2020年3月25日水曜日

私のタンゴのルーツ その1

私 Ricardo Tanturi  (リカルド・タントゥーリ が
好きなんですけどね。

ちょっと その、昔 親族とか血縁関係あったんじゃないか?くらいな
特別な感じがするというか・・・



まったく一般ウケするような音楽ではなく、
いわゆる古臭いタンゴなんですけどね。

全部が良い曲かってーと そーでもないし。



それはプグリエーセが好き というのとは
まったく違った種類の「好き」ですし、
そもそも「好き」ということとは違うのかな、と。




このミロンガとかでも身悶えするほど  私の中の タンゴが目覚めてしまうし






この感覚の正体は 初めてタントゥーリに出会った時の戦慄そのもので、
その感覚がずっと体に残っているからなんですよね。



初めてブエノスへ行った時、一体どこのミロンがへ行ったかは
忘れてしまいました。

どこか忘れたけど、恐らく今はもう潰れてしまってるでしょう。


まだ駆け出しだった私は、埃くさく、天井が高く、
音楽がお風呂屋さんの中のように反響する広いミロンガに
ボー然としました。

そのミロンがはガラガラでした。



印象としてはこんな感じ




そのミロンガが人気がなかったわけでなく、
当時はブエノスの中で タンゴがぜんぜん流行ってなかったのです。

今ではすっかり考えられないことですが、
当時はそんなふうに タンゴには ブームの波があり、

ブエノスでも 流行って教室やミロンガが増える時期と、
廃れて 音楽すら街から消える時があったのです。


   ※ ここ15年前くらいからは そんなことありませんよ。
     年中無休で流行ってます。
     そのかわり亜経済がガタ落ちなだけで・・




それで、初めて経験した そのガラガラの汚いミロンガで
流れていたのは タントゥーリです。

もちろん タントゥーリだけでなく、トロイロも
フレセドも ビアッジも流れてたでしょうが

私の中に あぁ タンゴだ 私はこれを踊ってていいんだ  と
妙に納得させてくれた音色が タントゥーリだったんです。



お風呂屋さんのように反響するタントゥーリに
月並みですが感動して 心が震えていました。

懐かしさのような、私はこれを聞くために 踊るために生まれたのかもしれない
  という 言葉にしてしまうと仰々しいのですが そんな感じで。



そのミロンガは 人もまばらな上に アジア人なんて
滅多にいないですから、
私はものすごく目立っていてしばらく 誰にも誘われませんでしたが、

誰か おっさん1人と踊ったことをきっかけに、
パラパラお誘いがかかり

さきほどのような ミロンガのタンダで
私の体の5人分くらいありそうな(笑) 太っちょのおじさんと
踊りました。

死ぬほど楽しかったです。


そう、死ぬほど楽しかった。


ただ、その時は 知識がなく
それが タントゥーリだってことは わかってなかったんですね

それで、コリエンテス通りの大きな CD屋さんに行き、

  当時のCD屋さんは「これ聞きたい」と言えば
  その場ですぐビニールをベリベリと破いて
  聞かせてくれました(笑)



どれが ゆうべの戦慄のオルケスタなのかがわからず

片っ端から CDを積み上げ、
片っ端から ヘッドフォンで聞きまくりました。

残念ながら記憶の音とは出会えず、
でも大好きなプグリエーセとか 他の素敵なものが宝の山のように
たくさんあったので、

全部欲しくなって  でも お金が足りなかったので

師匠(じじー)を連れてきて


   「これ買って。  全部」

と言ったのです。(笑)





しかも 自分のスーツケースに入りきらず
じじー(師匠)のスーツケースに入れてもらいました。


そうして大事に持ち帰ってきたきたCDで、
日本では買えないものだったので、夢中で聞いたのですが

ミロンガのお風呂屋さんのような反響で感じた懐かしさや
感動にはたどり着けずその時は残念でした。



持ち帰ることは出来なかったけれど、
大量に買ったプグリエーセやダリエンソにはでも十分興奮し
あの戦慄のタントゥーリのことはいつしか忘れかけてゆきました。




それから、しばーらくして
再び行ったブエノスの どっかのミロンガで
タントゥーリを聞いた途端「あ ヤバイこれだ」と思い出しました。

その時には すでにタントゥーリの知識はあったにも関わらず

あの時の タントゥーリと  知識の上でのタントゥーリは紐付けされておらず

再び ブエノスのミロンガで聞いて 魂が思い出したという感じ。


ああ、これだ これだ、
このオルケスタが 私の居場所はここだと教えてくれている  と

大袈裟だけど そんなふうに感じたのですよね。




あの頃、私の父ノブオは 踊りの道で食べてゆくことなど
良くは思っておらず、もちろん会社を辞めるだなんて
とんでもないことで、

そんな悩んでいる時に ブエノスのミロンガで
タントゥーリを聞いて

いやいや、大丈夫  この道でいいらしい  と感じ


タントゥーリに導かれたような気がします。
都合のいい解釈だけど。







そんなわけで私は 今だって 何度だって
タントゥーリを聞くたびに 「 これでいい」 と守られている
感じがして 安心できます。






でも  私のタンゴのルーツは
実はもっともっと前から 持っていた と思っています。
小学校4年生のとき、すでにタンゴを選んでいたかもしれない。。


その話は また明日。






今日も 健やかで笑顔いっぱいの1日でありますように!





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