2012年6月19日火曜日

El Adios

先生には7年半教えていただきました。


お稽古は毎回本当に全力で、5時間以上 ぶっ通しで集中する
厳しさで、しかし 思い返して今 驚くのは
まだ20代の私がゼーゼーヒーヒー言ってるのに、
当時すでに60歳を過ぎていた先生が
ずっと 先頭に立って それをしてくれていたことです。


今 私は まやちゃんや サワダ君にお稽古をつけてあげるべき時期で、
もちろん自分が率先して彼らの倍 動くつもりにならなければ
ならない と感じ 頑張っていますが・・・

ヒーヒーいってます。

とても先生のようにはなれません。 すべてにおいて
本当に先生は特別な存在でした。


私の代には・・・記憶が曖昧ですが

確か新しい舞踊団員が5人くらい入ったのです。

それが初日の稽古で3人辞めました。 とても厳しさに
ついてゆけなかったんですね。

私ともう一人、女性が残りましたが、
彼女も3ヶ月持ちませんでした。 

私は ボーっとしてて、特に基準になるものがなかったので、
厳しい と感じずに続いたのかもしれません。
それから何年も私がずっと下っ端でした。


そう、
そういえば、お稽古のとき、先生が来る前はお弟子さん達だけで
稽古をしてるのですが、
どうも たるみがちになるんですね。

先生が部屋に入ってくるとピシーーっとする。


居るだけで締まる。


私の思い出の中の先生は厳しく、大きな、大きな
大木のような
山のような方でした。


ものすごく自分に厳しくて。
意思が強くて。

強い強い気持ちで、アルゼンチンタンゴを踊ることに
すべてを注ぎ
普及させることに全力で立ち向かっていました。







私達は毎日のグループレッスン終了後に
ほんの数曲踊るのですが、今夜たまたまかかった曲がコレでした。

Osvaldo Puguliese (オスワルド・プグリエーセ)
" El Adios "  (エル・アディオス)

これを踊りましたが、まるで追悼のようだ、と思いました。






ここでも何度か書いたことがあったと思います。
私はプグリエーセの演奏では、特にホルヘ・マシエルという
歌手の歌が入ったものが好きです、と。


これは 当時の修行時代に先生が好んでよく使ったもので
そのまま その影響です。


ご存知の通り " Adios " は別れの挨拶で「さよなら」を意味します。


ほとんどの場合、アルゼンチンのお友達は
ちょっと別れる(その日帰る とか)の場合「Adios」は使いません。

「Chau」"チャウ"  とか 「hasta luego」"またね" とかです。

Adios は本当に本当のお別れっぽいからかもしれません。



先生、 Adios


さようなら。


心から感謝しています。


ゆっくり休んで下さい。


安らかに。





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