2016年5月10日火曜日

愛をもって思い出としましょう その後のその2

つづきです。

スタジオのドアが開き、二人同時に駆け寄りました。

感動的な再会ではあるのですが、どーいうわけか
二人して同時にゲラゲラゲラゲラ大爆笑してしまったのです。

それはもう ゲラゲラゲラゲラ

互いの顔指差して ゲラゲラゲラゲラ

頭おかしくなっちゃった人達みたいに ゲラゲラ

抱き合って 涙ながして ヒーヒー言って またゲラゲラ


なんだか よくわからない感じになってしまったのです。


でも、もちろん私は ものすごく安心してました。


 この人 変わんなーーーい


むこうもそう思ってゲラゲラ笑ったのでしょうね。


クラスが始まりました。


「 HAJIMEMASHO-- !!  MAZUWA ARUKU --!!!」

日本語。
覚えてたみたいです。
このレッスンの始め方も。

何度も互いに顔を見合わせてニンマリしました。

「 そうそう!こんな感じだったよね」 という感じで、

ぐわーーーっとタイムスリップしてゆくような、
一気に17年前のあの日に戻ったような感覚が不思議でたまりませんでした。


途中、通訳をする私を 目を丸くして顔をのぞきこみ

 「ほんとに? そんなにスペイン語出来るようになったの?
  SU- GO - I !!!」 

と驚いてました。


レッスンを進めるうちに
 KAWARIMASHO とか YAWARAKAKU とか 

 HAYAKU とか

どんどん記憶が蘇ってくるようで
自分でも口に出す度に驚いた顔をしてました。

しまいには

 「WATASHIWA - ATAMA I I  DAKARA -  」

と言い出しました。

語尾に 「だから」をつけるのは彼の日本語の特徴です。


  彼の日本語の原点はつまり私の日本語によるもので、
  私のスペイン語の原点はつまり E君によるもの ですけどね。



彼の日本語の最も最も素晴らしいのは

「ARIGATA I  KOTODE GOZAIMASU」というやつです(笑)

素晴らしいでしょ?


数日間のレッスンスケジュール

その内容もそれはそれは素晴らしいものでした。


何と言っても レッスンが上手!!!

イントロダクションのリズムの練習から 自然にバリエーションへ
生徒を誘導してゆくのが、驚くほど上手でした。


何日目かで、他のメンバーは全員ディナーショーへ行く日、
私だけ 抜けさせてもらい
E君とデートをしました。
もちろん おぎりんにも了解をもらってね ∥ヘ(′ェ`)ゝ


パレルモ地区という 若い人が多く、外国のレストランや
ブティックが集まってる街を歩きました。

ご飯を食べるとき、お肉を注文したので

「あなた菜食主義になったかと思ってたよ」と言ったら

「NO。 前はそうだったけど・・・・ 今はやめたよ」と

少し暗い表情になってしまいました。


ベジタリアンの話は、実はアナベラ(マリオ&アナベラのアナベラ)からウワサ話を聞いていたのです。


アナベラがヨーロッパでの仕事の時、E君と会ったことがある というので
私は思わず飛びつきました。

アナベラは 私が以前一緒に仕事をしていたと知り、しばらくは言いにくそうに
してましたが・・

「なんていうか、彼・・・少しナーバスなのかな?
 すごく小さな大根とかしか食べないんだよ?
 アンラッキーなことに、そのフェスティバルはマクロビオティックの
 ダンサーが多かったから、食事が少なくてさー」

つまりマリオが死んじゃうよね <(; ^ ー^) っていう話だったのですが

私はそれを聞いて、そうか それであんなに痩せたのか・・・と

悲しい気持ちになりました。



日本での1年間、E君の可愛いお顔は あっという間に
ひどいニキビだらけになったのです。


アルゼンチンというのは 今でもそうだけど、極めて添加物などの影響が
少なく、どこのレストランも 塩・コショウ・バルサミコ酢・オリーブオイル
だいたいこれで何でも食べちゃう感じです。

もちろんマックとかもあるんですけどね、
でもマックのセットで¥1,000-くらいしちゃったりしますから、
観光客か外国のビジネスマンが食べるという印象で。


それが急に日本で、セブン-イレブンのカルボナーラとか
ローソンのからあげクンとか、そんなのばっかり食べるようになったんですから。

今の私としては それがどれほど身体に大きな負担がかかってたか
よくわかります。
身体というより 魂の叫びが聞こえてきそうですよね。


あの頃の私はそれをちっともわかってあげなれなかった。
食べ物のストレス。
しかも 遠い 遠い 地球の裏側の食べ物・・・・・・。

それからすぐにヨーロッパ。

もう一体何を食べたらいいのか、わからなくなってしまったのかも
しれないですよね。




日本での1年を終え、本当に休みたかったんですって。

もうヘトヘトだったんですって。


それが、どーしたことか すぐに知人から
ミレーナ・プレブスがパートナーのオーディションをするから
受けたほうがいい、と言われ


「冗談じゃない もう沢山だ って思ったけど 断りきれなくて・・・
 で、行ったら、受かちゃって・・・

 すぐに世界中の公演が始まって、そこからはもう記憶にないくらい
 忙しくて・・  ああ、ごめん もう話せないよ
 とにかく僕はもう 僕でなくなったんだ。」





ミレーナ・プレブス。

女性のタンゴダンサーとして世界で最も有名な人 と言っても
いいでしょうね。

2011年2月の ここで そのことを書いてます。

この時の記事としては

サクッと 「ミゲルとミレーナがペア解消をし、ミレーナは別の人と組んで
活躍中です」と書いてますが

その「別の人」こそが E君です


この記事でも書いてあるように ミレーナの舞台「タンゴ・ポル・ドス」は
ブエノスでも本当に人気のある舞台で、
コリエンテス通りという劇場が立ち並ぶ大通りがあるのですが、
チケットを求める大衆がズラーっと行列をつくってました。


「今は、しばらくはブエノスに居たくてのんびりしてるんだけど・・
ここに居ても実はあんまり仕事がなくてね、
観光シーズンじゃないと なかなかね。

だから ジュンコがレッスンのコーディネートしてくれて
本当はすごく助かったんだー。

それに、ここ数日、君たちのレッスンをしてて
僕は完全に思い出したよ。 僕はレッスンをするのが大好きだって。

レッスンが上手? 君と言い合いしながら どんなレッスンがベストなのか
君とともに学んだんだよ!
僕はそれを思い出させてもらって 本当に感謝してるよ。


ブエノスに居ればお金がない(笑)
ヨーロッパに出れば 仕事があるけど・・ストレスがたまる。

あ〜あ・・・・


君の生徒さん達は素晴らしいね。 習得が上手で、
教えるのがとっても楽しいよ。

君はいいね。 いつも同じ生徒さんが君の手によって
どんどん踊れるようになってゆく というのは どんなに素晴らしいか・・・
僕は羨ましいよ」



こんな話をしたデートの写真は、
その時インスタグラムに載せました。

 「有難いことで御座います」と言ってます(笑)



最後の日、

別れ際に

「あのね、やっぱり来年、ヨーロッパに行くことにしたよ。
 教えることを、またやってみようかと思う。

 その気持にさせてくれたのは君たちのお陰だよ。
 どうもありがとう。」

   そう言ってました。


私は左へ曲がるから、
僕は右へ曲がるから、

じゃあ、通りを挟んでそれぞれ歩こう と

通りの向こう側から 何度も何度も何度も何度も手を振りました。



また、いつの日か

会えるでしょう。


お互い元気で、がんばりましょうね。 E君。


AR I GATA I KOTODE   GOZAIMASU !!!



-- END --













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