2010年3月7日日曜日

クリティーの思い出

だいぶサボってしまって どうもすみません。

もう書かなきゃな~ と思いつつ・・・・・ ついズルズルと。


「おもしろいこと また書いてね!」と声をかけていただくことは

それでもすっごく嬉しいです。 ありがとー。



身近な人の不幸が ほんとうに続いて続いて ビックリしてしまい
なんだか ずっと気持ちが沈みっぱなしでいたんです・・・・・。


ほんとに「おくること」と「おくられること」というのを考えさせられます。







ついったーで 訃報を流しましたが クリティーの愛称で親しまれていた
1人の生徒さんが 元旦に亡くなりました。


78歳だったそうです。



すっごい元気だったのになあ~~。。。


本当に超パワフルじーさんで みんながクリティーを見て勇気づけられたと思う。

「へーえ タンゴって 年とっても続けられる踊りなんだあ~~」 って。

実際、アルゼンチンでは70歳80歳の人がブイブイ楽しそうに踊ってるのなんて
普通だし。




つい 土曜日には 「えーっと、今日はクリティーが来るな」 とか

ミロンガの日には「あれ?クリティー遅いな」 と



まだ ついつい思ってしまう。



もうクリティーと踊れないなんて・・・・・・・・・・本当に悲しい。




クリティーはとても勇敢なじーさんだった。

ガンチョが大好きで、




でもガンチョのリードが下手っぴーだったので


あるとき私が 少し叱ったことがある。



「ガンチョが好きなら もうちょっとちゃんとリード出来るように練習しなさい!

初心者の女の子にもガンチョしちゃダメ!」 と。


それで そのときは じっくりガンチョのリードを教えてあげた。



数日たって、クリティーと踊ると ぐーんと 上手にガンチョが出来るようになっていた。





クリティーがレッスンの中で

「これは自分には難しいからパスする」とか

「これは年だから無理だ」 とか そんなことを言ったことは

1度も1度も1度も1度も ゼッタイになかった。



知ってるよ。

クリティーがミロンガで、女性を誘っても
しらんぷりされたり、断られたりしたことがあったこと。

クリティーとは踊りたくない、なんて言ってる女性がいたことも。



でも その何倍も クリティーと踊って すっごく
楽しそうにしている女の子もいっぱいいたし、 

女性から逆ナンされてることもいっぱいあったし、
「ミロンガ踊るならクリティーとがいい!」なんて
言わせてたことも 知ってるよ!!






これは3年前の合宿↓



合宿は「反省会」が朝まで続くからね。
クリティーは夕飯が終わると、押入れの中で一眠りしてた。

みんなで飲み始めた頃、のっそり 押入れからクリティーが出てきて

みんな超おどろいて 大笑いしたよねー。

「こえーーーよっっっ!!!」って激しくつっこまれて(笑)





これはハロウィンのとき↑

似合いすぎるだろ・・・・・・・・・・


この馬の格好でさんざん踊ってから、

「クリティー暑いでしょ、無理しないでもうとりなよ」って言ったら

馬の中から 「うう」とかなんとか声が聞こえて


頭の部分をズボっと取ったら、汗びっしょりかいて

白髪も白いヒゲも、びっしょりになったクリティーがでてきて

腰抜かすかと思った・・・・・・・


「こ こえーーよっっっっ!!!!!!!!」

やっぱし激しくつっこまれる・・・・・・




で、去年の合宿↓




10月の連休で。

クリティーはすごく元気で、やっぱし朝4時過ぎまで飲んで騒いで、
朝8時の朝食もしっかり食べて、そのあとレッスンもやって
ニコニコして帰っていった。



たったの5ヶ月前のこと。

私はこの合宿の日、父ノブオが危篤で、レッスンの間もずっと携帯を握り締めていた。

この5日後にノブオは逝ったんだ。






私は、この仕事をして15年くらいになる。

長く通ってくれる生徒さんとは、たくさんの思い出を共有し、
毎週毎週顔を合わせるのだから、お互いをよく知り、絆が強くなってゆく。


以前、クリティーが急にパッタリ来なくなったことがある。


さいしょのうちは

「ああ、他の教室にいちゃったのかな」 と思い

「私が何か傷つけること言ってしまったのかな」と悩み


でも やっぱり 年だし 何かあったのかもしれない・・・・ と考えたことがった。



そのとき この仕事をつくづく     なんて言おうか・・・・虚しく感じたのだ。




一体、どれほど親しい関係になっても、そこはやはり こちらは料金を頂戴している側で
どーしたって「お稽古事の先生」なのだ。 友人にはなれない。

私が勝手に 友情を持っている と 思い上がっていただけで

もし その人に何かあったとき 連絡なんて来るはずもない関係なのだ。



私は そのとき その寂しい気持ちをブログに書いた。


お付き合い下さった生徒さんがパッタリ姿を見せないと 
心配でたまりません  と。




すると、クリティーから手紙が来た。

ブログを読んで 「先生は自分のことを思って書いてくれたに違いない」と確信した、と。


クリティーは事故で手術をし、入院していたことを綴って報告してくれた。


嬉しかった。




これは、そのとき教室に通う生徒さんがクリティーに贈った寄せ書き↓











今回、クリティーの死は 奥様からのお電話によって知った。

連絡をいただける関係をもって下さったことに


本当に本当に心から感謝の気持ちで・・・・・・言葉がありません。





ご冥福をお祈りします。






クリティー  どうもありがとう。

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