、
耳が遠い上に、会話が成立しないから
町で
駅で
道端で
大声を張り上げて何度も何度も答えてあげなければならず、
周りから「何あの女」「うるさいな」という
目で見られることもあり、
その度にどうしたらいいのか途方に暮れました。
トイレがうまく出来なくなると
洗濯の回数も増えますが
夏の ある時、朝 洗濯を終え、
汗だくになってベランダに干し、
汗だくになってベランダに干し、
午後取り込んで
「これ 畳んでしまってくれる?」と母に頼んでみました。
その頃は、それくらいの生活家事なら出来るようになってきていたので、
出来る事は何でもやってもらった方がいいわけですし…。
母が取り込んだ洗濯ものを前にし、手に取り始めたのを見て安心し
台所での水仕事にかかりましたが
ふと嫌な予感がして戻ってみると
ついさっき取り込んだ洗濯ものを、また洗濯機に入れて
ポチっとしたところでした。
○ ▲ □ ● ◁ ーーー(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ーーー!!!
声にならない声・・・・・・
あと 30分でここを出て 特急に乗らないと
夜のクラスに間に合わない
それには あと コレして アレして って時に
もう一度 今から洗濯!!!!!
怒ってはいけないとわかっていながら
つい苛立った声をあげてしまうこともあり
そんな時は 駅までの道を泣きながら 歩きました
そして
うさぎのチョビに睾丸の腫瘍が見つかり 手術をすることに。
母のことにかかりっきりだったので
気づいてあげるのが遅かったのもあり
落ち込みました。。
行き来の移動が激しい毎日で
電車の中での過ごす時間が めちゃくちゃ長くて
とにかく 行政のサービスの検索ばっかりやってました。
この申請だしてみよう とか
ケアマネさんに これ相談しよう とか
頭の中は 高齢の母と 高齢のうさぎ のことで一杯。
ヤバイ あたしこのままじゃヤバイ と切実に
なんとかしようと思ったのが 8月20日。
母のところへの 行きの電車では 介護に関しての調べたいことを
検索する時間に使ってましたが
母のところから スタジオまでの 電車の時間は
一切 そのことからは離れようと決めました。
それで、 そこからこのブログを毎日毎日書き始め
やっと 私が 私を取り戻し始めることが出来ました。
なんと言っても 気持ちをタンゴに切り替えてから
教室へ入ることが出来るようになった効果は計り知れず
でも それも いつも 「先生 この前書いてたあれおもしろかったよ」とか
「あれ読んで やっとわかったよ」とか
そんな風に 声をかけてくださる方がいるからこそ
書けるのであって
まったく まったく皆さまのお陰なわけです。
苛立つ気持ちや、悲しい気持ちを
駅までテクテク歩く中で 少しずつどーにか追いやって
電車に滑り込んだら コーヒーを飲みながら
ミロンガのこと書こうか
サカーダのことにしようか
ミゲル・カロのことにしようか
そんなことを頭に並べるうちに 私の中から
苛立ちや
悲しみが スーーッと消えてゆき
きいちゃんや きょーこちゃんや ミックスくんや
教室の中の一人一人の顔が思い浮かび
なんなら ちょっと思い出し笑いまでするようになり
そうして タンゴに救われている自分を感じました。
ただ このブログも 義務 に感じてしまうと
ダメだと思うので
サボった時は 生温かい感じで スルーしていただければ
助かります。
今日は書いてませんよね とか
言われるのは イヤなもんだな なんて感じてしまうのも
イヤなもんだ・・・・・ということを知りましたし(´□`;)
タンゴに救われる と言えば
この教室へ通う人々も まあ 皆さん お年頃ですし
本当に 皆さんそれぞれ 色々あるよね なわけです。
でも やっぱり タンゴに救われてくれてる様子も
今年ずいぶん見ました。
タンゴに励まされ
また もう一度タンゴを踊りたい その一心でがんばれるって
素晴らしいことだと あらためて随分リアルに感じた年でした。
母が入院した時、
それまで長く通っていたデイサービスの人たちが
心配して下さいまして
「みんな待ってるから、がんばってね」 と
声をかけて下さったのです。
それで、本人も 「デイ・サービスまた行きたい」と言って
がんばろうとするわけです。
それがですね、
退院して、いざ行ってみると 数ヶ月のうちに
職員さんが変わっていたりですね
あるいは 通ってる方々も 他の施設へ移られていたり
メンバーが変わっていたりするんですよね。
そーなると ね。
ちょっとね・・・ と思うわけです。
それで、 ふと うちの教室でも ご事情でしばらく来れない人や
転勤される方も多くいますけど
また クンパル行きたいから がんばろー って人たちを
少なくとも私たちは変わらず迎えることが出来てるのだわ と
そんな風にも気づいたのです。
何かあった時、 帰れるコミュニティを持ってる っていいな と
羨ましく思いました。
それを持っているか いないか
踏ん張り具合が違うんじゃないか と。
人生が違ってくるんじゃないか と。
私たちは そのコミュニティの中心としての役割であるわけですけども
その中心として居ると、
人々の流れを ただただ 眺めている というような心持ちでも
あります。
出会いがあり
別れがあり
入る人があり
出る人がある
不思議なもので これまでもずっとずっとそうなのですが
この人がいなくなってしまうのは痛いなー とか
そんな時、
不思議と その代わりになる人が入ってきたり
なんともうまい具合に コミュニティの全体としてのバランスは
保たれているのです。
今年は特に 人々の流れの中で それを強く感じる年でありました。
私自身は 本来 人付き合いが苦手な意識をもっていて
タンゴ以外の趣味もこれと言ってありませんし
タンゴ以外のコミュニティをも知らないのですが
母のこともあり 果たして これからの人生の健康寿命について
ずいぶん考えた年でした。
大げさなようですが そうです。
母の歳になった時、一体 私には 私のような娘がおらず
どーしたら良いのだろうと 暗澹たる気持ちにもなりますから
そうすると 自ずと 今から 健康であることをしっかり取り組もうと
考えるようになるわけです。
食べ物や
運動や
色々 あるでしょうが
たぶん いざという時 心を支えるための
コミュニティがあるというのは大きいのだろう と思いました。
私は タンゴ以外にない と言っても
私自身が コミュニティをつくってる人で
でも このコミュニティを好んで集まって下さってる方々に
支えられていますから
私にとって
私の心を支えるコミュニティとは
ここなのだろうな。。。 と。
総じて、今年は映画さえ1本も見ていない、
どこにも旅行にも行っていない
日帰りでさえ出掛けてない
そんなふうに 母のせいにばかりしてしまうような
1年になってしまったのですが
でも 母のせいではないし
父を亡くした時のような後悔をしないように
母と向き合う時間をつくるチャンスをもらったとも言えるわけで
自分の時間をつくることと
母との時間を過ごすことと
来年は もう少し上手にバランスをとってゆこう と思っています。
私、 年が明けたら
タンゴ生活25年になります。
四半世紀 踊ってしまいました。
これから先は
タンゴを好む人だけに限らず、
どんな方も、 人々が健康であるために
健康寿命を伸ばし、 最後まで自分の足で歩くために、
これまでの ダンサーとして生きてきた知識をすべて出して
誰かの役に立つ
新たなコミュニティもつくってゆきたいな とかとか。
今年の終わりに そんなことを思っています。
今日は 母とお蕎麦を食べます。
皆さまにとって 来年も元気で素晴らしい年となりますように。
今年も1年 どうもありがとうございました。
いつもいつも ありがとうございます。
2020年もどうぞよろしくお願いいたします。
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