2011年11月5日土曜日

愛をもって思い出としましょう その1


今から  14年前 くらいのことですが
当時 所属していた教室により、私はアルゼンチン人の男性 E君 と
1年間 契約パートナーとして仕事をさせてもらいました。

まだ私はタンゴもペーペーでしたし、
しかもスペイン語はまったく出来ず

その1年間の仕事はお互いにとって困難の極みでした。

まずは、私は日本の文化、生活様式から
こと細かに注意を促さなければいけませんでした。

「ここでは靴を脱がなきゃダメよ」
「ゴミは分別しなきゃダメよ」
「時間に遅れてはダメよ」

ダメよ ダメよの連発です。

ダメよ ダメよを連発する口うるさい私は
さぞかし欝陶しい存在だったろうと思います。


私は辞書を片身はなさず持ち歩き、スペイン語を覚えるべく努力は
しましたが、本当に伝えたいこと、話し合うべきことを
共有するには遠く遠く及びません。

「なあに? もう一度言って。もう一度。 もう一度」

私が繰り返し尋ねれば
面倒になってしまうのでしょう。「もういいよ」と言われてしまい、
そんな私はまた腹を立て、

「私は話し合おうとしてるのに、聞かないあなたが悪い」と
相手を責めてはふて腐れていました。


日本の食事が合わないE君は
いつもマクドナルドか、ピザか、スパゲティばかり。

すっかりそんな食事に付き合うことに嫌気がさしてしまった私は

「悪いけど、私はもうこんなものばかり食べたくないわ」

「ああ、じゃあ別々に食べよう。もう君の手を借りなくても
ひとりで食べれるよ。」

「ええ、じゃあ そうしましょう」



当然、タンゴでもついケンカになってしまうことばかりでした。

E君もアルゼンチン人として自分こそが正しいと主張し、
私も今まで習ってきたことを曲げようとはしませんでした。



それでも仕事は忙しく、
地方での営業なんかがあれば、生粋のブエノスっ子のE君は
初めて乗る新幹線に興奮したり、楽しそうにすることも
ありましたが、
それにしても日々重ねるごとに衝突は増えてゆきました。


契約も残りあと3ヶ月という頃、大きな舞台がありました。

私とE君のソロもありました。

でも、その大事な舞台で私は失敗してしまったのです。
私のミスにより振り付けが狂ってしまいました。

ごめんね と謝りましたが

別にいいよ  と そっけなく背を向けるE君を見て


一体どうして私がこんな思いをしなければいけないのか
彼だって悪いんだ いや、彼が悪いんだ と
E君を非難する気持ちばかりが 後から後から押し寄せてきました。

こんなに私は一生懸命なのに

これほど自分の時間を割いているのに

こんな嫌な奴、早く帰ってしまえばいいのに、と思っていました。


E君には週に1度だけ休日があり、その日だけは私も解放されました。
私自身は1週間に1度の休みなく働いていたので、
本当にヘトヘトな状態だったのですが、
E君がお休みの日は、なんだか自由な気分になれました。

それにしても
私たちは、その1日をのぞき、来る日も 来る日も いつでも
ずーっと一緒に過ごしたのです。



そして1年の契約が終わるとき、空港へ向かう車の中で
E君は流れる窓の外をじっと見ていました。

「やっと帰れて嬉しいんでしょう?」 と聞くと

「うん。。。。。。。。。。。。。」と答え、



「もう日本には来ないと思う。 日本は好きではないよ」と
E君は言いました。


他でもない、彼に日本を嫌いにさせてしまった張本人は私です。
彼が嫌いな日本。 その日本代表は私だ。

そう思ったとき、

ああ、取り返しのつかないことをしてしまった・・ と

悔やみましたが。。。もう遅すぎます。。。


成田へ到着し、私たちはお別れの挨拶をし、彼は1年ぶりの故郷
ブエノスアイレスへ帰ってゆきました。


そのまま私達は連絡をとりあうこともありませんでした。

私は彼の住所や、電話番号さえ聞いていなかったし、
彼も私の連絡先は知らずに帰りました。

当時はまだ、パソコンも個人ではさほど普及しておらず
私も持っていませんでしたからE-Mail アドレスも知りません。



その翌年、
E君がブエノスで、ミレーナのパートナー役のオーディションに
受かったというニュースを聞きました。

ミレーナは昨日の記事に書いた TANGO×2 の女性ダンサーです。

ちょうど TANGO × 2 に区切りをつけたミレーナは
元のパートナー、ミゲルと別れて、新たにパートナーの募集を
していたのです。

そしてE君は見事合格した。


しかし、私はそのときですら、

合格できたのも、日本で働いた経験が審査に良い影響だったに
違いない。 (ミレーナは親日家です)
それでも彼はきっと、その日本での経歴のおかげだと感謝は
していないに違いない・・・

そんなふうに、意地悪く思ったのです。


あの日、空港へ向かう途中
自分こそが彼の日本での良い思い出を踏みにじってしまった という
後悔をしたことを すっかり忘れて。
1年間、彼との苦い記憶のほうが  やはり私の中では
まだまだくすぶっていたのです。






うわあ・・・o(;△;)o
文字にすると記憶の波が押し寄せてくる〜〜


しかし
この目をそむきたくなるような過去の封印を解いたのには わけがあるのです。

つづきはまた明日。














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