2020年2月19日水曜日

ウルグアイとタンゴ

「ラ・クンパルシータ」という タンゴの名曲は
ウルグアイの人が作った曲なんですね。

常に 常に いつだって 世界のどこかで
「ラ・クンパルシータ」の曲がかかっていない瞬間がない と
言われるほどの名曲。

その編曲、アレンジの多さでも 世界の曲の中で群を抜いています。


ウルグアイにとって この「ラ・クンパルシータ」を生み出したという
事実は誇りであろうと思われます。


そんな曲が生まれたわけですから、

そもそも「タンゴ」というダンス、


実は ウルグアイが発祥の地  という説もあるのですよ。



今や 果たして それが真実なのか  どうなのか

わかりませんけどね。



なんとなくの イメージですが・・
アルゼンチンの人たちの方が 商売上手で 口がうまく
機転が利き、

ウルグアイの人たちは ちょっとのんびり、

そんな感じがします。


これは 勝手な私の印象ですけどね。


それで  本当に「タンゴが生まれた」のは どっちが先であれ、

先に「これは うちのです」  と公言した方が 勝ちですよね。


まして  「アルゼンチンタンゴ」 と 国の名前とくっつけてしまえば

それはもう


それはもう   勝ちでしょう。



こんなこと言ったら
アルゼンチンに対して ずいぶん意地悪になってしまいますね。。

ごめんね、アルゼンチン。





ああ、なんだっけ? 「電話」を最初に発明したのは
メウッチ って人だったけど  特許とるお金がなかったとか
書類が揃ってなかったとかで

先に特許とった グラハム・ベルが 電話を発明した人ってことで
有名になっちゃった  って話。

なんか アレに似てるよね。




あ、  いえ、  わかりませんよ。

今となっては わからないのです。


本当に アルゼンチン、 一般的には 港町 ボカのカミニートが
発祥の地と言われています。






でも、


私 ウルグアイにも行ったことあるんですけどね。


ウルグアイの人たちは ぜんぜん そうは思っていなくて
今だに
「へーえ、ジュンコ タンゴ踊るの? へーえ、タンゴはウルグアイで
生まれたんだよ」  ってね。

会話の中で ふつーに言うんですよね。


それで 私は困ってしまって

「うん、そーだよね・・ そーらしいね・・あはは」なんて


苦笑いしちゃったりして(笑) 気を使っちゃうわけです。





私が 青山に「ラ・クンパルシータ」をオープンさせる時、
ウルグアイ大使館に ご報告を致しましたところ
大変喜んでいただき、

出来ることがあれば何でも協力しますから
がんばってください  と 素敵なメッセージも頂きました。


オープンの当日には 大使こそ お見えになりませんでしたが
事務局の方が来てくださいました。


ウルグアイへ行ったことがあるのは、
図々しく その交流やメッセージを真に受けて

ウルグアイの シューズメーカーや工場を紹介してもらったからです。


大使館からの紹介とあって、ウルグアイへ到着した時は
迎えに来てもらうわ
工場の見学はさせてもらうわ

ほんとに図々しいこと極まりないのですけど(笑)

ちゃんと 1件の靴屋さんとは契約を結びましたしね。
まあ、お互いに良かったわけです。


フクちゃんなんか、まだここの靴履いてるしね。



2009年に 「小さな国の 小さな村で・・」 と表現して
この時のことを書いてたようです。


今日 こんな長々と、ウルグアイのことを書いたのは

この春 公開する映画、

絶対に絶対に見たいなー  と思うのがあって


それを皆さんにも知らせたかったからです。







ウルグアイの元大統領

世界で一番貧しい大統領  ホセ・ムヒカさん。


大統領の収入の大半を寄付し、
公邸に住まず、 奥さんと愛犬と農場で質素な暮らしを
しながら大統領をしていた  ムヒカさん。




幸せとはなんだ。




この映画、絶対見よう  ってね、  そう思ってます。

















また明日^^






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